第39話 謎の組織『天聖連』
暗黒龍が街の上空に二度も出現した大騒動から、数日。
俺のミスが原因で巻き起こったあの失態は、単なる都市伝説や噂話では済まされなかった。
街中で龍が暴れた事実が消えることはなく、魔獣騒ぎ以来、天聖連が再びこの街を訪れることになったらしい。
「本格的に、やってしまった……」
「恒一様、お気を確かに」
俺はリリルに慰めてもらっていた。
聖女様に癒してもらわなければ、自己嫌悪でどうにかなりそうだった。
「配送という能力が原因なのですよね?」
「ああ。預かったものを送り出す能力なんだと思う。……気軽に『はい、そうです』とも言えないなんて地獄だ」
「それなら、呼び方を変えてみたらどうですか?」
「どういうことだ?」
「送り出す能力なら、配送ではなく、『シュート』を合言葉にしてみるとか!」
「それなら確かに技っぽい。でも、俺にそんな権限はないと思うけどな」
『──《配送》可能です──』
頭の中に無機質な声が響き渡った。
「能力が歩み寄ってくれたんだが!?」
「恒一様!!」
リリルがとても嬉しそうな笑顔を向ける。
俺に肉体があったなら、手を取って一緒にはしゃいでいたところだ。
「こんにちはぁ〜! 天聖連のユーちゃんだよ〜」
どこまでも明るく、異質な声が街角に響き渡った。
(……来た。最悪の奴が、本当に来やがった……)
得体の知れない存在。
飛燕が本気で逃げろと警告してきた相手。
天聖連の魔獣災害担当とか言っていた──ユーが、調査官として乗り込んできた。
その後ろから、何人もの調査員が続々と集まってくる。
「移動経路の解析、完了しました! 魔力の残留は極めて薄く、既存の召喚陣の形跡はありません!」
「被害状況は建物の損壊が数か所。奇跡的に死傷者はゼロです!」
手際よく報告する調査員たち。
だが、彼らの中心に立つユーは、どこか退屈そうに指先で自身の髪を弄っていた。
男性にも女性にも見える中性的で掴みどころのない容姿。しかし、その瞳には獲物を品定めするような不気味な光が宿っている。
「ふ〜ん。被害がないのは良いことだけどぉ……不自然だよねぇ」
ユーがくるりと踵を返し、ゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。
その一歩ごとに、押し潰されるような重圧が迫ってくる。
「巨大な龍が二度も暴れて、負傷者すら出ないなんて。……まるで、誰かが『制御』していたか、あるいは『消してしまった』みたいじゃなぁい?」
ドクン、と心臓が跳ね上がる感覚。
鋭すぎる。
状況証拠から、事件の本質を見抜いているのか。
「ユーちゃんさん! 北門付近の捜査を続行──」
「──静かにしなよ」
部下の言葉を遮るユーの声。
先刻までの甘ったるいトーンが霧散し、氷のように冷たく無機質な響きが街の空気を凍りつかせた。
「僕、いま大事な『匂い』を追ってるんだよ。邪魔しないで……『混ぜ込み』されたいのかな?」
「ひっ……! 申し訳ありません!!」
部下が悲鳴を上げて地面に平伏する。
周囲の住民たちも息を殺して引き下がっていく。
そして──ユーの視線が、一直線に俺へと注がれた。
(……やばい。また持って帰るとか言わないよな……)
過去に見せつけられた不気味な笑顔が脳裏をよぎる。
「あ、あの……! 何かあったのでしょうか……?」
か細く、けれどハッキリとした声が割り込んだ。
リリルだ。
おそるおそるユーたちの間に足を踏み入れていた。
「ん〜? なぁに、可愛い女の子。ユーちゃんに何か用かな?」
ユーが静かなトーンで言い、首をかしげる。
リリルは身を縮め、怯えた少女そのものの仕草で答える。
「い、いえ……何かあったのかなと思いまして。あの……龍の調査をされているのですか?」
「そうだよ〜。君は、この辺で龍を見たのかなぁ?」
ユーがジリジリと距離を詰める。
距離は、わずか数十センチ。
リリルの瞳が揺れた。
「は、はい……。見ました。とっても大きくて、真っ黒で……すごく、すごく怖かったです……」
ギュッと目を瞑り、肩を震わせるリリル。
嘘ではない。
彼女は実際に龍を見て、恐怖を感じた。
だが今は、目の前のユーの方が怖いだろう。
「そっかぁ。怖かったよねぇ。……でも、街の人に怪我がなくて本当に良かったと思わない?」
「……はい。本当に、無事で良かったです」
適切な応答。
一般市民として自然な会話だった。
──だが。
彼女の視線が一瞬だけ、俺の方へ泳ぎかけ、慌てて逸らされた。
「へぇ……」
異常なまでの観察眼を持つユーが、その微細な「違和感」を逃すはずがない。
「ふ〜ん……『良かった』、ねぇ」
ユーがリリルから興味を逸らしたふりをして、俺の目の前に立ちはだかった。
「ねぇ、このポスト。やっぱり……『何か』入ってなぁい?」
「えっ……! と、投函箱ですか? 私にはサッパリ──」
「君には聞いてないよ」
会話に入ってきた部下を冷徹な一言で牽制し、ユーがそっと手を伸ばしてくる。
その細い指先が、俺に触れようとした。
(来る……!)
