8.母親
翌日の午前、オレは居間で本を読み、リーザも珍しくのんびりと編み物をしていた。
「速達で~す!」
玄関の外から声が響く。リーザは厳しい顔をするとソファを立って早足で玄関へ向かった。
速達。
オレがこの世界に来てからの十年間で、郵便物は何度も来たが、速達はこれが三回目だ。
戻ってきたリーザが手に持っていたのは封蝋付きの丸まった羊皮紙だった。封蝋の紋様はリーザ村のかなり北にあるモルダナ村のもの。前回も前々回もモルダナ村からだった。ならおそらく内容も……。
リーザが厳めしい顔のまま封蝋を割り、羊皮紙を広げる。額の皺が一層深くなった。
「中型竜の番いの目撃情報が出たわ。モルダナ村から南下していったそうよ」
やっぱりそうだ。ただ、前回も前々回も、偶然村にいたミオーネがすぐに討伐してくれた。今は春。ミオーネが村に戻るのは夏になってからだ。
「この村の戦力じゃあ討伐は無理。アントンさんに居場所だけでも見つけてもらって……領都グレイスにも同じ速達はいってるでしょうから、応援が来るまでは刺激しないで、村を襲わないを祈るしかないわね」
アントンさんは七十歳を超えるお爺さんで、リーザ村唯一の引退した竜狩りだ。現役時は結構腕が立ったそうで、引退後もしばらくは奥さんと領都で暮らしていた。六十になる前に奥さんが亡くなってからは生まれ故郷のリーザ村へ戻ってきていた。
「幸い、今は春で森には食べ物になる動物が沢山いるし、森と森の中を抜ける道への立ち入りを禁止すれば人間に危害は……。あ」
「あ」
オレも気が付いた。いるじゃないか。朝にこの村を発つと言っていた人間が。今現在、街道へ向かう森の中の道を通っているであろう人たちが。
いや、でも森の中を通っているだけだ。出会わない可能性も十分ある。何事もなく街道へ辿りつける可能性も……!
「Baroooooooooo!!!」
遠くから聞こえてきた苛立ったような狂暴な鳴き声が、希望的観測を掻き消した。
リーザの顔色をうかがう。リーザは難しい顔をして考え込んだ。リーザは二人、というかアルマのことが嫌いだろう。だが村主として救助しなければいけない。だが今の村の戦力では無理だ。
「……まぁ、どちらにせよ出会ってしまってるなら、今から救出するのは無理ね。二匹の竜が相手ならミオーネでも簡単じゃないわ。村の中に救助にいける者はいない。それよりこれで村に注意が向かないといいけど……」
余計なことをして、というようにリーザの表情がゆがむ。その時だった。
「Mugruuuooooooo!!!」
「Kishaaaaaaaarrrrr!!!」
再び咆哮が響いた。嫌がるような、苦しむような鳴き声、と怒ったような声だ。片方が傷を負ったのだろうか。
竜に傷を? ……そうか。
「リーザお母さん、ミオーネお母さんだったら二匹の竜を相手にして、簡単ではないにしても、勝てはするの?」
「……中型竜ならなんとかなるんじゃない? それがどうかしたの?」
なら。
だとしたら。
ミオーネと同等に強いと感じた、騎士エスタなら。
「いや……」
駄目だ。アルマがいる。
アルマが戦えそうな感じは全くなかった。貴族のたしなみで魔法を使えたりはするかもしれないが、実戦経験はまるでないだろう。
竜は二匹いる。例えば前後から攻撃された場合、アルマを守りながらじゃかなり厳しいだろう。
……オレが。
「オレが、アルマを戦いから逃がすことができれば」
エスタは二匹の竜に、勝てる……かもしれない。
「なにを言ってるの?」
オレはハッとして顔を上げた。考え込んでいたせいで思ったことが口に出ていたらしい。
リーザはオレを睨みつけるような、怒りを抑えているような形相になっていた。
「あの女の子を助けに行く? 馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ。そんなこと許すとでも思ってるの?」
「で、でも、オレがアルマを逃がせればエスタさんが竜を倒せるかも……!」
「そういうことを言ってるんじゃないのッ!」
リーザはオレと挟んで座っている厚い木の机に拳を思い切り叩きつけた。どぉん、とこもったような音が響き、飲んでいた紅茶のカップがガチャガチャと耳障りに鳴った。
怒鳴った直後、リーザは媚びるような不自然な笑みを浮かべた。
「そんなところに行ったら、死ぬかもしれないのよ」
言い方は、奇妙に優しかった。しかしその言葉には有無を言わせない迫力があった。
「だ、大丈夫だよ。アルマを見つけたらすぐに逃げるし……」
オレはなんとかそれだけを言葉にした。しかしリーザは畳みかけるようにまくし立てる。
「確かにね。リオは確かに優秀だと思うわよ。将来は竜狩りになってもいいと思う。いつかは命をかけた竜狩りを経験するかもしれない。でも、まだ十歳なのよ。大人に任せればいいの」
「でも、それじゃ二人は死んじゃうかも……」
「リオになんの関係があるの? 旅には死はつきものなの。二人の準備が足りなかった、運が悪かった。だから死ぬ。そうでしょ? 当り前のことじゃない」
「で、でも……」
「いいからママの言うことを聞きなさい。リオはいい子でしょ?」
リーザは微笑んでいる。冷たく微笑んでいる。しかし言葉を吐く度に口から黒い靄のようなものが見える気がした。いや実際にはそんな靄ないんだけど。
いや、リーザの言っていることも分かるのだ。日本でも通り魔事件があったとして子供に制圧を任せるだろうか? 断然否である。俺だって流石に鎮圧は警察に任せてその場を離れる。
だけど、刃物を持ったコンビニ強盗を柔道の有段者が抑え込んだ話もある。そしてオレは、ミオーネとの訓練で中型竜一匹なら勝てるだろうとお墨付きをもらっているのだ。
「い、いや、大丈夫だよ。最近じゃミオーネお母さんとも結構いい戦いができるようになってきたし。中型竜一匹なら勝てるとも言われてるから……」
「一匹だったら? 今は二匹いるじゃない。二匹に狙われない保証は? 絶対に無事だってなんで言い切れるの?」
「で、でも逃げるだけだし、エスタさんも結構強そ……」
リーザがオレの言葉を遮った。強く、断ち切るような口調で。
「もういい。いいから、駄目ったら駄目よ。口答えするなら訓練も禁止にするわ」
訓練禁止。オレの全身がぐにゃりと揺らいだ。
百合ハーレムを作ることがオレのこの世界での生きる目標だ。リーザはオレの内心の目標は知らなくても、貴族として生きるのが難しい以上、竜狩りとして生きるのが一番だと思っているはずだ。強さはオレとリーザの望む人生を実現するための第一の手段のはずだ。
それを禁止?
オレの身体の奥底から、煮え滾るような怒りがふつふつと沸いてきた。




