第35話 魔王が死んだ日。
朝から、街の鐘がけたたましく鳴り響いていた。
「号外だー! 号外だぞー!!」
通りのあちこちから、新聞売りの声が響いている。
普段なら穏やかな風が吹き抜けるだけの路地裏を、いくつもの足音が慌ただしく駆け抜けていく。
(何かあったのか? まるでお祭り騒ぎだな)
まだ開店前のはずの商店から、慌ただしく木戸を開ける音が響いてきた。
「おい、聞いたか! 魔王が倒されたらしいぞ!」
「城ごと跡形もなく吹き飛ばされたって話だ!」
「信じられない……本当なのか!?」
街のあちこちで、驚きと混乱の混ざったざわめきが広がっていく。
通りを行き交う人々の足元に、配られたばかりの号外が何枚も落ちていた。
読み終えた後、そのまま捨てていったらしい。
(……号外か)
俺の視線が、その紙に吸い寄せられる。
勇者の情報が知りたい。
だが、動けない俺の元に号外が都合よく届くはずもない。
(……いや待て、こんな時こそ能力の有効活用だ)
地面に落ちている号外に意識を集中させる。
《転送》──
シュッ。
足元にあった紙が消え、俺の体内へと滑り込んできた。
(よし……! こういうときは便利だよな)
俺は預かった号外の文字へと、じっと意識を向けた。
世界を長年恐怖に陥れていた魔族の王が倒された。
そして──それを成し遂げたのは、北の地で守護竜を討ち取った『銀髪の勇者』だという。
戦いとすら呼べない、一方的な勝利。
魔王軍の本拠地は、一夜にして崩壊した。
(……これは本当に事実なのか?)
銀髪の勇者が生きていることは嬉しい。
だが、やはり何かがおかしい。
掠れた文字で『怖い』と書いていた彼女が。
誰にも言えない弱音を俺に託していったあの少女が。
そんな、戦いにもならないような残酷な倒し方をしたなんて。ましてや敵の本拠地を吹き飛ばすなんて、にわかには信じられない。
通りを行き交う人々は、俺の葛藤など知る由もなく、噂話で盛り上がっていた。
「やっぱり銀髪の勇者様だよな!」
「守護竜の時といい、やる事がえげつないな……」
誰かが興奮気味に囃し立て、別の男が低く鼻で笑う。
「まあな。だが正直、天聖連は魔王軍なんて最初から相手にもしてなかったんだろうな」
「違いない。天聖連が本気で動いていたら、魔王軍は結局は同じ運命だったろうさ」
過熱する喧騒の中で、その言葉が妙に耳に残った。
天聖連という組織が、魔王軍をどう見ていたのかなんて、今の俺には関係ない。
「……勇者。魔王が死んだのなら、帰ってくるよな?」
俺の呟きは、誰の耳にも届くことなく風に消えた。
⭐︎
魔王討伐の噂話の熱が冷めかけた頃、朱く染まり始めた陽射しの中を、ルミナがやってきた。
「恒一さん……外、すごい騒ぎだよ」
「……そうだな。耳はないが聞こえてる」
「魔王が倒されたんだって」
「ああ。号外を読んだよ」
ルミナはただ真っ直ぐに俺を見つめてくる。
「……銀髪の人、なのかな」
「噂では、な。真偽はわからない」
「よかったね、って言っていいのかな?」
「……分からない。俺自身も理解できてないから」
ルミナはそれ以上、深くは追及してこなかった。
ただ静かに、いつものように俺の隣に寄り添う。
通りに投げ捨てられた号外が、乾いた音を立てて路地を転がっていく。
それを近所の子供が拾い上げ、興奮した様子でまた走り去っていった。
「……戦いにも、ならなかったらしい」
俺は抑えた声で、ぽつりと漏らした。
「あの手紙を書いた人が、そんなことをするかな」
ルミナは何も答えない。
俺が知らない間にも、世界は勝手に恐ろしいスピードで先へと進んでいく。
「……俺たち二人で、勇者を探しにいこうか」
「今のままだと、厳しいと思うけど?」
「……そうか。そうだよな」
俺は、ただここに突っ立っていることしかできない。
だが、勇者から預かった手紙は、今も俺の胸の中にある。
「……生きているなら、また会えるよな」
「約束したんだよね? なら、大丈夫だよ」
北の地で勇者の身に何があったのかは分からない。
世界では、大きな何かが動いている。
魔王が死んだ日も、俺は、ただのポストだった。




