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神酒鑑定師と鬼の王  作者: 蒼崎しんのすけ


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 第三話「北野の梅、鬼の宴」

夜の北野には、梅の香りが漂っていた


季節は秋


梅が咲くはずのない時期だった


それでも境内には、白い梅が咲いている


一本


また一本


奥へ進むほど、その数は増えていった


「……気味が悪い」


真澄が呟く


隣を歩く茨木が頷く


「普通の梅ではありません」


「分かる?」


「鬼の匂いがします」


その前を歩く酒呑童子は、梅の枝を一本折った。


匂いを嗅ぐ


「違うな」


「何が?」


「これは鬼じゃねえ」


酒呑童子が枝を握り潰す


黒い液体が、ぽたりと落ちた。


「怨みだ」


真澄の表情が変わる


「梅そのものに怨みが染み込んでる?」


「そういうことだ」


酒呑童子は歩き出す


「誰かが道真の怨念を、梅と酒に混ぜてやがる」


「何のために?」


「知らん」


「分からないの?」


「分からねえから探してるんだろ」


酒呑童子は振り返った。


「ただな」


金色の瞳が鋭くなる


「こういう奴は嫌いだ」


「……どうして?」


「人の怨みを、自分の道具にしてやがる」


酒呑童子の声が低くなる


「怨みってのはな」


彼は梅の木を見上げた


「本人が背負うもんだ」


その瞬間


――カァン


どこからか鐘の音が響いた


真澄が振り返る


「今の……?」


二度目


――カァン


三度目。


――カァン


梅の木が一斉に揺れた。


白い花びらが空へ舞い上がる


そして


その花びらの一枚一枚に、人の顔が浮かび始めた


「うわっ!」


真澄が後退する


茨木が構える


「兄様!」


「分かっておる」


酒呑童子は笑った


「来るぞ」


梅の花びらが集まり、一つの巨大な人影になる


白い衣


長い髪


雷をまとった身体


「菅原道真……?」


真澄が呟く


だが


酒呑童子は首を振った


「違う」


「え?」


「偽物だ」


巨大な影が叫ぶ


『恨めしい……』


『都を恨め……』


『人間を恨め……』


『この世を恨め……』


無数の声が重なった


真澄は耳を塞ぐ


「何だよ これ……」


酒呑童子が前へ出た


「道真」


影の奥から、本物の声が響く


「……私はここだ」


白い光が現れる


道真本人だった


偽物の怨霊と、本物の怨霊


二つの存在が向かい合う


「私の怨みを勝手に使うな」


道真が言う


偽物が笑った


『お前の怨みは、もはやお前だけのものではない』


『千年の怨念が、この国には積もっている』


『それを一つにすれば――』


黒い影が膨れ上がる


『最強の怪異が生まれる』


酒呑童子の眉が動いた


「最強の怪異?」


『そうだ』


「くだらんな」


酒呑童子は拳を握った


『何?』


「怨みを集めて強くなった奴なんざ――」


赤い鬼気が全身から噴き出す


「ただの寄せ集めじゃ」


酒呑童子が跳ぶ


拳を振り抜く


――ドゴォン!!


