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橘詩織
扉の外で仁村が私に謝っている。
正直そんなに気にすることではないとは思う。
仁村の感覚は正常なものだし、どちらかと言えば私のほうがおかしいのだ。たぶん普通なら私のこの能力を疎ましく思うのだろう。
能力を失い、仁村がいう普通の日常にあこがれを抱くのかもしれない。ただ私にとってもう当たり前でこれを失うことの方が怖い、それだけだ。
私が見えている物は見えなくなったとしてもそこにあるのだ。
それを知って、視てきた。それがあるとわかっているのに見えなくなるのあまりに恐ろしい。
だからもう私にはいわゆる普通の日常というものには戻れない。いや戻るというより、そんな日常を送る資格というものがそもそもなかったのだろう。
私は生まれた時からこの異常な日々から抜け出すことは出来ないのだ。今日短い間仁村かなでという人物と話してみてわかったのは彼女は善良な人間なのだろうということ。
最初こそ興味範囲で心霊スポットに行くような、考えなしのバカだと思っていた。だけどお世辞にも付き合いやすいと言いづらい私に嫌な顔をせず話しかけてくるし、なんなら世話をやこうとすらしてくる。
しまいには私と仲良くしたいとまで言ってくる。
だからこそ仁村は私とは関わるべきではないのだろう。
今彼女はこちら側に片足を踏み込んでしまったがまだ戻れる。
さっき外であったあの女を視て解決方法もわかった。
悠真の事だ、明日には段取りを終えて例の廃墟に行くよう手配してくれているはず。だから明日には終わる。それで仁村との関係も終わる。その方がいい。
わたしなんかと関わっても、ろくなことなんてないのだ。
???
大人になればなんだって出来る気がしていた。
両親を幼い頃に交通事故で亡くし、叔父の家で育てられた私にとって子供であるということは自分の無力感の象徴だった。
叔父の家で特に不自由があった訳ではない。
だかやはり自分の子ではない叔父にとって私は血の繋がった他人であり、義理で育てているだけでそこに愛情はなかった。
よくも悪くも無関心。家にいても最低限のやり取りしかなく、だから私の心には常に申し訳なさがあった。
高校を卒業して不動産の営業に就職した私は希望とやる気に満ち溢れていたと思う。
叔父の家を出て一人暮らしを始め、これから自力して私の人生の新しいスタートを始めるんだと意気込んでいた。
しかし、その気持ちは入社して僅か数ヶ月のうちに崩れ去った。何故なら私が入社した会社はいわゆるブラック企業だったからだ。
毎月設定される厳しいノルマ、毎日上司からのパワハラ。
サービス残業なんて物は当たり前。そんな過酷な労働環境に私の心はどんどんとすり減って言った。
終電で家に帰り、そのまま気絶するように眠ってそして始発で出社する、その繰り返し。
当然休みなんてなくて、友人達ともほとんど連絡を取れなくなっていった。そんな生活を続けていれば周りからどんどん人がいなくなっていく。
多くはなかった友人達もいなくなり、頼れるところもなかった私はただ仕事をこなすだけの歯車になっていった。
無理な設定のノルマを達成するために、殆ど詐欺のような手口でとお客様に物件を買わせていく
その後クレームが来ても知らぬ存ぜねを貫き通す、それが私の会社の方針だった。罪のないお客様を騙すのは心が痛んだ。
毎日のように鳴り響くクレーム電話から聞こえる罵詈雑言を聞き流すたびに心がすり減っていく気がした。
そんな環境で働いて数年、私はすっかり会社に染まり、ノルマを達成する為に悪どい営業をする事にも心が何も感じなくなってきた。
そんな時に他県の郊外にある山の所有権を持つ老夫婦が高齢のため管理してくれる不動産を探しているという話が入って来たのだ。
この頃うちの会社は無理な営業で地元の信用を失い、他県の物件を集めることに注力していた。
私はすぐにこの老夫婦に営業をかけた。気が良く優しい夫婦で子供はいないらしく、ただの営業の私を孫のように可愛がってくれた。
だから、とても…騙しやすかった。
言葉巧みに誘導し、いつも通り詐欺みたいな契約書にサインを書かせた。
罪悪感なんて物は既になくなっていた。ただ目の前にあるノルマと上司の叱責を回避する事だけしか頭になかった。
契約を締結した後、私はすぐに上司に報告し、そしてその山に老人ホームを建設することがトントン拍子で進んでいき、そして、私の破滅が始まった。
老人ホームの建設現場で作業員の事故が多発し始め、建設業者がここは忌み地なのではといい始めた。
忌み地、呪われた土地。私はオカルトなんて全く信じていなかったから相手にしなかったのだが、建築関係の人間はげんを担ぐ人が多く、作業を拒否し始めたのだ。
施工の納期が遅れれば損失が出る。そうなればまた私は上司に酷く叱責されてしまう。私はありとあらゆる建設業者に声をかけてなんとか工事を進めていった。
その間も事故は続く中なんとか工事を続けていく。しかし、現場だけではなくうちの会社の中でも不幸が起き始めた。
営業に出た社員が交通事故を起こす。原因不明の体調不良を訴える社員も出始め、どんどん人員がいなくなっていく。
そして建物が完成する頃には、私の会社は会社としての機能を維持することも出来なくなり倒産する事になった。
私の体調にも不調は現れていた。最近耳鳴りがずっと止まない。倦怠感が抜けず眩暈がする、ベッドから起き上がることすら億劫だ。
