第44話 勇者の預言。
食堂での激務を終え、俺たちは再び夕暮れ時の路地裏に戻ってきていた。
ヴェルの手には、今まで必死に働いて稼ぎ出した、なけなしの銀貨が握られている。
汗と油にまみれながらも、どこかやり切ったような顔をしている魔王の娘を見つめる。
「ヴェル、お疲れ様。これで最低限の宿代と飯代は確保できたな。……次は勇者を探すか。まずは情報が必要だよな」
「情報なら、あるわ」
ヴェルは手元の硬貨を愛おしそうに眺めながら、不敵に微笑んだ。
「自信満々だな」
「……こういう人間の街には、必ず裏の事情に通じた占い師や情報屋がいるはずよ。違う?」
「確かに、ゲームとかなら定番だよな」
「ちょっと、そこのあんた、占い師はどこよ」
気がつくとヴェルはもう、通行人に話しかけていた。
行動力がありすぎる。
「占い師……というか、鑑定士なら、この通路を抜けた奥にいるぜ。最近は評判が悪いけどな。『総天堂』って店だ」
「いい情報ね。褒めてあげるわ」
(人にものを聞く態度ではないな)
「ほら、恒一。いくわよ。《引受》しなさい」
「俺はペットかよ」
俺たちはさっそく『総天堂』へ向かうことにした。
『小汚い店ね』
「そりゃあ、魔王の城に比べたら、そうなるだろうな」
『当然よ』
ヴェルの対応に慣れてきてしまっている自分が怖い。
薄暗い店内に足を踏み入れると、奥の机に、高価そうな外套をまとった若い男が力なく突っ伏していた。
「……はぁ。うちは今、評判最悪だから他を当たってくれよ。大事な『水晶玉』を無くしてからというもの、神通力が下がる一方なんだ……」
男は顔も上げずに、めんどくさそうに手を振る。
その声、その外套、そして漂う圧倒的な小物感。
どれも覚えている気がする。
(こいつはもしかすると、以前に一人で慌てていた不審者か?)
「おい、お前! ポストを鑑定した覚えがあるだろ!」
「ポスト? ポスト力9999? ひ、ひぃぃ!?」
男が弾かれたように飛び起きた。
椅子から転げ落ちんばかりに驚き、ガタガタと震えながらヴェル(俺)の顔を凝視する。
「ま、まさか……あの時の? あの時と同じ恐怖を感じるぞ……」
「やっぱり! 一人でパニクって逃げたやつだな!」
『ねえ恒一、知り合いなの?』
「知り合いというか……突然現れて、俺を鑑定して勝手に騒ぎ出して、意味もわからないまま逃げていったんだよ」
『何よそれ、本当にただの変質者じゃない……』
ヴェルに説明していると、男は机に額を擦り付けんばかりの勢いで頭を下げた。
「頼む! あの時の無礼はいくらでも謝る! あの水晶玉がないと、俺の鑑定スキルは下の下なんだ! 頼むから水晶玉を返してくれ!」
「確かにあの時の水晶玉は俺が預かっている。……返す代わりに、俺たちの知りたいことを占ってくれるか?」
「う、占う! 何でも占うから!」
「交渉成立だ」
俺は大切に預かっていた水晶玉を呼び出した。
《配送》──
男の手の中に、淡い光と共に水晶玉が出現する。
「ほら、それだろ?」
「おおおお! 私の、私の愛しき水晶玉アァァ!」
男は恋人に再会したかのように水晶玉を抱きしめ、頬ずりをした。
しかし、すぐにその動きがピタリと止まる。
「……あ、あれ? よく見たら水晶の底に小さな傷が入っているぞ……? これでは本来の力が発揮できないかもしれない。判定が少し曖昧になる可能性が……」
「預かってやったんだから、多少の傷くらい文句言うな。それに、放り投げていったのはお前だろ。さあ、魔王を倒した勇者について調べてくれ」
その瞬間、店内の空気が一変した。
勇者という単語の重みに、男の表情からヘラヘラとした色が消える。
男はゴクリと唾を飲み込み、傷の入った水晶玉をじっと覗き込んだ。
「見える……見えるぞ……! 勇者の……姿が!」
大袈裟に両手を広げ、声を張り上げる。
「……金髪!」
「金?」
「いや……黒、やっぱり銀、かな? どっちだ、光の加減で見えにくい……!」
「どっちだよ。一番大事なところだろ」
「方角は……南! ……いや、よく見たら東かもしれない!」
「お前……本当に最高位スキル持ってるのか?」
男の曖昧な発言に、俺は深くため息をついた。
「ダメだ。やはり傷のせいで力が出ない。何か手がかりでもあれば話は変わるのだが……」
手がかりと聞いて浮かぶものがあった。
「悪いが、これを見てくれないか?」
《配送》──
縁が焦げた白紙の手紙を、男の手中に届ける。
「……これは?」
「俺にもわからない。魔王が死んだ話を聞いた日の深夜に投函された、白紙の手紙だ」
店内が完全な沈黙に包まれた。
男は水晶玉と、焦げた白紙の手紙を交互に見つめ、何度も鑑定スキルを重ねていく。
彼の額から、冷や汗がタラリと流れ落ちた。
「……これは、普通の手紙じゃない。文字が書かれていないのではなく、強力な『認識阻害』の魔法か、あるいは……莫大な熱量によって、情報そのものが焼き切られているんだ。今の俺の力じゃ、これ以上の詳細は分からない。力が足りないんだ……」
男の声は、今度は本気で怯えていた。
『話にならないわね。恒一、少しだけ変わって』
「はいはい。わかりましたよ。お姫様」
主導権を移した途端、ヴェルがドスの利いた声を出す。
「あんた、いい加減にしなさいよ! 私たちは遊びで勇者を探しているんじゃないのよ!」
父親を殺した勇者を探す。
そのために抱いた、一世一代の覚悟。
そこから漏れ出た本物の「殺気」に、男はヒッと短い悲鳴を上げて、もう一度水晶玉にしがみついた。
「ま、待て! 今、手紙の焦げ跡と水晶の光が共鳴した……! 見えたぞ、場所は西方の街リトナだ!」
男は必死な声で叫んだ。
「きっかり三日後! 三日後、リトナに勇者が現れる! これだけは間違いない、俺の命を賭けてもいい!」
『……今回は、妙に具体的だな。ヴェル、どうする?』
俺が問いかけると、ヴェルは複雑そうな声を漏らした。
「……本当に信じるの? こんなインチキ臭い男の預言を」
『行かなきゃ何も分からないだろ。白紙の手紙の謎も、隣街に行けば何かつながるかもしれない』
「……そうね。行きましょう」
ヴェルは静かに頷き、席を立った。
「情報料よ。ありがたく、受け取りなさい」
今日稼いだばかりの銀貨を数枚、机に置いた。
俺たちが店を出ようとした、その時。
「……おい」
背後から、男がぽつりと声をかけてきた。
いつになく真剣なトーンに、俺たちは足を止め、振り返る。
男は傷ついた水晶玉を抱えたまま、どこか遠くを見るような目で言った。
「その勇者……。世界を救うが、壊しもする。救世主と、世界を焼き滅ぼす怪物。二つの姿が……同じ輪郭で映っている。どちらかじゃない。……両方だ。どちらにしても、普通の存在じゃない。気をつけた方がいい……」
その言葉には、先ほどまでの胡散臭さは一切なく、妙な迫力があった。
俺たちは沈黙した。
ただ、二人の脳裏に浮かぶ「勇者」の幻影だけが、薄暗い店内に静かに残っていた。




