第99話: 消えなかった家族
先ほどの衝突によって巻き上がった朦朧たる煙の中、二つの影は夜空で激突する彗星のごとく真っ向からぶつかり合った。ゾアとアスタイルは同時に煙の中から姿を現し、一瞬だけ視線を交錯させる。その眼差しは岩のように重い。もはや言葉は不要。探り合いもいらない。ただ、ごくわずかな過ち――一拍の遅れ――さえあれば、どちらかが地に伏すことになる。
ゾアの剣が冷ややかな銀光を放ち、周囲の赤い輝きを反射する。対するアスタイルは、残った拳にルビーを召喚して纏わせた。深紅の結晶が幾重にも重なり、血と炎で磨き上げられたような肉厚な篭手を形成する。
二つの打撃が激突した。
金属が結晶を叩く。
高次エネルギーの圧力が爆発し、静まり返った夜の中に眩い火花を散らす。衝撃波が広がり、周囲の大気を震わせた。その空間において、あたかも彼ら二人だけがこの世に残されたかのように――他のすべては書き消された。
アスタイルが突如として地面を強く踏み抜いた。大地に亀裂が走り、その深淵からルビーの棘が、逆さまに生える巨大な摩天楼のごとく天空へと突き出した。ゾアは即座に跳躍し、鋭利な先端が掠めるわずかな隙間をすり抜ける。一拍でも遅れれば、串刺しにされていたに違いない。
森の側からも別の巨大なルビーの塊がせり上がり、その紅い照り返しが空間を埋め尽くした。
ゾアはそれを一瞥し、瞳孔を微かに収縮させた。
(この攻撃……高次エネルギーが極めて濃厚だ)
(まともに喰らえば……完全回復が間に合わないかもしれない)
彼はその差異を正確に理解していた。高次エネルギーがこれほどの密度で打撃に込められた場合、生じる損傷は単なる物理的破壊に留まらない。それは高次エネルギーによって強化された構造そのものを、同じ力で叩き潰すことを意味する。もしエネルギーの格差が大きすぎれば、完全回復の速度は著しく低下し、一定時間は再生が拒絶されることさえあるのだ。
ゾアが分析を終える間もなく、アスタイルが殺到した。背後の煙を渦巻かせるほどの速度で風を切り裂く。それは感情に任せた攻撃ではなく、計算し尽くされた殺意であった。
現状、優位はほぼ完全にアスタイルの側に傾いている。
ゾアがつけた斬り傷は瞬く間に塞がっていく。この状態のアスタイルの完全回復には、ほとんどタイムラグがない。それだけでなく、ルビーを纏った一拳一拳は以前よりも重さを増し、エネルギーの圧力は明らかにゾアの一段上を行っていた。
この瞬間までゾアが踏みとどまっていられた唯一の要因は、力ではない。
観察眼、そして沈着さだ。
彼は大規模な攻撃を前にしても決して動じなかった。正面から無理に抗うこともない。ただ基本的かつ正確で、最小限の動きに削ぎ落とされた剣筋のみを使い、時間を稼ぎながら、一筋の隙を求めていた。
観測モニターの向こう側で、アコウの声が低く響いた。
「……もし、これ以上に状況が悪化すれば、彼の中に眠る兄の意識が再び介入してくるかもしれない」
「アスタリオンとの戦いの時のように。あの時は、強制的に『爆発』が引き起こされた」
彼は一拍置き、その眼差しを深く沈めた。
「だが、もしそうなってしまえば……僕とブラックウィングスのリーダーが描いた計画は、水の泡だ」
今回の計画の本質は、ゾアを「自力で」覚醒させることにあった。意識の残滓に頼るのではない。過去の介入に縋るのではない。
自らの力で、限界を突破させること。
もしゾアの兄が再び割って入れば……。
それは覚醒ではなく、ただの「依存」に成り下がってしまう。
戦場が再び揺れる。
ゾアは絶え間なく跳躍し、波濤のように押し寄せる攻撃をかいくぐっていく。彼は空中で身を翻すと、突き出したばかりのルビーの塊の先端に着地した。鋭利な結晶の頂で完璧な平衡を保ち、彼はアスタイルを見据えた。
周囲の光景は一変していた。
一帯は今や深紅に輝くルビーの巨塊に埋め尽くされ、さながら巨大なクリスタルの墓場の様相を呈している。
ゾアは静かに息を吐いた。
「……どうやら、今のお前は本当に、底知れぬほど強くなっているようだな」
