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天国のあとに残った灰  作者: 霧崎 蒼司


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第103話: 時間を奪う者

「……猟師ハンター側か?」


山の角から姿を現した紳士を目にし、セシリアが声を上げた。正体不明の能力によって岩壁が抉り取られる光景を、彼女はその目でまざまざと見せつけられたのだ。

紳士は、ノイズの混じったラジオのような声ですぐさま説明を加えた。

「左様。どうやら、この問いの主は守護者ガーディアン側のようですな」


紳士の言葉が終わらぬうちに、空間を粉砕する一閃が鋭く振り抜かれた。空間そのものがガラスのように砕け散る横薙ぎの一撃。凄まじい衝撃波があらゆるものを無へと帰し、セシリアの目の前の光景を消し去った。

しかし、どういうわけか、紳士は何事もなかったかのようにそこに立ち、身に付いた埃を払っている。その様子にセシリアは驚愕を隠せなかった。

『――人間でありながら、貴殿の能力もなかなかに強力なようです。もし「七色」の者であるなら、それは実に狂気の沙汰。あそこは元より、常軌を逸した者たちの吹き溜まりですからな』


紳士の言葉を無視し、セシリアは再び肉薄して重い一撃を叩き込んだ。だが、今度は速度が落ちている。剣先が紳士に届く直前、彼の背後から悪魔の腕が翼のように出現した。それは虚空を強く引き裂き、紳士の立つ空間そのものを一時的に消失させた。空間を鏡のように砕くセシリアの攻撃が空を切り、爆発が収まった直後、消失していた空間が瞬時に復元され、そこには変わらぬ姿の紳士が立っていた。

目の前で起きた奇怪な現象に、セシリアは戦慄する。


「少々、血の気が多いようですな。それは戦闘において多大なる不利を招きます。貴殿より弱き者ならば恐怖するでしょうが、我のような格上の者に対しては――」


紳士が言い終えると同時に、空間を抉り取る能力が発動した。セシリアが驚く間もなく、彼女の背後の空間が削り取られ、紳士は瞬時にその位置へと転移した。彼は彼女の項に指先を添え、ノイズ混じりの声で囁く。

「――ただ無闇に技を放ち、己の能力を露呈させるだけの愚策に過ぎない」


言葉と同時に、凄絶な引き裂きがセシリアの立つ空間を襲った。ねじ曲げられ、切り裂かれた空間の歪みに翻弄され、彼女の肉体は致命的な重傷を負った状態で元の場所へと放り出された。肉体は歪み、口からは鮮血が噴き出す。セシリアは何が起きたのかも理解できぬまま、血溜まりの中で倒れ伏した。

震える彼女を見下ろし、麗しき紳士は静かに解説を続けた。


「貴殿の能力は有用ですが、使い道を誤れば宝の持ち腐れ。かといって、生かしておいても我が利にはならぬ。せめて、迅速かつ鮮やかに引導を渡して差し上げましょう」


セシリアは歯を食いしばり、必死に体を動かそうとしたが、傷はあまりに深く指一本動かすことさえ叶わない。絶望の中で全身に力を込めるが、抗う術はなかった。紳士がとどめの一撃を放とうと腕を振り上げたその刹那――。

瞬きする間に、目の前のセシリアが消え失せた。


「……何が起きたのだ?」

驚愕に満ちたラジオボイスが漏れる。

血痕を辿った紳士の目に、見覚えのある後ろ姿が映った。彼はその人物の登場に目を見開き、声を上げた。

「なぜ、貴様がここにいる……。ルールで禁じられた一対一の決闘への介入、それが許されると思うのか?」


その影はセシリアを安全な場所へと静かに横たえ、振り返って答えた。

「彼女を戦闘不能に追い込んだ時点で、ゲームは貴殿の勝利と見なしている。ゆえに、この介入はルールの範疇だ。そして私がここにいるのは、ゲームが市川との『交代』を承認したからだ。彼が参加不能となった以上、私にはその代わりを務める権利がある」


月光がその横顔を照らし出す。それは、「奇跡の世代」の中でも傑出した強さを誇る男、アックであった。

「……忌々しい。奇跡の世代を相手にする羽目になるとはな……」

紳士の呟きに、アックが応じる。

「私も貴殿と戦いたいと思っていた。新しき王の力がどのようなものか、全世界に見せつけるために」


ノイズ混じりの声が返る。

「自らを『新しき王』と称するか。面白い宣言だ。その言葉は、全世界へと配信されているのだぞ」

アックは不敵に笑った。

「それが真実となるのであれば、案ずることは何もない」


アックは一秒の猶予も与えなかった。瞳は氷結した湖のように冷徹に澄み渡り、意念が閃いた瞬間に能力が爆発した。半径数マイルの全空間が、突如として不可視の圧力膜に包まれ、大気は水銀のごとく重く沈殿した。


