橘詩織という少女
橘詩織
私は学校についてすぐに部室へと向かった。
既に時間は放課後、授業なんてやっているはずもない。
こんな時間にわざわざ学校に来る必要もなかったのだが、形だけでも学校に来ておかないと悠真がうるさい。
私自身の特殊な状況をこの学校の理事は理解している。なのでいわゆる保健室登校が認められているので教室に行く必要もないのだけど、それでも学校に来ていなければ出席日数としてカウントされない。
それも授業時間内に学校に居なければ意味がないのだが…
起きた時には既に夕方だったのだから仕方ない。
やはり昨日読み始めた本がよくなかった。
なんとなくタイトルが気になって手を出してしまったが、想像以上に面白く朝方まで読みふけってしまった。
いつも通りなら朝、悠真は私の家に迎えに来ていたはずだ。
夢の中にいた私は朝の記憶なんてないのであくまで想像でしかないが間違いないだろう。
合鍵は渡してあるのだから家に入ってきて起こしてくれればいいものを、私が応答しないかぎり悠真は絶対に家には入ってこない。
つまり私が寝坊したのは悠真のせいなのでは?
頭の中で理不尽に悠真に八つ当たりをすることで自分を正当化しようとするが、むなしくなったのですぐやめた。
授業時間には間に合わなかったが、学校にさえ来ていればまぁいいだろう。この後、悠真にまた説教されることを考え暗澹たる気持ちになりながらも部室に向かう。
そこで私は違和感に気づいた。
いつも感じるものとはまた違った違和感。そしてツンと鼻につく刺激臭。
経験から感じるやっかいな物の気配を私が向かう部室の方向から感じ、私は大きくため息をつく。
こんなことなら学校なんて行かずに家に居ればよかった。
そう思いながらも部室へ向かうと案の定、私が目指したボードゲーム部の前に座り込んだ女子生徒とおそらく霊であろう女の姿が視えた。
鼻をつく刺激臭が強くなる。
どうやったらこんなめんどくさい物と関わることになるのか。
大方、肝試しか何かで余計な事でもしたのだろう。
放置するかとも考えたが自分が目指す先、部室の前にいるのがよくない。そこで死なれても迷惑だ。
私は仕方なくその場に近づくと思いっきり女の霊の頭に向かってカバンをフルスイングした。
軽い手応えを感じて、女の霊が霧散する。そのことに私はまた違和感を覚える。あれだけの存在感と匂いを出す霊なのに手応えが軽すぎる。
カバンを払いながらそのことを考え、ちらりと視線を座り込んだ女子生徒に目をやる。
ふわふわとしたパーマがあてられた茶色の髪、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら私を見上げているが、うっすらとメイクをしていたのが流れて中々大変なことになっている。
なんとなく雨で濡れた子犬をイメージしてしまうのは、元の顔が素朴で小動物ぽいからだろうか。
特に特徴があるわけでもない、いや一か所、胸部装甲だけは一般的なサイズより大きいのが特徴だろうか。
私はその女子生徒のことを放置し部室の扉を開ける。
「あの!助けて下さい!」
「嫌よ」
ああ、学校に来るんじゃなかった。私は内心ため息をついたのだった。
仁村かなで
気まずい。それが今の私の正直な感想だ。
あれから橘さんに追いつき、橘さんについて歩いているがその間ずっと無言なのだ。
私から話しかければいいのだが、先程までの橘さんの態度から考えるとどうしても気後れしてしまう。
そんな感じですでに30分近く無言でずっと歩いている。
後をついて行って気付いた事だが、橘さんの歩き方はなんだか危ない。
何もない道を右に左にとふらふらと歩いていく。
後をついていく私も自然とその動きを追うので側から見たらかなり怪しかったと思う。
途中、舞と圭子からメッセージが届いていた。内容は私を心配する旨と本当ならついて行きたかったが八島君に説得され諦めた事。
そして何かあったら必ず連絡するようにと書いてあった。私はそれに返信しつつ橘さんの後について行く。
それと同時に保健室に運ばれたことで連絡があった両親への連絡も済ます。本当の事を話すわけにはいかず、軽い貧血だから大丈夫とメッセージを送信する。
それにしてもいったいどこまで歩くのだろうか。いきなり泊まりに行ってもご両親は大丈夫なのだろうか?
