第43話 魔王の娘は働きたい(後半)
「おい、お嬢ちゃん! 三番テーブルに日替わり二つ! 奥の座敷に麦酒追加だ!」
「わかったわ!」
正午を回ると同時に、店内は戦場と化した。
腹を空かせた職人や商人たちがなだれ込み、怒号のような注文が飛び交う。
ヴェルは給仕服代わりにエプロンを渡されたが、黒いドレスの上に無造作に結ばれたそれは、どこか妙な存在感を放っていた。
『ヴェル、注文は頭に入ってるか? 三番テーブルに……』
(うるさいわね! 三番に日替わりふたつ、奥の座敷に麦酒でしょ! 覚えてるわよそれくらい!)
ヴェルはトレーに料理を載せると、優雅かつ無駄のない足取りで店内を駆け抜ける。
混雑する店内を、客にぶつかることなく、すいすいとすり抜けていく。
動きには文句のつけようがない。
だが、問題は「接客」そのものだった。
「おいおい、お姉ちゃん綺麗だね! 笑顔のサービスもついてくるかい?」
酒が入って機嫌の良くなったガテン系の客が、ニヤニヤしながらヴェルの腰に触れた。
その瞬間、ヴェルの目つきが一変する。
「……無礼な人間ね。私が礼儀を教えてあげましょうか」
ヴェルの周囲に魔力が逆巻く。
『待て待て待て! 魔法も暴力も禁止だ! ここは「ごゆっくりどうぞ」で受け流せ!』
(なんで私が、こんな下衆どもに愛想を振りまかなきゃいけないのよ!)
『それが仕事だからだ。金をもらう前に追い出されるぞ?』
ヴェルは眉間にしわを寄せ、客を氷のように冷たい眼光で射抜いた。
「……料理が冷めるわよ。さっさと食べたらどう?」
「うおっ……! クールで痺れるねえ! おい、この店に最高のお姉ちゃんが入ったぞ!」
「マジか! 俺も注文受けてほしいぜ!」
ヴェルの毅然とした(というか素で突っぱねた)態度が、泥臭い大衆食堂においては逆に大ウケしてしまった。
(……なんなのよ、この人間たちは。頭がおかしいんじゃないの?)
『怪我の功名だな。まあ、怒鳴り散らさなかっただけ上出来だ』
調子を狂わされつつも、ヴェルは必死に手を動かした。
『ヴェル、右奥のテーブル、お冷やが切れてる。あと二番テーブルの皿、先に処理した方が回転が速くなるぞ』
(……言われなくても、今やろうと思ってたところよ!)
強がりながらも、ヴェルは俺の指摘を素直に実行していく。
頭の回転自体は抜群に速い。
全体の状況が見え始めると、「どのテーブルが何を必要か」を察知し、無駄のない動きでこなすようになっていった。
(あんた……意外と目が届くのね)
『これでも一応、修羅場は潜り抜けてきてるからな』
(ふん。私が優秀なだけよ)
頭の中でやり取りしながら、俺たちは黙々と仕事をこなした。
失敗しそうになると俺がフォローを入れ、ヴェルが持ち前の器量で器用にこなす。
いつの間にか、俺たちの間には不思議な連携が生まれていた。
「ふぅ……今日のラッシュは凄かったな!」
ご機嫌な店主がヴェルの肩をパンパンと叩いた。
ピークが過ぎ、店内に静けさが戻ったのは夕方近くのことだった。
厨房の奥で、ヴェルはガクッと肩を落とし、壁に背を預けた。
『お疲れ、ヴェル。よくやったな』
「……死ぬかと思ったわ。人間って、毎日こんな恐ろしい作業をこなして生活しているの……?」
ドレスは少しシワになり、額には汗が滲んでいる。
プライドの高い彼女が、ここまで泥臭く動いたのだ。
疲労困憊になるのも無理はない。
「おい、お嬢ちゃん。よく働いてくれたな」
店主の親父が歩み寄ってきた。
その手には、布袋と、紙包みが握られている。
「最初は半信半疑だったが、大した手際だったぜ。客の受けも抜群だったしな。……ほら、約束の日給だ」
親父はヴェルに布袋を手渡した。
中には、数枚の銀貨が鈍い光を放っている。
さらに「焼き立てのパンだ。持っていきな」と温かい紙包みも添えられた。
「……これ、私に?」
「初日からきつかったからな。賄い代わりに持ってきな。また手が足りない時は頼むぜ」
親父は笑いながら厨房へ戻っていった。
ヴェルはその布袋を掌に載せ、じっと見つめた。
魔王の城にあった金銀財宝に比べれば、手の上の銀貨数枚など大したことはないだろう。
だが、それでも彼女は目を輝かせている。
ヴェルは銀貨に、そっと指先で触れた。
「……これが、給料」
『ああ。お前が自分の頭と身体を使って、得たお金だ』
俺が言うと、ヴェルは小さく息を吸い込み、どこか誇らしげに、口元を緩めた。
「……ふん。私が本気を出せば、これくらい当然よ。魔王の娘を舐めないでほしいわね」
強気な言葉とは裏腹に、彼女は銀貨の入った袋を大事そうに胸元に抱え込んだ。
「これがあれば、ちゃんとした宿に泊まれるのよね?」
『ああ。お前の稼いだ金だから、好きに使っていい』
「……そう。なら、あんたにもパンくらいは分けてあげるわ。私に尽くした、お礼よ」
『ありがとう。パンは好物だ』
「あんた、ポストのくせにパンを食べるの?」
『俺はただのポストじゃないんだよ』
ヴェルはパンの包みを抱え直し、軽やかな足取りで店を出た。
夕暮れに染まる街並みの中、ヴェルがぽつりと呟く。
「……恒一」
『ん?』
「明日もまた……付き合いなさいよ。一人で探すより、あんたがいた方が……まあ、少しだけマシだしね」
『はいはい。お供させていただきますよ、魔王の娘様』




