第10話 手から出る芋。
朝が来た。
俺はいつものように、街角の定位置で静かに佇んでいた。
空はどこまでも澄み渡り、吹き抜ける風も穏やかだ。
いつもと変わらない朝──のはずなのに、
「……来ない」
石畳を叩く、あの聞き慣れた馬の蹄の音が聞こえてこない。
いつもなら、もうとっくに到着している時間だ。
まさか、あの真面目を絵に描いたような銀髪の勇者様が寝坊でもしたのだろうか。
(いや、考え過ぎるのはよそう。単に昨日の任務が長引いただけかもしれない)
そう自分に言い聞かせ、俺はジッと待った。
だが、淡い期待も虚しく、午前中が過ぎ去っても彼女は現れなかった。昼を過ぎても、影すらのぞかせない。
街の人々は、いつもと変わらない日常を過ごしている。
俺の投函口へ、世間話や愛の告白、他愛のない手紙を投げ入れていく。
カタン、カタンと、心地よい音が胸の奥に響く。
世界はいつも通り回っている。
なのに、あの銀色の髪をなびかせた少女だけが、どこにも見当たらなかった。
「…………」
胸の奥で、嫌な予感が静かに、けれど確実に大きくなっていく。
午後になり、俺の前を通り過ぎる冒険者たちの会話が、風に乗って耳に届いた。
「おい、聞いたか? 例の特別任務に出た勇者の話」
「ああ……まだ戻ってきてないらしいな。北の街道あたりで連絡が途絶えたとか」
「マジかよ。無事だといいけどな……」
俺はその言葉を聞き逃さなかった。
特別任務、北の街道、連絡途絶。
いくつもの単語が頭の中で交錯し、一瞬で思考が真っ白になる。
(まさか。本当に?)
俺が約束を交わした相手が、どこにいるのかわからない。
俺はポストだ。
動くことも、追うことも、探すことすらできない。
ただ、この冷たい石畳の上に突っ立っていることしかできないのだ。
「く……っ」
声にならない焦燥が、胸の奥に募っていく。
そのときだった。
「おはよう、恒一さん」
明るい声をかけてくれたものの、俺の異変を感じ取ったのか、少し首をかしげる。
「……どうかしたの?」
「俺、いつもと何か違うかな?」
「うーん、見た目はいつも通りのポストだけど?」
「じゃあ、なんで聞いたんだよ」
「顔色というか……雰囲気が暗いから?」
「ポストの雰囲気に、明るいも暗いもないだろ!」
気持ちは沈んでいたはずなのに、いつもの調子で思わずツッコミの声が大きくなってしまった。
ルミナは周囲の目を気にするように、声を潜めて言った。
「……いつもの勇者さんが、来ないんだ?」
「ああ」
俺は短く答えた。
「特別な任務に出たらしいんだが……連絡が途絶えたって話を聞いた」
「……そっか」
何かを察したのか、ルミナの顔からいつもの無邪気な笑みが消える。
「その人のこと、心配なんだね」
「当たり前だろ。俺は……また会う約束をしたんだ」
ルミナは何も言わず、静かな瞳で俺を見つめている。
自分の苛立ちをぶつけるような言い方をしてしまい、俺は小さく息を吐いた。
「……ごめん。これじゃあ、八つ当たりだよな」
「ううん、気にしないで」
ルミナは優しく首を横に振る。
そして、何かを思い巡らせるように少し間を置いてから、ぽつりと口を開いた。
「ねえ、恒一さん。私ね、これでも一応……魔法が使えるんだよ」
「……そうだったな。前に魔法の才能がどうとか言ってたっけ」
「……もしかして、全然期待してない?」
「してる。しすぎてしまっている」
「即答なんだ……」
ルミナは少しだけ困った顔をした。
「でも、たいした魔法じゃないよ。基礎の基礎くらいだけど」
「どんな魔法なんだ?」
「簡単なものなら……追跡鳥」
ルミナは両手を前に突き出した。
彼女の手のひらに小さな光の粒子が集まり、眩しく弾ける。
──ポンッ!
