第42話 魔王の娘は働きたい(前編)
「……何よ、さっきからじろじろと」
路地裏の影で、黒いドレスをまとった少女──ヴェルが、不機嫌そうに腕を組んで俺を睨みつけている。
「別にじろじろ見てはいない。ただ、これからどうするつもりなのかなと思ってな」
「どうするって……勇者の手がかりを探すに決まっているでしょう?」
「ああ、一緒に探そう。だが、それとは別問題として、今夜の宿はどうするんだ? 食事は?」
俺が問いかけると、ヴェルは拍子抜けしたように瞬いた。
「そんなもの、そのへんの屋根がある場所で寝るわよ。食事も……まあ、何か適当に調達するわ」
世間を知らないお嬢様のような発言だった。
「……お前、本気で言ってるのか?」
「なによ。私は魔王の娘よ。多少の過酷な環境なんて、どうとでもなるわよ」
強がるヴェルだったが、その直後。
静かな路地裏に、くぅぅ……と可愛らしい音が響いた。
ヴェルは一瞬凍りつき、即座に自分の腹あたりを両手で押さえると、顔を真っ赤にして、またしても俺を睨みつけた。
「……聞き間違いよ。今の音は、風の音」
「風の音が腹の底から鳴るわけないだろ」
静まり返った路地裏に、気まずい沈黙が一瞬だけ流れる。
「だいたい、お前みたいな目立つ格好の女が路地裏で野宿してみろ。騎士団に怪しまれるか、悪党に絡まれるのがオチだ」
「なっ……! だったらどうしろと言うのよ!」
ヴェルはぷいっと横を向いたが、反論はしてこなかった。
「俺はポストだから、お前をどこかに匿うってわけにもいかない。だから──働くしかないな」
「はたらく……?」
ヴェルは虚を突かれたような顔になる。
「人間の街で屋根のある部屋に泊まり、温かいメシを食べるにはお金が必要だ。お金を得るには、働くしかない」
「私に……労働をしろと言うの? 魔王の娘であるこの私に?」
「ここでは魔王の娘なんて肩書き、パン一個にもならないぞ。生活費と宿代くらい、自分で稼ぐべきだ」
ヴェルは不満そうに唇を噛みしめた。
働くという行為はプライドが許さないのだろう。
「……わかったわよ。やればいいんでしょ。何をするのか知らないけれど、私にできないことなんてないわ」
勝ち気に言い放つヴェルを見て、俺は密かにため息をついた。
「もっと素直になれよ。どうしたいんだ?」
「……」
ヴェルはしばらく黙り込んだ。
「……働きたい、けど」
小さな声だが、明確な意思だった。
(やれやれだな。俺がサポートしてやるか)
彼女には人間社会の常識や労働の経験はないはずだ。
「……よし。なら、俺の能力を使おう」
「あんたの能力?」
「ああ。《引受》だ。お前が同意してくれれば、俺の意識をお前の身体に重ねることができる。そうすれば、俺が指示を出したり、アドバイスができる」
説明を聞いたヴェルは、分かりやすく拒絶反応を示した。
「嫌よ! なんで私の身体に箱を入れなきゃいけないのよ。一人で十分にできるわよ」
「嫌なら、今夜は腹を空かせて路地裏で冷たい風に吹かれるしかないが?」
「くっ……」
ヴェルは葛藤するように眉をひそめた。
プライドと空腹、そして現実的なリスクを天秤にかけたのだろう。
彼女は小さく舌打ちし、そっぽを向いた。
「……勘違いしないでよね。あんたがどうしても手伝いたいって言うから、許可してあげるだけ」
「はいはい、テンプレツンデレ対応感謝するよ」
「テンプレって何よ。もう、好きにしなさいよ」
『──対象の同意を確認《引受》可能です──』
「──よし、じゃあ、行くぞ。《引受》」
ヴェルの同意を得たことで、能力が発動する。
視界がぐらりと揺れ、感覚が収束していく。
次の瞬間、俺の意識はヴェルの身体の内側へと入り込む。
「……うわ、なにこれ。変な感じ」
頭の中に、ヴェルの声が直接響く。
『今回は主導権をお前に渡してあるから、身体は好きに動かしていいぞ。俺はサポートに徹する』
「……頭の中であんたの声が聞こえるの、すごく妙な気分ね」
『我慢してくれ。そのうち慣れる。さて、まずは給料が日払いで即採用されそうな店を探すぞ』
身体を共有した俺たちは、活気のある商店街へと向かった。
狙いを定めたのは、大衆食堂『陽毬亭』だった。
昼時のラッシュを控え、厨房から香ばしい匂いが漂っている。
店頭には「急募:配膳・雑用 日払い可」の貼り紙が出ていた。
それを見るなりヴェルは勢いよく、店の扉を開いた。
「貼り紙を見て来てやったわ。働いてあげる」
『最初から横柄すぎるだろ。慎ましくしろよ』
「うるさい! 箱が指図するんじゃないわよ!」
『指図するために今の俺はいるんだが!?』
ヴェルと店頭で揉めていると、奥から腕捲りをした頑固そうな店主の親父が出てきた。
「ん? 貼り紙……ってお前さん、そんな綺麗な格好でうちのバイトかい? 遊び半分なら帰んな」
「遊びじゃないわ。私は真剣よ」
ヴェルは堂々と胸を張った。
その威圧感に、親父が一瞬たじろいだように見えた。
『おいヴェル、第一印象は大事だ。「よろしくお願いします」って言え』
「うるさいわね、分かってるわよ!」
ヴェルは悪態をつきつつ、親父をまっすぐに見据えた。
「料理の配膳と雑用でしょ。言われた仕事くらい、完璧にこなしてみせるわ。私を雇いなさい」
「……ハッ、随分と変わっているが、威勢がいいお嬢ちゃんだな。口だけじゃないだろうね?」
「魔王の娘に二言はないわ。使いものになるかどうか、今すぐ試せばいいじゃない」
『魔王の娘とか公言するな! 捕まるぞ!』
「ああ、もう! いちいち、うっさい!」
ヴェルの奇行を見ても、親父は動じず、ニヤリと笑った。
「面白い。ちょうど昼のラッシュで人手が欲しかったところだ。今日一日、指示通りに動けたら日給を払ってやる。ついてきな!」
「ふん、やってやるわよ」
ヴェルは不敵な笑みを浮かべ、厨房の奥へと歩き出した。
『へえ、なかなか度胸あるじゃないか。でも、怪しまれるなよ』
「当たり前でしょ。魔王の娘が、人間の食堂くらいで怯むわけないじゃない!」
『──その気概があれば、なんとかなるか』
心の中でそう返しつつも、ヴェルの手がわずかに震えているのを、俺は薄っすらと感じ取っていた。