アスタイルは首を傾げた。その瞳はどこか遠く、それでいて安定している。
「長兄さんが不覚にも片手を失ってしまったが……こうしてルビーを拳として固めてしまえば、再生までの時間は十分に稼げる」
彼はルビーの拳を握りしめ、結晶が軋む乾いた音を立てた。
ゾアは眉をひそめる。
「長兄だと? ……お前は一体、何を言っているんだ?」
その問いは、図らずもアスタイルの精神の深奥に触れた。
彼の瞳の色が、刹那に変質する。
ごく小さな揺らぎ――だが、見逃すことのできない違和感。
「また、か……」
彼の声が沈む。
「また一人、皆が死んだと思い込んでいる奴が現れた」
空気が突如として冷え切った。
モニターの向こう側で、アコウの瞳が大きく見開かれる。
「『皆が死んだ』……?」
その瞬間から、アスタイルの過去が、深い意識の底から浮かび上がる血塗られた記憶の断片のように紐解かれていった。
彼は、文明の辺境にある小さな村に生まれた。「文化圏」の法さえ届かぬ場所。そこでは、相手が人間であるか「新人類(NG)」であるかなど、誰も気に留めなかった。出自を問う者も、寿命の差を差別する者もいない。
ただ、共に生きていければそれでよかった。
そうして形成された、小さなコミュニティ。
彼らは貧しかった。食事といえば仕留めたわずかな獲物と、五つ六つに分け合った硬いパンだけという日もあった。家は古い木材で組み上げられ、屋根の継ぎ目は継ぎ接ぎだらけ。しかし、だからこそ……彼らは誰よりも互いを必要としていた。
学ぶことを好む者がいた。闇市で拾った古本を一日中読み耽るような奴だ。喧嘩を好む者がいた。その拳で、コソ泥から村を守るような奴だ。手先の器用な者がいた。屋根を直し、竈を修理するような奴だ。口数の少ない者がいた。だが、誰よりも先に自分の分け前を他人に差し出すような、そんな奴だった。
皆、違っていた。
しかし、互いを尊重していた。
互いのささやかな夢を、共に叶えようとしていた。
彼らはそのようにして、共に育った。
拳を使って食い扶持を稼ぐ者。知識を使って住環境を整える者。わずかな金を貯めて本を買い、毎晩それを皆に読み聞かせる者。
蝋燭の淡い灯火の下、狭い木造の家の中に彼らの笑い声が響いた。
そこは、アスタイルにとっての小さな「楽園」だった。
ある出来事が起きるまでは。
「なあ、アスタイル……。僕、『白い城』から招かれたんだ」
その友は言った。瞳を希望に輝かせながら、同時に不安を滲ませて。
アスタイルは笑い飛ばした。
「最高じゃないか! 行ってお前の夢を叶えてこいよ」
白亜の国の中心――選りすぐりの英知が集い、国を変える才能が育まれる場所へと足を踏み入れる夢。
友はうなだれた。
「でも、皆はどうなる? 離れ離れになっちゃうじゃないか」
彼の声が詰まる。
「NGは長生きだ……いつかまた会える。でも、僕らの兄弟には人間もいる。時が経てば……僕は彼らを見失ってしまう」
その瞬間、彼の背中を力強い掌が叩いた。
気づけば仲間たちが背後に立ち、晴れやかな笑みを浮かべていた。
「見失うだと! つべこべ言わずに行ってこい。どうしても戻ってこないなら、俺たちが直接そこまで引きずり出しに行ってやるよ」
「誰かにいじめられたら言えよ。兄貴たちが乗り込んでボコボコにしてやるからな」
一番年下の子供が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「俺たちの兄ちゃんをいじめる奴は、俺が許さないぞ!!」
皆、どっと笑い声を上げた。
蝋燭の光の下で響く笑い声は、外の世界のすべてを撥ね除けてしまうほどに温かかった。
アスタイルは友を見つめ、目を細めた。
「もし将来、何かが起きたとしても……忘れるな。皆がここでお前の帰りを待っていることを」
それが、その小さな楽園が地獄へと転落する前の、最後の言葉となった。
その友は「白い城」へと向かった。
白亜の国の頂点に君臨する王族の居城。
国を支えるための人材を育成する場所。
