32話 神様ポストと聖女様。
いつもの街角。
周囲をチラチラと気にしながら、人目を忍んで歩いてくる影があった。
白い聖衣の上から、深いフード付きの外套を頭まですっぽりと被っている。
大勢の護衛や神官を引き連れていた時とは一転して、一人でこっそりとやってきたのは──聖女、リリルだった。
「ふぅ……。見つかりませんでしたね……」
リリルはフードを外すと、ほっとしたように胸を撫で下ろした。
どうやら、街中に溢れる「聖女様!」「奇跡を!」という熱狂的な観衆から、逃げてきたらしい。
(完全に油断している。隙ありだ)
「聖女様ー!!」
「ひゃっ!?」
リリルの華奢な肩が跳ね上がった。
「恒一様……。もう、驚かせないでください……」
「いや、俺はずっとここにいるんだけど」
「……そうでしたね」
リリルは照れくさそうに小さく笑うと、俺の隣に腰を下ろした。
「でも、聖女なんて呼ばれて大変だな」
「……はい」
「嫌じゃないのか?」
「嫌です」
「即答かよ」
リリルは俺のツッコミを聴いて、少しだけ嬉しそうに唇を綻ばせた。
「街の人たちは、私のことを『聖女様』だと思い込んでいます。……ただの、普通の人間なのに」
「俺だって、ただの郵便ポストだからな。なのに最近は『神様』とか呼ばれてる」
「じゃあ、私たち……似ていますね」
「どこがだよ。聖女とポストじゃ、えらい違いだ」
「でも、どちらも本人の意思とは関係なく、周りから特別にされてしまったんですよね」
「まあ、それはそうかもな」
「恒一様は、最初から私を特別扱いしませんでした」
「……だって、困ってる普通の女の子にしか見えなかったから」
「……はい」
二人の間に、夕暮れの柔らかい風とともに、心地よい静けさが流れていた。
「恒一様、誰かいます」
リリルの視線の先を見る。
路地の入口から、小さな女の子が顔を覗かせていた。
「神様に、お願いがあるの……」
女の子は、おずおずと俺の前までやってくる。
「お気に入りのお人形の靴を、なくしちゃったの……」
女の子からの、お悩み投函。
リリルはふわりと膝を折り、女の子の目線に合わせて優しく頭を撫でた。
「心配しなくても大丈夫だよ。どんな靴だったの?」
「うん……。赤い靴。小さいの」
リリルがすぐに立ち上がった。
「どこでなくしたか覚えてる? 一緒に探そうか」
「いいの?」
「うん。遠慮しないで」
女の子から話を聞きながら、自分の手でゴミ箱の裏やコンクリートの隙間を探し回るリリル。
白いドレスの裾に土がつくのも気にせず、一生懸命に手を伸ばしている。
「この辺かな……?」
「ちがうよ……」
「じゃあ、もう少し探してみようか」
(……もしかして、あれのことか)
少し離れた木箱の陰に、ポツンと落ちている小さな赤い物体を発見する。
視線を伸ばし、意識を集中させる。
《転送》──
シュンッ。
小さな赤い靴が、女の子の足元へと飛んでいった。
「……あっ!」
女の子が目を輝かせた。
「これ!」
靴を拾い上げ、嬉しそうに胸に抱きしめる。
「ありがとう、神様!」
(あんでもねーよ)
「お姉ちゃんもありがとう!」
「見つかってよかったね」
女の子は何度も頭を下げると、元気に手を振りながら走っていった。
小さな落とし物。小さな解決。
リリルは立ち上がり、ドレスについた土を払いながら、ぽつりと呟いた。
「……大げさな奇跡じゃなくても。こうやって、誰かがちょっと笑顔になってくれれば、それで十分ですよね。──『聖女』なんて、バカみたい」
「まあな。普通の人間でも十分に幸せに生きられるさ。まあ、俺はポストだけど」
「……はいっ」
リリルは、今日一番の笑顔を俺に向けた。




