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神酒鑑定師と鬼の王  作者: 蒼崎しんのすけ


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第二部 第二話「梅の酒と雷神」

京都の朝は、静かだった。


昨夜までの騒ぎが嘘のように、鴨川には薄い霧が漂っている


その中を、三人の男女が歩いていた


天海真澄


茨木


そして――


酒呑童子


「なあ 真澄よ」


「何?」


「腹減ったのぉ」


「朝から?」


「千年ぶりに現世へ帰ってきたんじゃ腹くらい減るだろ」


「鬼って千年何も食べなくても平気なのか?」


「平気じゃが」


「じゃあ食べなくてもいいじゃん」


「気分の問題だ」


酒呑童子は堂々と言い切った。


茨木がため息をつく


「兄様は昔から食べ物と酒にはうるさいんです」


「へえ」


「特に酒は」


「知ってる」


真澄はため息つき笑う


「鬼の王だもんな」


「そういうことじゃ」


酒呑童子は満足げに笑う


しかし


三人の目的は観光ではない


昨夜、真澄が酒から見た映像


梅


白い衣


雷


そして――


怨


その酒を造っているという酒蔵が、京都から少し離れた場所にある


古い酒蔵だった


「ここか」


酒呑童子が門を見上げる


「名前は?」


「梅乃井酒造」


真澄が答える


「昨日 酒蔵の主人から連絡が来たんだ」


「どんな内容なの?」


茨木が尋ねる


「蔵の中で 誰もいないのに酒を注ぐ音がするって」


「酒を注ぐ音?」


「夜になると聞こえるらしい」


酒呑童子が笑った


「そりゃ怪異じゃな」


「なんで嬉しそうなんだよ」


「久々の仕事だからな」


酒呑童子は拳を鳴らした


「怪異退治は鬼に任せろ」


「今回 鬼が犯人だったら?」


「その時は俺が説教する」


「どうやって?」


「拳で」


「やっぱりそうなるのか……」


三人が蔵へ入る


中はひんやりしていた


巨大な木桶


米の香り


麹の甘い匂い


そして――


梅


真澄が足を止めた


「……梅の香りがする」


「分かるの?」


茨木が尋ねる


「うん」


真澄は目を閉じる


酒に残った記憶が、空気そのものに滲んでいる


「かなり強い」


酒呑童子の表情が変わった


「真澄」


「何?」


「触るな」


「え?」


「まだ見るな」


珍しく、酒呑童子が真剣だった。


「この匂い……知っている」


真澄が振り返る


「道真を?」


「ああ」


酒呑童子は静かに答えた


「俺は一度だけ会った」


「菅原道真と?」


「ああ」


茨木も驚いた


「兄様が人間の貴族と?」


「貴族だから会ったんじゃねえ」


酒呑童子は蔵の奥を見る


「酒を飲んだからだ」


「……それだけ?」


「それだけで十分だろ」


酒呑童子は笑った


「酒を飲む奴に身分なんざ関係ねえ」


その瞬間


――ポタ


どこからか水滴が落ちた


真澄が振り返る


酒樽の前に、白い液体が一滴落ちていた


「……酒?」


真澄が近づく


指先ですくい舐める


次の瞬間


視界が真っ白になった


梅


一面の梅


その中央に、一人の男が立っている


白い衣


長い黒髪


鋭い目


男は盃を持っていた


向かい側には――


赤い髪の鬼


「……酒呑童子」


若き日の酒呑童子だった


男が口を開く


「鬼よ」


「なんだ?」


「お前はなぜ、人間を襲わぬ」


酒呑童子は笑った。


「酒をくれるからだ」


「それだけか」


「それだけだ」


男は呆れたように笑う


「変な鬼だ」


「お前も変な人間だ」


二人は盃を合わせた


カン


――映像が途切れた


真澄は現実に戻った


「……今のは」


酒呑童子が静かに言った。


「俺と道真だ」


「本当に友達だったの?」


「友達……か」


酒呑童子は少し考えた。


「まあ、そんなところだ」


「じゃあ どうして道真が怪異に?」


「分からんのぉ」


酒呑童子は蔵の奥を睨んだ


「だから調べる」


その時


――ゴロゴロゴロ……


空が鳴った


晴れている


なのに雷鳴だけが響く


酒呑童子が顔を上げる


「来るぞ」


「何が?」


「道真だ」


次の瞬間


蔵の屋根を、


――雷が直撃した。


轟音


木材が砕ける


真澄と茨木が吹き飛ばされる


「真澄!」


茨木が真澄を抱えて転がる


酒呑童子だけは、その場から動いていない


煙の向こう


白い人影が立っていた


「……久しいな」


低い声


酒呑童子が笑う


「よう」


白い影が顔を上げる


雷光がその顔を照らした。


菅原道真


怨霊となった男


その目からは、青白い雷が走っていた


「酒呑童子」


「道真」


二人は向かい合う


「千年ぶりだな」


「そうだな」