全身の細胞が拒否反応を示すような恐怖。
今、俺の中には暗黒龍が収納されている。
(頼む。気づくな……! 気配を……もっと奥へ!)
龍の気配を押し込むように意識を集中させる。
収納の底、そのさらに奥へ。
(……頼むから、今だけは大人しくしていてくれよ……!)
体内で蠢く龍の気配を、歯を食いしばる思いで抑えつける。
ユーの指先が、投函口の縁に触れる。
一秒、二秒。
永遠にも思える静寂が、街を支配した。
「………………」
ユーは無言のまま、獲物をじっくりと味わうように投函口の周りを撫でまわす。
やがて──ぽつりと呟いた。
「……ふーん。上手だねぇ」
伸ばされた手が、ゆっくりと離れていく。
ユーは、俺の投函口の限界近くまで顔を寄せる。
そして、誰に聞かせるでもないような軽い口調で呟く。
「今回の龍さ〜。僕がプライベートで遊んでいたオモチャに、すっごく似てるんだよね〜」
「…………」
「キミは何か知っているよねぇ?」
ユーは俺の投函口を眺めながら、楽しそうに笑った。
「だって、その龍が出てきた場所……この辺なんでしょ?」
「…………」
「妙な言葉で喋る男に会ったかなぁ?」
その言葉に背筋が凍りつくような感覚を覚えた。
「……まあ、『普通』のポストなら、そんなこと知ってるわけないだろうね〜」
ユーは、くすっと笑った。
「本格的に、調べてみたくなってきたなぁ?」
「…………」
「僕にだけ、秘密を話してみなよぉ……」
(なんだ、この威圧感と迫力は。こいつ、飛燕よりも怖い。本当に人なのか……)
「ユーちゃんさん! 南の区画から新たな目撃証言が出ました!」
部下の声が響く。
ユーはため息をひとつ吐くと、ひらひらと手を振った。
「せっかく楽しくなって来たのにぃ。はぁい、今行くよ〜」
ユーは部下の方へ歩き出し……そして、去り際に一度だけ振り返った。
「ねぇ、可愛い女の子」
「は、はい……!」
リリルの肩が跳ね上がる。
「君の言った通り、誰も怪我しなくて良かったねぇ。……でもさ」
ユーの視線は、まっすぐに俺を捉えていた。
「この街も、随分と面白くなってきたなぁ。ユーちゃん、また遊びに来るねぇ」
天聖連の一団が去っていく。
その姿が完全に角を曲がって消えた瞬間──
「はぁっ……! ふぅ……!」
リリルがその場に膝から崩れ落ちた。
気持ちはわかる。
息もできないような緊張感だったから。
俺もまた、体内の奥底に沈めていた息を吐き出すように、深く、深く安堵の溜息を漏らした。
「……あいつら、一体なんなんだよ」
俺の問いかけに、リリルはまだ荒い息を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……天聖連は、この世界の中枢……です」
「中枢……?」
「私が所属する教会より遥かに規模が大きく、絶大な権力を持っています。表向きには、魔獣や災害、疫病などから人々を守る公的な組織です」
「……表向きには?」
リリルは、表情を曇らせる。
「……はい。天聖連の内情を知る者は、ほとんどいません。私たち教会も、詳しいことまでは……」
「……つまり、得体が知れないということか」
教会すら、その全貌を掴めない巨大組織。
(……待てよ)
俺の中に、ある一つの可能性が閃いた。
「……それなら、もしかして『勇者』についても何か知っているかな?」
俺の言葉に、リリルは小さく頷いた。
「……はい。あの人たちに、知らないことはないと思います」
(……だとしたら、ビビってる場合じゃないな)
思考が切り替わる。
これまでは「勇者の行方」を探そうにも、動けないポストである俺には情報収集の手段が限られていた。
だが、目の前を通り過ぎていったあの不気味な調査員たちなら、勇者について何か知っていてもおかしくない。
(今の状況はピンチだが、チャンスでもある)
あいつらが俺に興味を持って嗅ぎ回るなら、利用してやればいい。
(……俺が全部《引受》して、勇者の手がかりを見つけてみせる)
天聖連という巨大な影の脅威を痛感しながらも、俺は静かに腹を括った。