「……芋?」
光が収束したあと、ルミナの手のひらから転がり出たのは、小ぶりなジャガイモだった。
それがコロンと音を立てて地面に落ちる。
「芋っ! 芋だ!?」
「これは、失敗……だね」
ルミナは一瞬で顔を真っ赤にしてうつむいた。
だが、俺は初めて見る魔法に感動していた。
「──すっげえぇっ!!」
「……え!?」
俺の勢いある叫びに、ルミナが目を丸くする。
「これが魔法か! 手から芋が出たぞ! すげえ!!」
「で、でも……芋だよ? 鳥じゃないよ?」
「芋だって立派な魔法だろ! すげえよ、これさえあれば食費が浮く! 買い物の必要がないな!」
「……そこなの?」
ルミナは地面から拾い上げた芋を、複雑そうな表情で見つめた。
「私、同じ失敗ばっかりで……何をやってもダメ。もっとちゃんと魔法が使えれば、あの勇者さんを探す手伝いができたかもしれないのに」
彼女の声が急に小さく沈み込む。
「私……何の役にも立てないね」
「そんなことあるかよ」
俺は即座に言った。
不完全だろうが失敗だろうが、彼女は自分の力で芋を出した。それで十分だと思う。
「なあ、ルミナ」
「なに?」
「俺とルミナの力を組み合わせたら、どうだ?」
「組み合わせる……?」
俺には手紙を保管し、引き出す能力《預かる者》がある。そしてルミナには、不器用でも魔法の力がある。
一つの力は弱くても、二つの力を合わせれば、状況を打開する手がかりになるかもしれない。
「二人の力で勇者の痕跡を探してみないか?」
「……それなら、できるかも!」
ルミナの瞳に、パッと光が宿った。
「よし、じゃあ早速試してみよう」
俺は意識を集中させ、ポストの中に眠る一枚の手紙に狙いを定めた。
ニューっと、投函口から手紙が出てくる。
「それって……」
「勇者が残していった手紙だ」
本来なら、誰にも渡したくはない。
だが、今は非常事態だ。それに、俺は目の前のルミナという少女を信頼していた。
「……」
ルミナが食い入るように手紙を見つめている。
「……おい、絶対に読むなよ?」
「読まないよっ!」
「いや、なんか目が真剣すぎるだろ。中身を熟読する気満々じゃないか?」
「読まないってば! 投函口からニュッと手紙が出てきたのが怖かっただけ!」
軽口を叩き合いながらも、俺は大切に預かっていた手紙をそっとルミナの手元へと向ける。
「これに、魔法で何かできないか?」
「やってみるね」
ルミナは手紙を両手で優しく包み込み、ゆっくりと目を閉じた。
「……えっと……紙印鑑定……紙印鑑定……!」
彼女の掌から、じんわりと淡い朱色の光が溢れ出し、手紙全体を包み込んでいく。
「今度こそ……!」
──キュポン。
「…………」
俺は無言になった。
朱色の光が弾けたあと、ルミナの手元に残されていたのは──青々とした一本の長ネギだった。
「……もしかして、八百屋さんですか?」
「なんでっ!?」
ルミナが叫んだ。
「私だって、今度は成功したと思ったのに!」
「いや大成功だろ。いやあ、素晴らしい魔法だな!」
「じゃあ、なんで笑ってるの!」
「笑ってない。ポストは笑わない」
「笑ってる!」
ルミナが頬を膨らませる。
その様子を見ていると、少しだけ気持ちが軽くなった。
「……待って」
ルミナが突然、手紙を見つめた。
「どうした?」
「この手紙……」
彼女はネギを脇に置き、再び手紙にそっと触れた。
「この手紙……何か伝えたいことがあるみたい」
「声でもあるのか? 俺が喋ってるみたいに?」
「うん」
ルミナは集中するように固まっていたが、急に困惑したように眉を寄せた。
「……なにか、変」
「どうした? 何かあったのか」
「声が、聞こえないの」
「さっき聞こえるって言っただろ」
「そうじゃないの」
ルミナは手紙を強く握りしめた。
「声の『気配』はあるの。でも、途中で掻き消されてしまう……何かに強く遮られてるみたいに」
勇者の手紙。
そこに残されたかすかな想いの残滓。
それが何者か──あるいは何らかの強力な力によって、読み取れないように妨害されているのだろうか。
「……何が原因か、分かりそうか?」
「分からない……。でも、こんなの普通じゃないよ。誰かが意図的に遮断してるのかも……」
「……そうか」
ふたたび、二人の間に重い沈黙が落ちた。
追跡魔法は失敗し、手紙に残された手掛かりも途中で遮断されている。
結局、俺一人では何一つ解決できない。
手も足もないポストの無力さを痛感する。
ルミナが少し躊躇しながら、尋ねてくる。
「もし……前に言っていた『私を預ける』っていう能力を使ったら……?」
「まだ早い」
俺は即座に答えた。
「え……」
「お前をそんな危険な目に遭わせたくない」
ハッキリとした拒絶に、ルミナは驚いたように目を丸くした。
「俺自身がまだこの能力をうまく扱える自信がないんだ。人間を引き受けたときに何が起きるか、安全性も検証できてない」
「……そう、だよね」
「でも、必要なら考えるかもしれない」
「含みを残すの、ずるい」
「ずるくて結構! それがポスト人間だ!」
「ポストだとズルいの?」
彼女は少しだけ、困ったように笑った。
「ルミナの気持ちは本当に嬉しい。でも焦るな。一緒に方法を考えよう」
「……うん。でももし、恒一さんの力と私の魔法を上手に組み合わせられたら……今まで見えなかったものが、きっと見えるようになると思う」
ルミナの言葉に、俺は深く頷いた。
リスクはあるが、検討する価値は十分にある。
俺は一晩じっくりと考えることにした。
「今日は、ここまでにしよう」
「うん」
二人で力を合わせても、勇者の手がかりは見つからなかった。
だが、朝までとは状況がまるで違う。
「明日、また考えよう」
「そうだね。私も魔法の練習を頑張る」
「次は、人参を頼む」
「もう! 八百屋じゃないってば!」
ルミナは笑顔で手を振って路地の奥へと去っていった。
街に夕闇が迫り、俺は再び一人になった。
「…………」
俺は誰の耳にも届かない小さな呟きを漏らす。
「……頼むから、無事でいてくれ」
その言葉はどこにも届かなかった。




