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第26話 おにぎりマスターの恐怖。


 街にはまだ、魔獣騒動の傷痕が痛々しく残っていた。

 打ち砕かれた店先。傾いた看板。

 がれきを黙々と片付ける住民たちの姿。

 それでも、街は少しずつ、確かな歩みでいつもの生活を取り戻そうとしていた。

 俺はいつもの定位置から、その光景をじっと眺める。

(……本当に大変だったな)

 小さな街の大きな事件は終わった。

 壊れたものは時間をかけて直り、街は再び日常の時を刻み始めている。

 そこへ、見覚えのある人物が歩いてきた。

 俺が身体を預かった、あのオッさんだ。

「おっ、街の英雄じゃないか!」

「子供を命がけで守ったんだって?」

「いやあ、本当にすごかったよ!」

 すれ違う住民たちから、次々と称賛の声が飛ぶ。

 オッさんは相変わらず、くたびれた服のまま鼻の下を思い切り伸ばしていた。

「いやぁ、ハハハ! そんな大したことじゃありませんよ! ハッハッハ!!」

 すこぶる調子に乗っている。

(……本当は俺が頑張ったんだけどな)

「もう大丈夫そうだね」

 隣に立つルミナが、安心したように微笑む。

「ようやく、いつもの街に戻ってきたみたいだな」

 黙々と復旧作業をする大人たち。

 その傍らで元気に走り回る子供たち。

 早くも営業を再開したパン屋から、香ばしい焼き立ての匂いが風に乗ってふわりと漂ってきた。

「パン。また食べたい?」

「……パン? 食べる!」

「ふふ。じゃあ、また持ってくるね」

 守りたかった風景が、こうして当たり前のように目の前にある。そのささやかな尊さを、俺は静かに噛み締めていた。


 ⭐︎


 ルミナと雑談を交わしつつ、俺はふと、投函口の中に違和感を覚えた。

 意識を集中させると、普通の郵便物とは明らかに違うものが一通、混ざっている。

 拙い文字が書かれた、切手の貼られていない便箋だ。

 普通の手紙なら、集配員の郵子さんが回収していく。郵便のルール上、俺が勝手に中身に手を出すことはできない。

 だが、これには切手がない。

 このままでは、郵子さんが回収しても配達されずに処理されてしまう。

 俺は投函口から、ニュッと便箋を取り出した。

「ルミナ、これをみてくれ」

「うん」

 ルミナが覗き込む。そこには、子供らしい丸っこい文字で、遠くの祖母を心配する短いメッセージが書かれていた。

「切手がないんじゃ、郵便として届かないよな」

 俺自身はここから動けない。

「悪い。これ、届けてもらえないか?」

 俺が取り出した便箋を、ルミナが両手で丁寧に受け取る。

「うん。任せて。私がちゃんと届けてくるね」

 俺が動けないポストだからこそ、ルミナが俺の代わりに「想いを届ける役」を引き受けてくれる。それが、今の俺たちの形だった。

 手紙を大事そうにしまったあと。ルミナがふと、不思議そうな顔で俺を見上げた。

「恒一さんって、優しいね」

「何がだよ」

「だって、誰に頼まれたわけでもないのに、そこまでやるから」

 お節介なポストだと、呆れているのかもしれない。

 俺は少しだけ言葉を探し、ゆっくりと答える。

「……預かったモノを守る。それが俺の仕事だから」

「そっか」

 ルミナは小さく呟き、少しだけ間を置いた。

 そして、悪戯っぽく、だけどどこか真剣な瞳で俺を見た。

「じゃあ……私のこともちゃんと預かってね」

「……なんだそれ」

「なんでもないよ」

 ルミナは嬉しそうに笑う。

「絶対なんでもなくないだろ」

 ルミナはそれ以上何も言わず、ただ優しく微笑むだけだった。


 ⭐︎


 夕方。

 ルミナが「また明日ね」と手を振りながら帰路につき、街に静寂が戻ってくる。

 俺はまた一人、ただのポストに戻る。

「こんにちはぁ〜! 天聖連のユーちゃんだよ〜」

 どこまでも明るく、どこか耳に障る甲高い声が街角に響いた。

 声のした方を見ると見慣れない外套をまとった一団が姿を現していた。

 その中心にいるのは、男性にも女性にも見える、小柄で掴みどころのない人物だ。

(天聖連ってなんだ? 警察か何かの調査機関だろうか)