彼は地を蹴った。それは疾走などではなく、現実を切り裂く暴力的な物理転移であった。紳士との距離が数ミリにまで縮まった瞬間、アックを包む空間が乾いた音を立てて「密閉」され、彼を通常の時間軸から弾き出した。


仮面の紳士は驚愕に目を見開き、本能的に後退した。しかし、全世界で見守る数百万の観客の目には、ただ一つの朧げな残像が瞬時に長距離を「跳躍」したようにしか映らなかった。


「――これは速度ではない。時間の略奪だ」


心臓を穿つ一突き。アックの剣は物理的な破壊力のみならず、空間爆砕の破片をも引き連れていた。紳士が全力を以て回避を試みるも、衝突地点で天地を揺るがす爆発が沸き起こった。凄絶な圧力が彼の体を後方へと吹き飛ばし、堅牢な岩石を粉砕する。紳士は亀裂の入った胸を苦悶に満ちて押さえ、仮面の奥の紅い瞳を一刻たりともアックから逸らさなかった。この戦場では、一度の瞬きが遺書となる。


「この戦場を遊び場だと思うな」アックの声が、低く、威圧的に響く。「貴殿の命など、いつでも奪えるのだ」


全世界が息を呑んだ。「奇跡の世代」――人間と神の境界に立ち、王の座に最も近いとされる実体たち。アックはその中でも最年少でありながら、数世紀にわたる戦火で経験を積んだ伝説たちと肩を並べる、理不尽なまでの存在感を放っていた。


紳士から、歪んだラジオ周波数の笑い声が漏れる。

『……貴様のような若造が、何故これほど急激に強くなったのかは分からぬ。だが所詮、貴様は運の良い能力を授かっただけのガキに過ぎん。この世界は残酷だ。情け容赦なく貴様を叩き潰すだろうよ』


アックの唇が、温度のない笑みに吊り上がる。

「叩き潰される経験なら、すでに十分積んでいる。……次に受ける衝撃など、私にとってはただの余興に過ぎない」


言葉と共に、アックの周囲の空気が凍り付いた。神聖でありながら死の香りを漂わせる、凄絶な威圧が放たれる。彼は微かに唇を動かした。


「――【天国のパラダイス・タイム】!」


轟音と共に、世界は絶対的な静寂へと墜ちた。すべてが停止する。宙を舞う木の葉も、微細な塵も、そして対戦相手の鼓動さえも、巨大な時間の琥珀の中に封じ込められた。この法則の中心であるアックが、エネルギーを持つ生命体に十分に接近した時にのみ、時の歯車はその狭い範囲で回転を許される。


彼は黒い稲妻と化して紳士の位置へと肉薄した。直後、さらなる言霊の連鎖を起動させる。


「――【天国の記憶パラダイス・メモリー】」


アックの肉体が、外界の時間とは逆行する比率で加速を開始した。彼の動きは常軌を逸し、数万の残像が同時に出現したかのように錯覚させる。斬撃の雨が降り注ぐ。紳士は完全に無力だった。攻撃を視認していても、脳が手足に信号を送る速度が追いつかない。アックの蹴りが紳士の胸にめり込み、山を揺るがすほどの破壊力で彼を岩壁へと深く突き刺した。


追撃の手は緩まない。アックは紳士の髪を掴んで岩に叩きつけ、そのまま上空へと放り投げた。重力が彼を引き戻す前に、アックはその上方へと転移し、腹部へ雷鳴のごとき一撃を見舞った。肋骨が砕ける轟音が響き、紳士は濃い血を吐き出しながら、撃ち落とされた流星のように地へと叩きつけられた。


瓦礫の底から這い上がった紳士の声は、もはや途切れ途切れで、隠しきれない震えに満ちていた。

『……恐ろしい男だ、アック……。この能力……我を戦慄させるほどに狂っている……』


砕片の散らばる地を歩むアックの剣には、一滴の血も付着していない。

「貴殿にはこの恐怖を存分に味わってほしかったが……。どうやら、時間のようだ。セシリアを今すぐ安全な場所へ連れて行かねばならない」


「安全だと?」紳士は吐き捨てるように笑い、最期の虚勢を張った。「夜明けまでまだ数時間はある。貴様が送り届ける前に、闇が彼女を飲み込むだろうよ」


アックは答えず、戦場の中心に凛として立ち、静かに目を閉じた。深く息を吸い込み、次の瞬間、彼の肉体から黄金の光が爆発的に放たれ、天を覆い尽くした。


「――【天国の創造パラダイス・クリエイション】!」


全世界が、あり得べからざる光景を目撃した。自然の理が暴力的にへし折られる。時間は狂気的なまでに加速し、星々は瞬いて消え、欠けた月は亡霊のように空を駆け抜けた。そして――。


