第17話 ルミナに謝れ。
俺は今──ルミナの中にいる。
さっきまで四本足の猫だったはずの身体は、いつの間にか二本の脚で立ち、自分の両手を持っていた。
「……何が起きたんだ」
ゆっくりと、拳を握り、開く。
わずかなタイムラグを経て指が動いた。
まだこの身体の感覚には馴染めていない。
だが──迷っている猶予はなかった。
「なっ……!?」
目の前から伸びてきた男の手を、払い飛ばす。
「──ッ、この、クソ女が……!」
男の顔が醜く歪んだ。
ずっとルミナは、この男たちに酷いことをされ、耐え続けていたんだ。
今の俺に出来ることを考える。
「今ならまだ、許してやる」
「……あ?」
一瞬の静寂。
直後、男たちは腹を抱えて笑い始めた。
「なんだよお前! 急にどうした!?」
「それはこっちのセリフなんだよ!」
嘲笑を背に受けながら、俺は静かに一歩を踏み出す。
「俺はルミナを引き受けた。守ってやる責任がある」
「は?」
「ルミナが無事なら、それでいいんだ。だからもう、俺たちに関わるな。このまま消えてくれ」
自分でも驚くほど、声は冷静だった。
話し合いが通じる相手であってくれと、淡い期待を込めながら語りかける。
だが──。
「お前、マジでイカれてんな」
男たちが腰のベルトへ手を伸ばし、小振りの杖を抜き放った。
次の瞬間、空気が跳ねる。
細く鋭い何かが、こちらへ向かって飛んでくる。
「……ッ!」
頭で考えるより早く、身体が勝手に跳ねた。
右足を踏み込み、軸をズラす。
間一髪、頬をかすめた風の刃が背後の樹木に深く突き刺さった。
(速い……! でも、見える!)
脳裏に浮かぶのは、かつて読んだ体術の教本。
その体捌きが、今まさに現実にトレースされている。
「避けた……だと!?」
「まぐれだ、このままやっちまえ!」
動揺を振り払うように、別の男が即座に杖を構え、振り下ろす。
「燃えちまえよ!」
正面から迫る炎の塊。
俺は咄嗟に、ルミナの腕を前に突き出した。
『──《転送》可能です──』
頭の中に直接響いた無機質な声。
「……転送」
よく分からないまま能力を発動させると──眼前まで迫っていた火球が、一瞬で消えた去った。
「なっ!? ──ぎゃあああッ!?」
次の瞬間、悲鳴を上げたのは呪文を放った当人だった。
男の目の前に突如として火の玉が舞い戻り、胸元へと直撃したのだ。
「クソっ、なんで……俺の魔法が……!?」
必死に地面を転がり、服についた火を消そうとする男。
「な、なんだ今の能力は!?」
「……俺にもよく分からない」
嘘偽りなく、本当に分からない。
ただ、一つだけ確信できた。この能力は使える。
「お前たちの魔法程度なら、なんてことないらしい」
「ふざけるなッ!」
残る二人が同時に手のひらを突き出した。
空間を凍てつかせるような氷塊と、不恰好な土塊。
属性の異なる魔法連撃が襲い来る。
俺は一つずつ、その軌道を見極める。
『──《転送》可能です──』
「転送」
氷塊が消える。
『──《転送》可能です──』
「転送」
土塊も消える。
そして──次の瞬間には、それぞれの魔法が放った本人へと正確に送り返されていた。
「ぎゃあッ!?」
「な、なんだあっ!?」
絶叫を残し、二人が同時に転倒した。
残るは一人。
ルミナを散々笑いものにしていた、リーダー格の男だ。
「嘘だろ……」
男が一歩、後ずさる。
俺の視線と交差した瞬間、その瞳に明確な焦色が浮かんだ。
「もういいだろ。仲間を連れて帰れ」
本心をぶつければ、分かってくれると思った。
だが──男の目から戦意は消えていない。
「範囲内に入ると反射するのか……? 視認性か……?」
ぶつぶつと呟く男。
俺はもう、心底どうでもよくなっていた。
ルミナが無事ならそれでいい。それだけだ。
「これならどうだッ……!」
男が杖を頭上へ掲げた。
幾本もの光の粒子が、上空で収束する。
「光矢弾!」
降り注ぐのは、視界を埋め尽くす眩い光の雨。
(雷……? いや、教本で見た光属性の中級魔法)
《転送》能力が反応しない。
どんな魔法も無条件で返せるわけではないらしい。
「ハッ、やはりな!」
男が勝利を確信したような笑みを浮かべた。
「お前、送り返す魔法を目視で選んでいたな!」
なるほど。視界内にある物質を転移させる力か。
「死角や不意打ち、多面攻撃は返せない……チンケな魔法だぜ!」
丁寧な解説、感謝する。
どうやら他の連中よりは頭が回るらしい。
だが──今の俺には、そんなことは関係ない。
俺は、強く地面を蹴った。
頭上から降り注ぐ光の矢。
その隙間を、縫うように駆け抜ける。
「──だったら、どうした?」
「……は? な──」
男が反応しようとした時には、すでに遅すぎた。
俺はすでに、男の懐へと潜り込んでいる。
腰を深く捻り、まっすぐ拳を突き出す。
ドスッ、と重い衝撃が男の腹を穿った。
「ぐっ……ガハッ!?」
浮き上がる身体。男は無様に旋回し、そのまま勢いよく地面へ叩きつけられた。
ようやく、静寂が戻ってきた。
倒れた男子生徒たちは、誰一人として立ち上がろうとしない。息を整える俺の頭の中に、懐かしい声が響く。
『……恒一さん』
「ああ」
頭の中で、ちゃんと聞こえている。
いつものルミナの声。
今はただ、その存在が妙に嬉しかった。
「……ルミナのくせに……生意気な出来損ないがぁ……!」
倒れていた男の一人が、膝をガクガクと震わせながら這い上がってきた。
その侮蔑に満ちた言葉を聞いた瞬間、胸の中かが弾けた。
「……今、なんて言った?」
「魔法もろくに扱えないくせに……! お前のせいで俺は……!」
ゆっくりと、男に向かって歩み寄る。
ビクッと肩を揺らした男の顔には、隠しきれない「恐怖」が張り付いていた。
「ルミナに、謝れ」
「……あぁ!?」
男が逆ギレするように目を吊り上げる。
「お前とルミナの間に何があったかは知らん──」
俺がやりすぎたのも認める。
この男にも何か事情があったのかもしれない。
「だが、どんな理由があろうと、他人を傷つけていい理由にはならない」
「うるせぇんだよ! お前に何が分かるってんだ!」
「……女の子をいじめて、何がそんなに楽しいんだよ」
「さっきから聞いてりゃ何言ってんだテメェ! 全部お前のことだろうがッ!」
尚も見苦しく喰い下がる男。もはや子供の喧嘩だ。
「──そこまでにしておけ」
静かな声が裏庭の空気を切り裂いた。
響く足音。ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは──黒髪のポニーテールを揺らし、涼やかな瞳でこちらを見つめる一人の女生徒だった。
「先輩……!」
「お、お疲れ様です……!!」
さっきまで地べたを這い回っていた男たちが、弾かれたように跳ね起きて頭を下げる。
動揺を隠せない様子で少女の顔色を窺っていた。
だが、その少女の鋭い視線は、男たちを一瞥もせず──まっすぐに俺だけを射抜いていた。
「……あなた、何者です」
一切の隙がない、射抜くような眼光。
俺は何も答えることができなかった。