 通りがかる住民たちが、引きつった顔でコソコソと呟いている。

「……おい、あれ『天聖連』のユーだぞ」

「おにぎりマスターの?」

「違う、本来はビースト……」

「よせ! 聞かれたら、やられるぞ」

「あんな奴まで来るなんて、魔獣事件の調査か……」

 住民たちの怯えようから察するに、かなり大きな捜査組織のようなものらしい。

「移動経路は北の街道から直進……」

「出現地点の周辺に、特殊な魔力の残留はなし」

「被害状況は軽微。奇跡的だな」

 調査員たちが足跡や壊れた建物の角度を調べ、目撃情報を手際よく集めていく。

(……なんで魔獣が来たか、か。確かに気になるな)

「── 報告! 北門付近の住民から、妙な証言が上がっています!」

 一人の調査員が、羊皮紙の記録をめくりながら声を張り上げた。

「魔獣と戦っていた、くたびれた中年についての目撃談です」

「ああ。一般人が魔獣と戦ったとは信じがたいがな」

「違います! その男の額に、不思議な『印』が浮かび上がっていたという証言が複数入っています!」

 調査員たちの顔つきが一変した。

「印……? 固有の魔力紋か?」

 彼らは羊皮紙の余白に、おぼつかない手つきで【〒】の形を描き写していた。

「魔物が出現した原因に、この『謎の紋章』を持つ者が深く関与している可能性がある!」

「本部に緊急報告だ! この紋章について過去の文献に記載がないか調べさせろ!」

 深刻な顔で、大真面目に議論を交わす調査員たち。

(……絡んでないし、魔物を呼んだ覚えもないんだが)

 思わぬ冤罪の影に俺が冷や汗を流していると──

「あれぇ? このポスト。ユーちゃん、とっても気になるな〜」

 先程自ら名乗りをあげていた「おにぎりマスター」ユーが、ぬうっと俺の目の前に立ちはだかった。

 薄笑いを浮かべ、獲物を舐め回すような不気味な瞳で観察してくる。

「ユーちゃんさん、私には……ただの郵便箱に見えますが」

 部下の一人がおそるおそる口を挟んだ。

「──だから君は一生ヒラなんだよ」

 先刻までの明るい声が嘘のように、氷のように冷たく鋭い声が響く。

「ひっ……! も、申し訳ありませんユーちゃんさん! 制裁だけは……『混ぜ込み』だけはご勘弁をぉぉぉ!!」

 部下の一人が悲鳴を上げて地面に平伏した。

 一体どんな恐ろしい技なのか想像もつかないが、とにかくユーちゃんという奴がヤバい存在であることだけは嫌というほど伝わってくる。

「……これ、持って帰って調べようかな〜」

 ユーは既に部下への興味を失ったのか、嬉々とした表情でこちらをみていた。

(もしかすると、これはまずい状況か?)

 万事休すかと思われた、その時。

「そこまでにしておけ」

 夕闇の街角に、凛とした声が響き渡った。

 飛燕だ。

 いつの間に現れたのか、彼女は静かにユーたちの背後に立っていた

「ああ〜、君かぁ」

 飛燕の姿を視界に収めた瞬間、ユーは一転して興味を失ったように肩をすくめた。

「面倒くさいから、僕はもう行くねー。撤収〜」

 ユーの合図一つで、謎の集団は素早く闇へと消えていった。

 嵐が去り、静まり返る街角。

 飛燕は去っていくユーたちの背中を冷たい瞳で見送ると、ゆっくりと俺に向き直る。

「あいつには、関わるな」

 静かだが、重いトーンで飛燕が呟く。

「理由は知らなくていい。……次にあいつが来たら、逃げろ」

 飛燕の一言で、俺の胸は、得体の知れない恐怖に包み込まれていた。

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