あれだけ身と心を削って勤めた会社がなくなり、ただベッドに寝転がり無為な日々を過ごす。
私はいったい何がしたかったのだろうか。
仕事を失い、改めて自分の今までを思い出すと目から涙が溢れる。
あの山を持っていた老夫婦の事を思い出した。
あの契約後何度も私宛に連絡をしていたが、その全てを無視してきた。
優しかったあの老夫婦を騙し、そしてその結果がこの有様だ。
謝ろう。許して貰えるとは思えない。ただの自己満足にすぎないが、それでもあの老夫婦に一度謝りたかった。
体調不良の体を無理矢理起こし、車を走らせて老夫婦の家へと向かう。家に着き緊張しながらチャイムを押すが応答はない。
留守か…そう思い踵を返そうとして玄関の扉に僅かな隙間があり開いている事がわかった。
どうしてそうしたかはわからない。
私は何かに導かれるように玄関を開けて家の中に入って行く。
ゆっくりと廊下を進む。廊下を一歩進むごとに耳鳴りが強くなる気がした。
気分が悪い。それでも進む足を止める事が出来ない。私は居間へと続く扉を開けた。
そこにあったのは老夫婦の死体がだった。
2つ並べられた布団。そこに横たわる老夫婦の顔は舌がだらしなく垂れ下がり、目は飛び出しあまりに苦しげな表情に歪んでいた。
その無惨な姿を見て私は膝から崩れ落ちた。目から自然と涙が溢れて止める事が出来ない。
私のせいだ。理由はわからないが確信があった。
ごめんなさい…許して下さい…
答えは返ってこない。返ってくるはずもない。それでも私は言葉と涙を止める事が出来なかった。
それからの記憶はあまりない。
気付けば私はあの老人ホームへと来ていた。
完成してまもないはずなのに何故か外観が暗い気がする。
私は車から荷物を取り出して建物の中へ進んでいく。
コツーン、コツーン
耳鳴りがひどい。頭の中にモヤがかかったようにはっきりとしない。それでも私は進む。
コツーン、コツーン
静かな建物の中に私の足音が響く。その後がまた頭痛を加速させる気がする。それでも私は足を止めない。
コツーン、コツーン
最上階である4階の角部屋。ここは広めの個室で、窓から見える景色もいい。この建物の中で1番いい部屋だ。
部屋の隅には大きなクローゼットがあり、扉を開けば中には頑丈なハンガーポールがある。
私はそれに持ってきた縄をくくりつけ輪をつくる。
近くにあった椅子を使って高さを調整し、そしてそれを首にかけた。
心にあるのは後悔と罪悪感。どうしてこうなってしまったのだろう?考えても答えは出ず、全て私が招いた結果。
もう考えるのも疲れてしまった。
私は自分の足元にあった椅子を思い切り蹴飛ばす。
首に全体重がかかりロープが締まる。
苦しい、苦しい、苦しい。
薄れゆく意識の中で私が最後に思ったのは…
仁村かなで
「ふん!」
「うぐっ!?」
凄まじい衝撃と共に私はソファーから転がり落ちた。
状況が全くわからず辺りを見渡すと私のすぐ横に片足をあげて立っている橘さんが目に入った。
どうやら橘さんに蹴られ、その反動でソファーから落ちてしまったらしい。
「ゲホッゴホッ…た、橘さん?」
「危なかったわね。あなた持っていかれるとこだったわよ」
「持っていかれる…?」
「夢、見てたんでしょ?」
夢、そう言われてさっきまで見ていたことを思い出す。1人の女性の記憶を追体験していた。苦しくて、救いのない記憶。
「あ、あれ?」
気付けば私の目から自然と涙が溢れていた。ポロポロと流れる涙を止める事が出来ない。
「忘れなさい」
「忘れなさいって…でも…」
彼女は確かに悪い事をしたのかも知れない。でもそれは巡り合わせが悪かった面もあると思う。
ただ必死で生きてその方向が間違ってしまったのだ。
もし彼女を途中で誰かが助けてくれていれば、こんなにも酷い結末にはならなかったはずだ。
「忘れなさい」
「でも…」
「忘れるのよ。何があったとしても結末は変わらないし、何も出来ない。もう終わってる事なのよ」
橘さんの言葉に私は俯く事しか出来ない。
「同情してはダメ。そいつにどんな過去があろうと隙を見せたらダメ。それとも…同情したから死んであげる?」
「それは…」
「死んだら終わりなのよ。たとえそれが不慮の事故だったとしても、どんな事情があったって死んだらもうこの世に関わってはいけない」
そういうと橘さんはしゃがんで私に目線を合わせる。
「だから忘れなさい。あなたは生きているんだから」
まっすぐ見つめられたその視線から私は目を逸らす事が出来ない。
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴る音がして橘さんは立ち上がり、玄関のほうへ歩いて行った。
私はその後ろ姿を視線で見送り、自分の袖で涙を拭う。橘さんの言葉は正しい。
私には私の人生があって、死んだ人のために自分の人生を捧げることは出来ない。
死者に引き摺られて心に影を残すのは良くない事なのだろう。
それでも、彼女にも救いがあって欲しいそうおもってしまう。
私がそんな事を考えていると橘さんが戻ってきた。
「悠真が来たわ。今から出かけるわよ」
「え?八島君?」
「中に入ればって言ったのに、流石に寝起きで他人に会うのは気まずいだろって。気にしないのに」
「いや、橘さんが気にしなくても私は気にするよ!?」
私は慌てて身支度を整え始めるのだった。