巨大な影が吹き飛んだ


真澄が目を見開く


「一撃……」


茨木が嬉しそうに笑う


「さすが兄様!」


しかし


影は崩れない


黒い霧になって、再び集まる


『鬼の王……』


『お前は千年前から変わらない』


酒呑童子の目が細くなる


「わしを知ってるのか?」


『当然だ』


黒い影から、一本の腕が伸びる


その手には古びた盃があった


酒呑童子の顔から笑みが消えた


「……その盃」


真澄も気づいた


「それ 酒呑童子が持っていたものと同じ……」


「いや」


酒呑童子が答える


「同じじゃねえ」


「え?」


「俺の盃は 千年前に道真へ渡した」


道真が振り返る


「……そうだったな」


「お前が持っていたのか?」


道真は首を振った


「私は死ぬ前に失った」


酒呑童子は黒い影を見る


「じゃあ 誰が持ってる?」


影が笑う


『知りたいか?』


「当たり前だ」


『ならば飲め』


黒い盃から、黒い酒が流れ出す


地面に落ちた瞬間


周囲の景色が変わった。


真澄は息を呑んだ


そこは千年前の京都だった


道真が都を去る日


雨が降っている


道真は一人、馬に乗っていた。


その前に酒呑童子が立っている


「行くのか」


「ああ」


「戻ってこい」


「……努力しよう」


「約束だぞ」


道真は笑った。


「ならば一つ、頼みがある」


「何だ?」


「もし私が怨霊になったら――」


酒呑童子の表情が変わる


「その時はわしがぶん殴ってやる」


道真は笑った


「頼もしいな」


だが


その二人の会話を、遠くから見ている者がいた。


黒い影


そして


影の横には、もう一人の男


「……誰だ?」


真澄が叫ぶ


だが顔が見えない


男は一本の酒瓶を置いた。


瓶には――


「平」という文字が刻まれていた


真澄が目を見開く


「平……?」


映像が途切れた


現実へ戻る


酒呑童子が黙っている


「兄様?」


茨木が心配そうに声をかける


酒呑童子は答えなかった。


やがて


「……次は東か」


真澄が尋ねる


「東?」


酒呑童子が盃を見る


「平の字」


「まさか……」


道真が静かに呟く


「平将門」


その名前が出た瞬間


境内の空気が変わった


雷が止まる


梅の花が落ちる


黒い影が笑った


『ようやく気づいたか』


酒呑童子が振り返る


「お前の目的は何だ?」


『三人だ』


「三人?」


『怨みを抱えた三人の魂』


道真が険しい顔になる


『菅原道真』


黒い影が道真を指差す


『平将門』


そして


『崇徳院』


真澄の背筋が凍った。


日本で特に恐れられてきた、三つの怨霊


『三つの怨みを一つにする』


黒い影が笑う


『そうすれば――』


酒呑童子が影の前へ立った


「させねえよ」


『鬼の王……』


「三人の怨みを勝手に混ぜるんじゃねえ」


酒呑童子の鬼気が爆発する


「怨みも悲しみも怒りも――」


拳を握る


「それぞれ本人のもんだ!」


酒呑童子が地面を蹴った。


一瞬で影の懐へ入る


「他人の酒を勝手に混ぜるんじゃねえ!」


拳が直撃する


――轟!!


黒い影が粉々に砕け散った


梅の花びらが夜空へ舞い上がる


しかし


完全には消えなかった


最後に黒い影は一言だけ残した


『待っているぞ、鬼の王』


そして消えた


静寂


真澄は酒呑童子を見る


「……逃げられた?」


「ああ」


「追わないの?」


「追うさ」


酒呑童子は笑った


「だがその前に――」


彼は道真を見る


「お前の酒を濁らせた原因を きれいにしようぜ」


道真はしばらく黙っていた


そして


初めて穏やかな顔で笑った。


「……酒呑童子」


「なんだ?」


「一杯付き合え」


酒呑童子の顔が輝く


「もちろんだ!」


真澄が呆れる


「結局それかよ」


「当たり前だろ」


酒呑童子は笑った


「千年ぶりなんだぞ?」


三人は北野の境内を出る


その夜


真澄は「鬼灯」で一升瓶を開けた


京都の酒。


米の甘み


穏やかな香り


道真は盃を手に取る


「……懐かしい」


「分かるのか?」


「酒には記憶がある」


道真は静かに答えた


真澄は笑う


「それ 俺の台詞なんだけど」


酒呑童子が大笑いする


「ははは!」


三人の盃が重なる


カン


その瞬間


道真の身体から、黒い煙が抜けていった。


長い間、彼を縛っていた怨念の一部が消える


道真は目を閉じる


「……これでいい」


真澄が尋ねる


「成仏するのか?」


「いや」


道真は笑う


「まだ私にはやることがある」


酒呑童子が頷く


「そうだな」


「東へ行くのだろう?」


「ああ」


「ならば気をつけろ」


道真は真澄を見る


「平将門は、私より遥かに面倒な男だ」


酒呑童子が笑う。


「そいつは楽しみだ」


茨木が呆れた顔をする


「兄様 喧嘩相手が増えると嬉しそうですね」


「当たり前だ」


酒呑童子は酒を飲む


「強い奴と飲む酒はうまい」


その夜


京都から東へ


一羽の黒い鳥が飛び立った


その足には、一枚の古い札が結ばれている


札に書かれていた文字は――


『将門』


そして遠く離れた関東


誰もいない古い社で


一つの甲冑が、ゆっくりと立ち上がった。


カチャ


兜が動く


その中には――


何もなかった


ただ


地面に置かれた盃だけが、赤い酒で満たされていた


そして


誰もいないはずの社に、声が響く


「……酒呑童子が戻ったか」


甲冑の手が、盃を握り潰した

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