7.馬小屋の悪役令嬢
そこからのオレの十年は概ね平和なものだった。五歳になって外出が解禁されたときは村へ遊びに出たりもしたのだが、予想以上にオレの両親が共に女性であること、そしてオレが猫獣人の特徴を持っていることが気味悪がられた。
それでオレはミオーネがいないときは屋敷の裏の森で一人でずっと訓練していた。屋敷の裏は急な斜面の丘を下ればすぐ森だ。村の子供たちもこっちには来なかった。
オレが七歳の時にオギハの娘のユズハが、どこかの貴族に気に入られて引き取られた。リーザ曰く信頼できる貴族とのことで、一流の教育を受けさせると言われたオギハは娘の将来を願って泣く泣く送り出していた。
オレは友達もできないから一人で訓練に明け暮れていた。十歳の誕生日を盛大に祝ってもらった次の春だった。フィメール王国の王都フィメノンから、隣のメイル帝国へと向かうどこかの貴族の娘がリーザ村を通ることになった。
リーザ村は王国の中でもかなり辺鄙な場所にある。リーザの父親レオモンド・ナントカカントカ・グレイス辺境伯の名前が示す通り、グレイス領がそもそもフィメール王国とメイル帝国の境界にある。
リーザ村からさらにずっと西へ行くと巨大な砦があり、その向こうにしばらく行くと帝国領になるらしい。
で、だ。王国と帝国は政治上は仲が悪いものの、国交がないわけではない。貿易やら文化交流やらは盛んに行われている。
そのための街道はちゃんとある。王都から領都グレイスを介してまっすぐ砦へ向かう街道だ。軍事的にも重要なのできちんと整備されている。
リーザ村はその街道からは大きく外れている。確かに街道から伸びた舗装もされていない道がリーザ村を通り、再び森の中を通って街道へと戻ってはいる。しかし農作物を運ぶ農民やら数少ない行商人、それから我らがミオーネやらが通るばかりで、なんの魅力もないリーザ村にわざわざ立ち寄る意味なんてない。
……と思ってました。
「え? 女同士で生まれた上に、獣人なの? ぷぷぷ、かーわいそ! ジルハーベル第一王子に婚約破棄された上に帝国のカス男爵に嫁がされる私よりずっと可哀そうじゃない!」
目の前の娘がオレを罵倒する理由は単純明白だった。オレを見下して安心するためだ。
揺れる赤色の長髪。たぶん十五歳くらいのはずなのに豊かな胸の深い谷間。
名前はアルマと言うらしい。
黙っていれば美人だろうに、リーザの屋敷の玄関で出迎えのお辞儀をするオレへ向けてこのクソ女は言い放ちやがった。
オレと同じくお辞儀をしているリーザがグッと拳を握る。ミオーネがいたら、あるいはクソ女の後ろに控える顔以外を甲冑で覆った女騎士のエスタがいなかったらこのクソガキをぶん殴っていただろう。
……と思ってました。
「うっせぇぞ、このクソガキィッ!」
リーザがキレた。そりゃ愛する(自分が言うのもなんだけど)娘(中身はおっさんだけど)と愛するパートナーを同時に侮辱されたらリーザならそうなるよね。
振るわれた拳は軌道がみえみえのテレフォンパンチだ。リーザは実家を出奔して冒険者をしていたときも回復魔導士だったらしいし、直接戦闘は苦手なんだろう。
その拳はあっさりとエスタに受け止められた。甲冑に覆われた掌でゴインッと。
「痛っ……」
リーザが手を押さえて呻く。鉄を殴ったようなもんだしな。
「申し訳ございません、リーザ様。ご勘弁願います」
舌打ちでもしそうな形相で睨みつけたリーザは怒りを抑えつけて、しかし抑えきることはできず、
「……何歳? うちのリオよりだいぶ幼いのね」
嫌味を言うリーザに対し、エスタの鉄面皮がほんの僅かに乱れた。怒りではなく、恥ずかしい、といった感情が漏れた。こっちはまだまともな感性を持っているらしい。
一方でアルマは違った。
「なっ! なによ! そっちの方がどう見ても年下でしょッ!」