「老けたな」


「死者にそれを言うか」


「冗談だ」


道真の周囲に雷が集まる


「……お前は何をしに戻った」


「決まっている」


酒呑童子が拳を握る


「酒を飲みに来た」


「……」


「ついでにお前の怨みを聞きに来た」


道真の表情が変わる


雷が一気に膨れ上がった


「聞く?」


「そうだ」


「私の怨みを……?」


「ああ」


酒呑童子は一歩前へ出る


「千年前お前は俺に言った」


「……」


「『人は、自分が知らないものを恐れる』ってな」


道真が目を細める


「よく覚えているな」


「俺様は酒のことなら忘れねえ」


「……相変わらずだ」


道真の口元が僅かに緩む


だが


次の瞬間


雷が落ちた


酒呑童子は拳を振り上げた


――轟!!


拳と雷がぶつかった


衝撃で蔵の壁が震える


「兄様!」


茨木が叫ぶ


「下がってろ!」


酒呑童子が叫び返す


「これは俺の喧嘩だ!」


「でも!」


「心配するな!」


酒呑童子は笑った


「千年前より俺は強くなってるぞ!」


雷を拳で弾き飛ばす


道真が目を見開く


「鬼の王……」


「そうだ!」


酒呑童子の角が赤く輝く


「俺様は酒呑童子!」


巨大な鬼気が周囲を震わせる


「お前の酒を勝手に濁らせた奴を――」


拳を構える


「ぶん殴りに来た!」


「……違う」


道真が呟いた


「何?」


「私の怨みはこれではない」


真澄が気づく


「じゃあ誰かが道真の怨霊を利用している?」


道真が真澄を見る


「酒を読む者よ」


「俺?」


「その酒を飲め」


「え?」


「私の記憶を見ろ」


酒呑童子が叫ぶ


「真澄、やめろ!」


だが真澄はすでに瓶を手に取っていた


栓を抜く


梅の香り


そして、一口


世界が反転した


今度の記憶は――


千年前の京都


道真が都を去る直前


そこに酒呑童子がいた


「行くのか」


「ああ」


「戻ってこいよ」


「難しいだろうな」


道真は笑う


「ならこれを持っていけ」


酒呑童子が一本の酒瓶を渡す


「何だこれは?」


「鬼の酒だ」


「飲めるのか?」


「飲んでみろ」


道真が飲む


そして笑った


「……うまい」


「だろ?」


二人は笑う


だが――


その直後


何者かが酒瓶に黒い液体を垂らした


記憶が途切れる


真澄が叫ぶ


「誰だ!」


黒い影


顔は見えない


ただ


その手に――


三本の爪があった


そして声


「怨みは酒になる」


「……!」


「酒は記憶になる」


「何をする気だ!」


「そして記憶は――」


黒い影が笑う


「怪異を呼ぶ」


そこで映像が消えた


真澄が現実に戻る


酒呑童子が駆け寄る


「真澄!」


「見た……」


「何を?」


「道真は自分から怪異になったんじゃない」


道真が静かに頷く


「その通りだ」


「誰かに怨みを利用されている」


「そうだ」


酒呑童子の顔から笑みが消える


「……面白くねえな」


茨木が尋ねる


「兄様?」


「俺が千年前に門へ行った後のことを誰かが利用している」


酒呑童子の拳が震える


「だったら――」


鬼気が爆発する


「探し出すぞ」


真澄も頷く


「うん」


道真が二人を見る


「私はまだ成仏するつもりはない」


「じゃあどうする?」


「この酒を濁らせた者を探す」


酒呑童子が笑う


「決まりだな」


真澄が言う


「でもその前に一つ」


「何だ?」


「酒が濁ってるなら――」


真澄は瓶を掲げた


「鑑定する」


酒呑童子が笑った


「それでこそ神酒鑑定師だ」


三人は蔵の奥へ進んだ


その日から


京都では奇妙な噂が流れ始めた


夜になると、梅の香りがする


雷の夜には、白い男が現れる


そしてその傍らには――


赤い髪の鬼がいる


人々はその鬼を恐れた


だが


酒呑童子は気にしなかった


「真澄!」


「何?」


「次の酒を探すぞ!」


「まだ道真の事件終わってないよ!」


「だから探すんだろ!」


「どこへ?」


酒呑童子は京都の地図を広げる


指を一箇所に突きつけた


「北野じゃ」


「北野?」


「梅と道真ならここしかねえ」


茨木が頷く。


「北野天満宮……」


酒呑童子が笑った


「行くぞ」


その目は、完全に鬼の王の目だった。


「今度こそ犯人をぶん殴る」


真澄はため息をつきながら酒瓶を抱える


「……結局戦うんだな」


「当たり前だ」


酒呑童子は笑う


「怪異退治ってのはな――」


夜空に雷が走った


「酒と拳でやるもんだ!」


京都の空に、再び雷鳴が響いた


そして


三大怨霊の一人――菅原道真


鬼の王――酒呑童子


神酒鑑定師――天海真澄。


三人の奇妙な旅が、始まった

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