一筋の初陽が、夜の帳を切り裂いた。

空は漆黒から紫藍へ、そして燃えるようなオレンジ色へと変貌を遂げる。アックの支配により、太陽が強制的に引きずり上げられたのだ。紳士は、この神がかり的で恐るべき光景を前に、釘付けになった。もしセシリアの負傷がなければ、アックの意念一つで、自分は瞬時に老いさらばえ、灰となって消滅していたであろうことを確信した。


一言の余計な言葉も残さず、アックは空間の波紋の中に消えた。彼は気を失ったセシリアを抱き上げた。日月をも動かした者の腕の中に、彼女の体は小さく収まっていた。二人は静かに会議エリアへと転送され、後に残されたのは、無残に破壊された戦場と、早すぎた朝の陽光に震える一人の敵だけであった。


他方の猟師たちも、次々と一室へと転送されていた。後に残された守護者や人質たちは、何が起きたのか分からず呆然と立ち尽くしている。

血まみれのセオドアは、澄み渡った青空を見上げて呟いた。

「……一体全体、何が起きているというのだ。また新しい怪物が現れたというのか?」


猟師側の部屋にて。

「何だ、何故貴様がここにいる」

アスタイルが声を上げた。そこにはバハムートが座り、机の引き出しを何やら探っていた。

「私の登場が、そんなに不満か。アスタイル」

「当たり前だ。お前は強すぎる。そうなれば敵が一人増えることになる。……それに、あっちの気取った仮面野郎は何者だ?」


アスタイルの視線は紳士へと向けられた。当初、猟師側の情報に彼の存在は記されていなかったからだ。

ノイズ混じりのラジオボイスが応じる。

「ようやく注目していただけましたな。驚かれるのも無理はありません」

彼は帽子を脱ぎ、整えられたオールバックの髪を露わにした。

「我が名は『ABC』。世界五大犯罪組織の一角を担うリーダーの一人です」


その言葉に、室内の視線が瞬時に彼へと集中した。

「……ですが、新しき王たちを殺しに来たわけではありません。ブラックウィングスのリーダーと同様、我もまた誰かを失脚させることに興味はない。我の目的も、歴史的瞬間を特等席で眺めることにある」


ソファに座っていたアスタリオンが立ち上がり、問い詰める。

「ならば、どうやってここに入り込んだ。どうやってゲームの一部になったのだ?」

当然の疑問だ。アックは市川の交代枠であり、バハムートやツバサは復帰組だ。役割を持たない者がプレイヤーとして介入するなど、通常ではあり得ない。


ABCは落ち着き払って答えた。

「複雑なことではありません。ただ、死にゆく者の身代わりとして現れたに過ぎません」

「死んだ奴の代わりだと?」アスタリオンが訊く。

「彼が息絶える前に代わりを務め、このゲームへと潜入しました。彼もそれを了承していましたしな」


アスタイルが鼻で笑った。

「……役目を譲って死ぬことを了承しただと? 出来過ぎた話だな」

ABCはノイズ混じりに笑い、種明かしをした。

「そうせざるを得なかったのですよ。我が能力によってゲームから離脱することを許されるために、彼は役目を差し出した。……もっとも、我はその能力を使わなかったがね。彼はただ、我に体良く騙されたというわけです」


それを聞いたバハムートが失笑を漏らす。

「……能力を使わなかったのは、アックに正体を見抜かれて早々に殺されるのを恐れたからか?」

ABCは隠すことなく認めた。

「その通りです」


一瞬の沈黙の後、ABCが再び口を開いた。

「……ところで、我ら猟師側には、まだもう一人のメンバーがいるはずではありませんか?」


その言葉に、アスタリオンは小さく溜息をついた。

「『猟師側』などと呼ばないことだ。あいつはどこの陣営にも属していない。ただ、数合わせのためにそこにいるだけだ。……そもそも、あいつが俺たちを助けに現れたことなど一度もない」


「では、彼はどこにいるのです? 猟師は全員、この部屋に戻る決まりでしょう」


「あいつは私の制御の外にいる。能力がゲームの理を超越しているため、誰も干渉できないのだ。……放っておくがいい。あいつが一度剣を抜けば、我々は全員死ぬことになる。好きなようにさせておくのが一番だ」


ABCは愉快そうに笑った。

「……実になんとも、興味深い御方のようですな」


場面は切り替わり、ボロボロのマントを纏い、透明な剣を携えた人影が、広大な森を彷徨っていた。

最後の猟師。その正体がついに明かされる。

王たちの中で最も強き王。

「白亜のホワイト・シート」が今、ゲームの真っ只中に降り立っていた。

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