この期に及んで赤髪の令嬢(笑)は外見とか肉体の年齢の話をしていると思っているらしい。
護衛のエスタはため息をついてアルマを諫めた。
「お嬢様。いい加減にしてください。そうやってつっかかっていくせいで、私たちは学園のみならずフェルマ王国からも追い出されるのですよ」
「ぐぎっ、で、でもそれは、あの三年前に王都に出てきたとかいうド田舎出身の胡散臭い女が……」
「はぁ……」
エスタは額を押さえて盛大にため息をつく。そしてリーザへ向けて深々と頭を下げた。おお……腰を直角に曲げた最敬礼だ。
「申し訳ありません。今日はこれで失礼いたします。この村の宿に泊まらせていただき、明日の朝ここを発つつもりです」
「……勝手にしなさいよ」
リーザはまだ怒りが収まらなそうだったが、オレは赦した。つまりアルマはまだ子供で、エスタは色々苦労しているのだ。十五歳といったらまだ中学生じゃないか。かたやオレは精神年齢で言えばもう四十近いのだ。そんな目くじらを立てていては大人げないというものだ。
「オレも気にしてないから。大丈夫だよ」
かしこまった場面では私、なんて言うが雰囲気を和らげるためにわざとフランクにオレ、と言った。
ちなみに普通に喋る時の一人称も最初はわたし、とか女の子っぽいものにしようと思ったが、自我がおかしくなりそうだったので結局オレで落ち着いた。まぁボーイッシュってことで。儀式とかでは流石に私って言うけどね。
「リオ様。助かります」
エスタがオレにも最敬礼をする。おぉ……なんかこんな立派な人に頭を下げさせているのが申し訳なくなってくるな。
空気を読まずにアルマが喚く。
「ちょっと! なんでこんなガキにそこまで頭を下げる必要があるのよ!」
お前のせいだろボケ! という叫びが喉の奥から飛び出しそうだったがぐっと堪えた。これ以上こっち側が怒ったらエスタさんの額が地面についてしまうかもしれない。こっちの世界に土下座があるのかしらないが。
オレとリーザが何も言わないでいるとエスタが「ご寛恕、感謝いたします」と言って顔を上げた。表情は儀礼的無表情、とでもいったそれだ。アルマの肩を掴んで無理やり回り右をさせる。
「いきますよ、お嬢様」
「なっ、なによ! 離しなさい!」
二人が扉を出ていくと、リーザは見送りもせずにすぐに扉を閉めた。リーザはドスドスと足音を鳴らしながら廊下を執務室の方へ戻りかけると、不意に足を止めてオレを見下ろした。
「……リオはいい子で良かったわ」
心底安堵したようにそう呟く。
「……オレは大人だからね」
そう返してみるとリーザは目を細めてかがみ込み、オレを抱きしめた。
「そうよね。リオは落ち着いてて、私よりも大人かもしれないわね」
まぁ、精神年齢で言えば実際そうだからね。
夜になって食堂での食事中に来客があった。リーザが対応しているところに耳をそばだてていると、「宿で……」「うるさい……」「貴族……」「他の客が……」といった言葉が切れ切れに聞こえてくる。
対してリーザの声は冷たく、どこか嘲笑する響きを持った「なら馬小屋で……」というものだった。
リーザが食堂に戻ってくるとオレはなんの話をしていたのか聞いた。リーザは時折見せる氷のような笑顔を浮かべながら、
「リオは気にしなくていいのよ」
と言っただけだった。オレは怖くてそれ以上聞けなかった。
夜中になってオレは宿屋の件が気になって部屋を出た。出たとは言ってもリーザを起こさないように窓からだ。風魔法で音を一切立てずにふわりと着地すると、村に一つしかない旅人や行商向けの宿屋へ足を運んだ。
「えーっと、馬小屋はこっちか……」
宿の前を通り過ぎ、馬がつながれている馬小屋へと回る。
昼間に聞いた二人の声が響いてきた。
「臭い! チクチクする!」