そして類まれな才能によって、彼は選ばれたのだ。
時は流れた。
友が権力の光の中へと歩みを進める一方で、残された者たちは以前と変わらぬ生活を送っていた。盗みを働き、喧嘩をし、古びた木造の家の下で笑い合っていた。
ある一件の略奪(仕事)が起きるまでは。
アスタイルは、王国の外縁に隣接する古い家々の屋根を駆け抜けていた。価値ある武具を奪った直後だった――この世界では、性能は低くとも武具は収集品としての価値を持つ。
「くそ……衛兵ども、しつこいな」
彼は毒づいた。
「末っ子たちは大丈夫か……」
彼は身を翻し、能力を起動させた。
当時のアスタイルが操れたのは「土」のみ――まだルビーには至っていなかった。狭い路地に鋭い土の槍が突き出し、二人の衛兵の体を貫いた。
血が飛び散る。
しかし、彼らは再生した。
執拗に追撃を続けてくる。
戦闘は丸一日に及んだ。街の一部は、街路に山がそびえ立つような歪な岩場へと変貌した。砂塵が舞う。
アスタイルは肩で息をし、極限の疲労に身体を震わせて立ち尽くしていた。
そして、彼は真実を知ることになる。
どう足掻こうと……彼らは死ぬ運命にあったのだ。
彼らは「白い城」で造り上げられる「芸術品」のための実験体に選ばれていたのだ。
「戦闘人形」の被検体として。
もし、あの友が介入してくれていれば……こんなことにはならなかったはずだ。
だからその夜、アスタイルと家族たちは「白い城」へと向かった。理由を問いただすために。
城の深奥へは辿り着けなかった。
しかし、彼らは残酷な事実を突きつけられた。
その戦闘人形は、エネルギーを充填するために生体の血を必要としていた。
王国内の民をみだりに殺すわけにはいかない。
ゆえに、選ばれたのは「圏外」の者たち。
どこにも居場所のない、持たざる者たちだった。
アスタイルはまだ信じていた。
友が、そんなことをするはずがないと。
自らの目で、それを目撃するまでは。
あの友こそが――その人形を完成させた張本人であった。
そして、人形を動かすために、人々を殺して血を吸い上げていたのだ。
王国外のある町で、アスタイルはそれを止めるために姿を現した。
彼と戦闘人形との間で凄絶な死闘が繰り広げられた。
だが……。
権力を持つ者たちが姿を現した。
すべては一方的な虐殺へと変貌した。
地下に隠れていた人々は引きずり出され、狭い空間の中で惨殺された。
町から逃げようとした者は、路上の露と消えた。
血が川のように溢れ出した。
アスタイルの兄弟たちは重傷を負いながらも、必死に彼の背中を守った。
「お前が、最後の希望だ」
「この家族は……もうお前しかいないんだ」
アスタイルは暗い物陰に潜んでいた。
彼は一人、また一人と兄弟たちが人形の前に引きずり出されるのを見た。
その肉体が断ち切られるのを。
血が、ただの無機質な材料として吸い取られていくのを。
かつて蝋燭の光の下で聞いた、あの笑い声が脳裏に蘇る。
しかし現実は、骨が砕ける音。
地面に滴る血の音。
そして、彼の心を粉々に砕く無力感だけだった。
すべてが終わった時……。
生き残ったのは、アスタイルただ一人だった。
彼は別の町を放浪した。
事情を知った人々は、彼を慰めた。
しかし、人々を驚かせたのは、彼の返答だった。
「何を言っているんだ?」
彼の瞳は空虚だった。
「長兄さんは、今もここにいるじゃないか」
「末っ子もだ」
「皆……まだここにいるんだよ」
その瞬間、アスタイルは覚醒した。
能力だけではない。
「家族が一度も去っていない」という新たな世界を、自らの内に生み出したのだ。
彼を「精神病」と呼んだ者たちは、一人残らず殺された。
家族が死んだと言った者たちは、決して許されなかった。
彼はすべてを破壊し尽くした。
そして、自ら創り上げた「家族」と共に生き続ける道を選んだ。
想像の中にしか存在しない家族。
血とルビーによって再構築された、ささやかな楽園。
それ以来、誰かが「皆死んだ」という言葉を口にするたびに――。
それに応えるのは、もはやかつてのアスタイルではない。




