第29話 どこでもポストになりたい。
騒がしかった人波が引き、街に束の間の静寂が訪れた。
『──《転送》条件を満たしました──』
頭の中で無機質な声が鳴り響いた。
(……今さらかよ)
《転送》。
以前、数回だけ使った能力だ。ネコウイチの体内からルミナの中へ移動したり、攻撃魔法を跳ね返したりできたが、まだ未知の部分が多い。
「もっと自由自在に送れたら、便利なんだけどな」
行きたい場所、好きな場所に荷物を即座に届けられる【どこでもポスト】になれたら最高だよな。
(どうせ暇だし、試してみるか)
投函口の奥には、住民の願いが書かれた手紙が大量に入っている。能力の実験にはうってつけだ。
「よし、どこでもポストへの第一歩だ」
手紙一通に意識を集中させ、ターゲットを定める。
俺の視界に入っている、少し先の曲がり角の石畳の上。
シュッ。
軽やかな感覚とともに、体内から手紙が消えた。
次の瞬間、視線の先にある角の石畳の上に、寸分違わず同じ封筒がぽつんと落ちていた。
「おお……! 送れた!」
思わずテンションが上がる。
『ポストにテンションなんてあるのか?』という無粋な疑問は、一旦脇に置いておくことにした。
「じゃあ……あそこはいけるか?」
次に狙いを定めたのは、視界の端に見える通りの一番奥。
建物の看板の陰になっている場所だ。
ぐっと意識を伸ばしてみる。
だが──目えない壁にぶつかったかのように、すっぱりと弾かれた。
『──転送地点を認識できません──』
「……ダメか」
自分では見えているつもりでも、看板の影などの死角に入ると弾かれてしまうらしい。
その後も実験を重ねた。
別の小さな紙切れで試すと成功。今度は少し重めの小包を想定して、大きめの石を体内に取り込んで送ろうとすると──失敗。
「重量制限もあるのかよ。郵便らしいというか、変なところで律儀だな……」
手紙、小石、リンゴの芯。
試した結果、「無機物」であり、かつ「軽量」で「直接見えている場所」なら届くことが分かった。
「……じゃあ、生き物はどうだ?」
目の前を通行人が歩いていく。
「あの人で試していいかな?」
逡巡するも、思いとどまる
(……いや、命を『預かる』のと『送る』のはまったく別物だろ。万が一、皮膚が裏返ったら笑えない)
代わりに、たまたま投函口のフチに止まった一匹の小さな虫に目を留める。意識を重ねてみた。
『──現在、生命体の転送は許可されていません──』
「なら最初から説明しろよ!」
なんとなく分かってはいた。
分かってはいたのだが、こうして冷たく事務的に拒否されると地味に腹が立つ。
「……じゃあ、俺自身はどうなるんだ?」
試しに、ポストである自分自身を隣の石畳へずらそうと念じてみる。
だが、地面に深く根でも張っているかのように、ピクリとも動かない。
『本体転送:条件不足』
「条件ってなんだよ、条件って。前はネコウイチの中からルミナへ跳べた……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
全く行ったことのない知らない場所や、見ず知らずの相手の元へは跳べないらしい。
(……《引受》したことのある相手同士限定なら移動できる、とか?)
それなら、ネコウイチの中からルミナの中に移動できた理由も説明がつく。
「なんで、こんな面倒な能力なんだよ……」
空を仰いでも、誰も答えてはくれない。
アホ女神だって降りてきてはくれないのだ。
「ポストなんだからさ。せめて配達くらい、もっと自由にやらせてくれよな」
自由とは程遠い制限。
視界の届く範囲。軽い物体限定。生き物は不可。
そして自分自身が移動できるのは、かつて『引受』した相手のすぐ側だけ。
「……まあ、でも……『郵便のルール』だと思えば、筋は通ってるかもな」
自分に言い聞かせるように、一応納得しておく。
もっとも、納得したような表情を浮かべる顔なんてないのだが。
その時、隣の通りから歩いてきた住民たちが、角の石の上に落ちていた封筒を不思議そうに拾い上げた。
「ん? なんだこれ、なんでこんな所に手紙が落ちてんだ?」
「風で飛んできたんじゃねえの?」
二人は首をひねりながら、笑い合って去っていく。
黙ってそれを見送る。
俺の必死の実験結果は、世界から見ればただの「風のイタズラ」で片付けられたらしい。
(勇者。今頃何してるのかな……)
今でもふとした瞬間に思いだす。あの可憐な少女のことを。
俺の体の奥深くには、あの勇者が残していった大切な手紙が、今も静かに眠っている。
一度は《転送》の意識を向けかけたが、すぐに思考を打ち切った。
勇者がどこにいるかもわからない。
これでは試しようがない。
「届かないものは、届かない、か」
万能の【どこでもポスト】には、まだ程遠い。
今の俺にできるのは、視界が届く狭い範囲まで。
それでも──今日はひとつ、大きな収穫があった。
この場所からは動けなくても、想いを乗せた手紙なら、ほんの少しだけ先に走らせることができる。
(……ルミナの目の前に、いきなり俺が現れたら、流石に驚くだろうな。いつか、できるかな)
そんな光景を想像して、一人でくすりと笑う。
声なんて出ない。
けれど、夜風の中で投函口の蓋が、カタンと小さく鳴った気がした。