そういえば着替えも何も持っていない事を思い出す。
そんな事を思いながら歩いていると橘さんはあるマンションの前で立ち止まった。
そして私のほうをチラリと見るとそのままマンションの中に入っていく。私もその後に続いてマンションに入っていった。
オートロックを抜け、エレベーターに乗り最上階である9階の角部屋につくと橘さんは鍵を取り出し部屋の中に入って行く。
「お、お邪魔しま〜す…」
橘さんに続いて部屋に入り挨拶をする。私の声を気にもせず橘さんは廊下の奥へと進んでいく。
私は脱いだ靴を揃えてその後に続いた。廊下を抜けるとそこはリビングダイニングキッチンになっていて、橘さんはカバンを机の上に置くとこちらに振り返る。
「……着替えてくるから適当に座ってなさい」
そう言うと橘さんは隣室に入って行った。私はとりあえずソファーに座り改めて部屋の中を見渡す。
間取り的には1LDKのようだ。そしてシンプルで物が少ない。テレビも見当たらないし、最低限の家具しかない。
もしかしたら橘さんはミニマリストと言う奴なのだろうか。
「ん?」
ソファーに座りキョロキョロと辺りを見渡していると部屋の隅に奇妙な物を見つけた。それは積み上げられた洗濯物の山のようだ。
部屋に入った時は死角になっていて気づかなかったが、シンプルでキレイな室内に1点だけ山のように洗濯物が積み上げられている。
「えっと…」
部屋の隅で圧倒的な存在感を放つその洗濯物に戸惑っていると、隣室の扉が開き橘さんが出てきた。
格好が制服から青いシンプルなジャージに変わっている。
どちらかと言うとだらしないその格好もスタイルが良く美人な橘さんが着るとオシャレに見てるから不思議だ。
「なにジロジロ見てるのよ」
「ご、ごめん」
私が謝ると橘さんはフンッと鼻を鳴らしキッチンへ向かうとヤカンに水を入れて火にかけ始めた。
「コーヒーか紅茶。」
「え?」
「だからコーヒーか紅茶!あとは水しかないわよ」
「じゃ、じゃあコーヒーで…」
どうやらお茶を淹れてくれるらしい。これをきっかけに今までの気まずい雰囲気を打開すべく、話を広げようとした時私のスマホから着信を知らせるメロディが鳴った。
画面を見ると知らない番号が表示されている。
覚えのないその番号に先程の恐怖が思い出され画面を見たまま固まってしまう。
「うるさい」
いつの間にか隣に来ていた橘さんは私の手からスマホを覗きこむ。そして私からスマホを奪いとるとそのまま電話に出てしまった。
「もしもし。そうよ…固まったまま動かないんですもの…うるさいわね」
何が起こっているかわからずポカンとしている私に橘さんがスマホを返してくる。
「悠真が変われって」
「え?八島君?」
私はスマホを受け取り恐る恐る耳に当てる。
「も、もしもし?」
「「あ、もしもし仁村さん?ごめん八島です。斉藤さん達に連絡先聞いてさ。」
「あ、そうなんだ」
「「伝え忘れてた事があってさ。悪いとは思ったんだけど詩織スマホ持ってないから連絡手段なくて」」
八島君の言葉に内心驚いた。今時スマホを持ってない人がいるなんて。橘さんの方に視線をやると橘さんは首を傾げる。
「「もしかしたら気付いたかもしれないけど、詩織の奴生活能力皆無だから色々迷惑かけるだろうけど面倒見てやって」
「え?それってどういう…」
ピー!!
私が言葉の意味を聞こうとした時、キッチンでヤカンが音をたてる。その音を聞いて橘さんはキッチンへと向かって行った。
「「そのままの意味。炊事、洗濯。とにかく何にも出来ないから。たぶんだけど部屋の隅に洗濯物が固まってない?」
「うん…ある」
「「あいつあれだけ片付けろって言ったのに…部屋の掃除は定期的に俺がやったりしてるんだけどほら、洗濯物はねぇ…あ、仁村さん料理とか出来るタイプ?」」
「うん。そんな難しい物は作れないけど…」
「「なら冷蔵庫の中の食材は勝手に使っていいよ。俺が買い足したやつだし、詩織は料理出来ないから」
どうやら普段から八島君が橘さんの家の家事をやっているようだ。いったい2人はどういう関係なんだろう?私は2人の関係が気になった。
かなり親密な感じだし、もしかしたら付き合ってるのかもしれない。
「「詩織の奴、口は悪いし態度もデカいけど根はいい奴で寂しがり屋だからさ。無理にとは言わないけどよかったら仲良くしてやってよ」」
「うん。わかった」
なんだか恋人というより、橘さんのお母さんみたいな事を言う八島君の言葉にうなづき、通話を終了するとキッチンのほうからガッシャーン!と大きな音が鳴った。
「橘さん!?」
私は慌ててキッチンへて向かう。キッチンの床には棚から落としたのだろう皿やコップが散らばっていた。
「何?」
「いや何って、大丈夫?怪我してない?」
私は橘さんに駆け寄り全身を視線で確認する。どうやらぱっと見たかぎり怪我はしていないようだ。
よく見ると皿やコップは全部プラスチック製のようで割れてはいないようだった。私はしゃがんでコップや皿を拾い集める。
「それくらい自分で出来るわ」
「うん。でも一緒にやったほうが早いから」
橘さんもしゃがんで皿を拾いだす。たいした量が落ちた訳でもなかったのですぐに拾い終わり、私は拾った皿をキッチンにおいた。
「……ありがとう。」
「え?ううん。どういたしまして」
初めて橘さんから優しい言葉をかけられて一瞬びっくりしたものの、私は笑顔でそう返す。
橘さんは私から視線を逸らし、カップを2つ並べると棚からコーヒーの袋を取り出した。
そして袋にティースプーンを入れて中身をカップの中に入れ始める。
「あれ?橘さんそれってインスタントじゃないみたいだけど…?」
「え?」
見ていて気が付いたが橘さんが持っているコーヒーはインスタントではなくドリップタイプの物だ。
「それたぶんドリップタイプのやつだからコーヒーフィルターに粉を入れてからお湯かけるやつだと思う」
「え?なにそれ面倒くさい。悠真の奴…」
橘さんはそう言うと粉の入ったコップを苦々しく見つめる。
「えっと、まだフィルターに移せば大丈夫だと思うから」
「そんな物どこにあるか知らないわ。もう紅茶でいいわよね」
そう言うと橘さんは粉の入ったコップを横に避け、新しいコップを取り出す。あのコップはどうするつもりなのだろうか。まさかそのまま放置?