「お嬢様。これに懲りたら宿では大人しくしてくださいね」
「なによ! 食事もあんな不味くて、お風呂もない! 溜めた水で身体を拭くだけなんて貧乏人がやることじゃないの!」
「村の宿はこんなものです。それより静かにしてください。馬を刺激して暴れさせたらここにもいられなくなります」
「お金ならたっぷりあるでしょ!」
「ありません。贅沢をせずにメイル帝国へ入れる程度しかもらっていません。お嬢様が領都グレイスで勝手に豪勢な食事を頼まれたため、相当切り詰めないといけない状況です」
アルマの声に震えが入る。
「な、なんでよ! 私はエードガード・フォン・フェルミ・ランブルグ公爵の娘、アルマ・フォン・フェルミ・ランブルグなのよ! お金がないなんて、そんなことあるはずがないわっ!」
「お嬢様は追放された身です。輿入れすることを条件に貴族姓フォンとラングルグ姓を名乗ることは許されていますが、国家の僕たるフェルミの称号は剝奪されているため、名乗ることを許されておりません。ご注意ください」
淡々としたエスタの声に、アルマの嗚咽が混じった。
「うっ、……ど、どうしてこんなことに……。わ、私だって最初は仲間に入れてあげようとしたじゃない! でも、アイツは何もできなくて、グズで、粗野で、品位が足りない女で……そのくせ周りに愛されて……あんなのが愛されるなら、小さいころから色んなこと我慢してお稽古を頑張った私が馬鹿みたいじゃない! ちょっとくらい厳しく当たってもしょうがないでしょ……っ!」
「……お嬢様の頑張りは私がよく知っております。ジルハーベル殿下のあの方への寵愛も含めて、運が悪かったと諦め下さい。それに案外、メイル帝国のカス男爵は優しい方かもしれませんよ」
「で、でも前評判では豚みたいな男で、女をモノみたいに扱うって……!」
「そんなことになれば私がその男を斬って終わりです。二人でどこかへ逃げましょう。私が老衰で死ぬまでは守ってあげられますよ。できればそれまでに立派なパートナーを見つけてもらいたいものですが。……明日は早くにこの村を出ます。そうしないと日が出ている間に次の宿場に着きませんので。もう寝ましょう、お嬢様」
「……く、臭い……気持ち悪い……嫌ぁ……」
「一応、あらかじめ申し上げますが、回り道をしたため今後も何回か馬小屋に泊まる必要がありそうです」
「ひっ」
うーむ。オレは宿の壁に背を預けたまま腕を組む。
なにをやらかしたのか知らないが、流石にちょっと可哀そうになってきた。つーかアルマとエスタ、てぇてぇが過ぎる。
アルマの言う通り、まぁ貴族連中に平民が混じろうったってなかなかうまくいかないのが現実だ。クラスのリア充と非リアみたいなもんだ。それに貴族って言ったって、十五歳の女の子だ。自分より能力的に劣っている者が評価されたら、自分が頑張ってきたことが否定されたと感じても仕方ないだろう。
……というか元の世界の社会人の時の俺だ。俺より能力が劣るぺーぺーの新人が、正社員か否かの違いだけで俺より評価されたときは酒をがぶ飲みしたものだ。
俺が同情していると、不意に背筋に悪寒が走った。
「……。……む?」
エスタの呟きが聞こえた。どうやらエスタがオレの気配を捕らえたらしい。宿の壁で完全に身体を隠して、声だけを聴いていたんだけど。
こ、この鋭い気配……訓練で対峙した時のミオーネを感じさせる。かなり強いんじゃないか? エスタさん。追放されたとはいえ帝国の貴族に輿入れするアルマの護衛を一人で任されるくらいだしな。
こちらの様子を伺っているエスタさんの気配に殺気が混ざり始める。こ、これ以上はやばい!
「エスタ、なんか怖いけど、どうかしたの?」
「……いえ、近所の子供でしょう」
オレはそのかすかに聞こえてきたやり取りを最後に宿屋を離れた。




