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第22話 パン。

 

 昼過ぎ。

 今日は珍しく、手紙を入れにくる人が少ない日だった。

 いつもの街角には穏やかな風が吹き、ポカポカとした日差しが注いでいる。

 俺は何をするでもなく、ただそこに立っていた。

 ポストだから当然だ。

 猫の姿で走り回ったり、激しい戦いに身を投じたりする方が本来はおかしい。

 ただ、一つ気になっていることがあった。

 ……勇者。

 守護竜を倒したという話が、どうにも引っかかる。

 できることなら、自分で確かめに行きたい。

 ルミナと一緒なら、少しくらい遠くまで行けるかもしれない。それでも、長時間動き続けるのは難しい。

「……どうしたものかな」

「恒一さん」

 聞き慣れた声が響く。

 路地の角から歩いてきたルミナは、小さな紙袋を大事そうに抱えていた。

「今日は早いな」

「うん。授業が午前だけだったから」

「そうか」

 ルミナは俺のすぐ前までやってくると、抱えていた紙袋を少し持ち上げて見せた。

「これ、持ってきたよ」

「何だ?」

「お昼ごはん」

「……俺、ポストなんだけど」

「知ってるよ」

「なら、どうして?」

「食べられるかもしれないから」

「その理屈、前にも聞いたぞ、ジュースで」

 ルミナが小さく笑った。

「じゃあ、試してみよう?」

「またかよ」

 袋の中から取り出したのは、何の変哲もない丸いパンだった。香ばしい匂いがふわりと漂ったかどうかはわからない。

「普通のパンだな」

「うん」

「それを、どうやって食わせるつもりだ?」

「ここから」

 ルミナが自信満々に俺の投函口を指差した。

「いや、そこは手紙を入れる場所だぞ」

「パンも入るよ」

「入るかどうかの問題じゃない!」

「じゃあ、小さくちぎる?」

「そういう問題でもない」

「難しいね」

「何も難しくないと思うんだけどな」

 ルミナはパンを一口サイズにちぎると、躊躇なく投函口へ放り込んできた。

 カタン。

「…………」

 歯はないが、咀嚼する感じを頭の中でイメージしてみる。次の瞬間、不思議と口の中に小麦の甘みが広がった気がした。

「どう?」

「……パンの味がする」

「やっぱり!」

 ルミナの表情がパッと華やぐ。

「パンだから当然だが、なぜだ……」

「恒一さんだからじゃない?」

「俺のせいなのか? そうか」

 ルミナ嬉しそうに、パンをもう一欠片小さくちぎった。

「はい、あーん」

「待て。自分で食べろ」

「私はもう食べたよ」

「そうじゃなくてだな……」

 カタン。

 断る間もなく二口目が投函される。

「うまい!」

「ふふ、よかった」

「なんでお前がそんなに嬉しそうなんだよ」

「恒一さんが喜んでるから」

「…………」

 こういう恥ずかしい言葉を、さらっと言う。最近は特にそうだ。

 俺は少しだけ照れくさくなって、視線を誤魔化すように空を見上げた。

「今日はこの後、何するんだ?」

「何もしないよ」

「何もしない?」

「うん。ここにいる」

「……暇じゃないか?」

「恒一さんといるから、いいの」

 ルミナは俺のすぐ隣に腰を下ろした。

 俺は動けない。ルミナも動かない。ただ二人で、のんびりと街角の風景を眺める。

 しばらくして、ルミナがふと思い出したように口を開いた。

「恒一さん」

「ん?」

「この前……飛燕先輩と話してたとき」

「飛燕がどうした?」

 少しだけ間が空く。

「楽しそうだったね」

「そうかな」

「うん」

「まあ、あれは……」

 俺は少し考える。

 楽しくはない。むしろ怖かった。

 途中から弄るのが楽しかった気がしないこともないが。

「飛燕が変なところで勘がいいから、面白がってただけだよ」

「……そっか」

 ルミナはそれ以上何も言わなかったが、気のない返事をしながら、心持ち俺のほうへ体を寄せてきた。

「近くないか?」

「嫌?」

「……嫌じゃないけど」

「じゃあ、いいね」

「お前、最近そういうところ遠慮なくなったよな」

 ルミナがいたずらっぽく笑った。

「私は昔から変わらないよ?」

「そうだっけ?」

「うん」

 風が吹き抜け、ルミナの髪を柔らかく揺らす。

「ねえ、恒一さん」

「なんだ?」

「明日も来ていい?」

「ダメだと言っても来るだろ」

「じゃあ、明後日も?」

「何も言わなくても毎日来てるだろ」

「うん」

「……まあ、いいけどな」

 ルミナは満足そうに目を細める。

 俺は彼女の横顔を、ただ眺めていた。

 ポストとしては、悪くない時間だった。



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