そんな事を考えついる間に橘さんは紅茶のティーバックを取り出し、それを2つコップに入れお湯を注ぐ。
そしてしばらくコップを見つめていたかと思うと私の方を向いた。
「ねぇ、これどれくらいで取り出すの?」
「えっと多分1分くらいでいいと思う」
「そう」
私がそう答えると橘さんはティーパックを取り出しそのまま流しに捨てた。
「えぇ…?」
その大胆すぎる行動に呆気にとらえていると橘さんはコップを2つ持ってリビングへ向かって行ってしまった。
コーヒーの粉が入ったコップと流しのティーパックはそのままである。その2つが気になったものの私も橘さんの後に続く。
さっき八島君が言っていたことがちょっとわかったかも知れない。
「はいこれ」
「あ、ありがとう」
リビングでお互いに向かい合って座り、橘さんが差し出してくれたコップを受け取り紅茶を1口飲む。ティーパックを取り出すのが早かったからか少し薄い気がする。
「薄いわね…」
「あはは、でも美味しいよ」
橘さんもそう思ったらしく顔を少し顰めて呟いた。
確かに少し薄いが、それでも温かい紅茶は自分を少しリラックスさせてくれる。
「まぁいいわ。とりあえずこれからの事について話しておきましょう」
「うん。お願いします。」
橘さんの言葉に私は姿勢を正す。
「まず、あの女だけどたぶんまた出てくるわ」
「う、そうなんだ」
「理由は知らないけど波長があったんでしょうね。それで、あなたがしなきゃいけないことがあるわ」
「しなきゃいけないこと?」
「怖がるな、同情するな、そして気にするな」
そう言って橘さんは一口紅茶を飲んだ。
「悠真も言ってだけど、幽霊って奴はこちらが気にしなければ基本無害よ。大抵の奴は相手にしなければそれでいいの」
「でも…それって難しいくないかな…?」
異常な現象が起きている中それを無視するのは中々に難しい気がする。
「それでもやるのよ」
橘さんの言葉に私は不安で黙ってしまった。正直あまり自信はない。
「……橘さんは凄いね。正直私は怖くて仕方ないよ…」
「……」
言葉に出来たのはそんな弱音だった。そんな私を橘さんは無言で見つめる。自分で心霊スポットに行って、自己責任だと思う。
でも怖がりながらも心のどこかで何も起きるはずはないと思っていたのだ。実際にこういった怪奇現象に襲われて、自分の想像力のなさ、危機管理能力の低さに自己嫌悪するばかりだ。
「……そもそもの前提が違うのよ。私とあなたでは」
「え?」
橘さんの言葉に俯きかけていた視線を橘さんに戻す。
「私は生まれた時から、記憶にある限りずっと幽霊やそういった物が見えてる。だから私にとってそれは当たり前の物なの」
「当たり前って…」
「だから私は怖がらないし、怖くない。あなた達とは感覚が違うからかしらね」
そう言うと橘さんは立ち上がる。そしてコップをキッチンまで持って行くとそのまま自室の扉へと向かって行った。
「少なくとも私の近くにいる間はなんとかしてあげるわ。だから気にしない事ね」
そう言って橘さんは自室へと入って行った。私はその姿を見送り手元のコップに視線を落とす。
私に感覚が違うと言った時の橘さんの表情。そこには私との立場に対する線引きと、ほんの少しの寂しさが見えた気がした。
さっき電話で八島君が言っていた事を思い出す。寂しがり屋そう言っていた。橘さんが見えている世界、それは一般的な普通とは違う。
それはどういう感覚なのだろうか。もしかしたらそれはずっと1人だけ異世界にいる感覚なのかも知れないと勝手に想像してしまう。
それがなんだか少しだけ、ほんの少しだけ自分と似てる気がした。度重なる引越しで、新生活が始まるたびに新たな環境に慣れるのは実際のところかなり心細い。
上手く馴染めない辛さも知っている。橘さんは常にそんな環境にいるのかもしれない。
「…よし!」
この時私は心の中で橘さんと仲良くなる事を決意した。
橘さんからしてみれば余計なお世話かも知れない。
ただ私が橘さんを放っておけないだけ、完全に自己満足。
私は決意を新たにコップを持って立ち上がるとキッチンへ向かう。流し台には洗わずに置かれたコップがそのままにしてある。
流し台に自分の使ったコップを置き、少し考えてから私は行動を始める事にした。




