幼児潜入記その1
彼の朝は早い。
眼が覚めると彼は素早く起き上がり、窓に忍び寄る。
窓の外には一羽のカラスが止まっている。
だがそのカラスは彼が窓を開けても逃げる様子はない。
そのカラスに彼は何かを括り付けると、窓を閉めてベッドに戻る。
カラスは窓を閉めた瞬間に飛び立って言った。
そしてベッドに潜り込んだ彼は寝息を立て始めた。
「坊っちゃま、朝でございます」
暫くのちに部屋に恰幅の良い女性メイドが入ってくる。
彼女は部屋に入ると中央にあるベッドに近づく。
「う、ああ…」
「あらあら寝坊助さんですか?さあ、朝ごはんをご用意しますね」
彼が起きたのを確認したメイドは扉の向こうから朝食を乗せたカートを運んでくる。
そしてベッドに近づくと朝食のスープをスプーンで掬って彼の口元に運ぶ。
「さあ、どうぞぼっちゃま。お口をあーんしてくださいませ」
「あーん」
彼は口を開けてスープを口に含む。
スープは程よく冷めており火傷することはない。
朝食は他にもパンやデザートが用意されている。
それらを平らげると彼は再びウトウトし始める。
「あらあらおねむなんですね」
メイドはそんな彼を優しい目で見つめていた。
とはいえ、そのまま眠るわけにはいかない。
彼はこの後母親に会わなければいけないからだ。
そして彼は母親の居室に連れて来られる。
「お入りなさい」
そう言われて彼はその部屋に入る。
そこは彼のいた部屋よりもさらに大きな部屋だ。
彼の部屋も下手な馬小屋より広いのだが、この部屋は下手な家より広い。
その部屋のいたるところに華美な装飾が施され、部屋一つで領地が買えると言われるほど。
そんな部屋の中心にあるテーブルではこれまた華美な装飾に身を包んだ一人の女性が優雅に紅茶を飲んでいた。
「あらきたのね」
紅茶を飲み終えた彼女はそう言って彼を出迎える。
その顔は慈愛に溢れ愛しき存在をじっと見つめている。
「さあおいで」
彼女はそう言って彼を胸元へと誘い。
「ママー」
彼こと第三王子ロビンはとてとてと彼女こと王妃の元に駆け寄って抱きついた。
「あらあら甘えん坊ですねロビンは」
そうしてたっぷり母である王妃に甘えたロビン部屋に戻る。
彼の部屋には大量のおもちゃが用意されておりそこで遊ぶのが彼の日課だ。
しかしそれは三歳になるまでのことであり、三歳になれば彼は家庭教師をつけられて英才教育を受けることになる。
そこには乳母や世話係の人が見張りとしてつけられている。
(母様が読んでた手紙を盗み見たけど内容は伯爵夫人の愚痴や、公爵令嬢のパーティへのお誘いなどで特に報告すべき事象はなし)
おもちゃで遊びながら得た情報を精査しながらロビンは更に世話係たちの世間話にも耳を向ける。
「クレアさんクレアさん実は私昨日の夜にブレイド様に会いましたの」
「まあ、あの方に!?」
「ええ、こちらにやってきてダグラス王子は何処にいるのか?と訪ねて来られましたの!」
「まあ!」
そう言って若い世話係たちは若き英雄の一挙一動の話で盛り上がる。
彼女らにとっては、若く浮いた話のない英雄は格好の話のネタだろうが、ロビンにとってはこれも有用な情報元の一つだ。
「でも今回は戦勝したからいいものの、あの魔族の特使の方が来なくなってからは、戦争は激化の一途を辿っているとか」
「そうらしいですわ。私の兄も戦争の舞台はこれから魔王領に移るだろうと言ってますし」
「そうなるとまたお亡くなりになる方が…昨年に敗退した際は勝者が提示するものにしてはこちらに有利すぎる講和の条件だったから王も受け入れるだろうと書記官の父が話してましたのに…」
ここにいるのは第二王子とはいえまだ物心つかぬ二歳の子供。
そう思っている高貴な生まれの世話係たちは世間話という名の国家機密をペラペラと喋ってくれる。
(ダグラス兄様はこれを機にさらなる侵攻を企てている。やはりアンドレアス様の抜けた穴は大きい…)
ロビンの手に力が入り…
バキャッ!
「う、うあー!」
「まあロビン様!おもちゃを投げてはいけませんよ」
握力で割ってしまったのを誤魔化すためにロビンはとっさに手に持っていたおもちゃをぶん投げた。
お昼ご飯を食べさせられると恒例のお昼寝タイムだ。
ベッドでスヤスヤ眠るふりをしながらロビンはこれまで得た情報の整理を行う。
(やはり、このままだとダグラス兄様は父様や姉様の反対を押し切ってさらなる侵攻を行おうとするだろう。アンドレアス様の和平工作が本人の戦時中行方不明によって不可能となった現状では苦々しいけど現在実行中の遠征作戦によってその出足を挫くしかないのか…)
ロビンは魔族である。
正確には魔族の魂を宿した人間である。
本来のロビンは王妃の腹のなかにある時に死んでいた。
そしてロビンの前世と言える魔族もまた死の淵にあった。
そこから様々な偶然が重なった結果として、魔王の魔法によって死産となるはずだったロビンは魔族の魂を与えられた。
そのためロビンは魔族としての前世の記憶を持ち、新しい生を与えてくれた魔王に恩義を感じている。
そんな事情から、ロビンは魔王軍から離れて人間として生きて行くことができるにも関わらず、彼自身が望んで魔王の元に様々な王国の内部事情を送るいわゆる諜報員として活動していた。
(全ては魔王様のため、そして魔王様の目的である人族との融和のために)
魔王の志に賛同する彼の忠誠心はとても高い。
(でもその為にはやはりあのバカ兄様をなんとかしないといけない)
そしてそんな彼の頭痛の種は、そんな人族と魔族の融和最大の障害となっている実の兄のことだ。
そもそもこの戦争自体が、ダグラスが行なったとある無謀な作戦に端を発している。
その結果は魔族たちを激怒させ、魔王も自衛と魔族たちの溜飲を下げさせる為に派兵せざるを得なくなった。
(バカ兄様の無謀のオトシマエは1年ほど前の王国軍への痛打である程度つけれた。だからこそアンドレアス様は和平交渉へ向かった)
ダグラスの無謀によって起こったこの戦争は、王国以外の人間国家が、自衛のための最低限の戦力以外は派兵に消極的だった為に魔王軍の優勢で推移した。
そして王国軍に大打撃を与えたことで魔族たちの溜飲はある程度下がったので、満を辞してアンドレアスが和平交渉に向かうことになった。
それは人類にとって相当衝撃的な事だったらしく、混乱もあったがアンドレアスの手腕によって上手くまとまりかけていた。
アンドレアスは戦争に乗じて無法を行う冒険者を嫌悪していたが、人間に対しては意外なことに無意味な悪意を向けることはない魔族だったからだ。
だが、エンシェントデストロイヤーの発見が事態を予想外の方向に向かわせる。
即時の対応が必要と判断した魔王はアンドレアスを呼び戻して王国の地理に詳しいアンドレアスに対応を一任する。
(その結果、アンドレアス様は戦争中行方不明、恐らくは戦死された)
おそらくというのは、情報が十分に入ってこないからだ。
何故ならその日以来、マルゴッドの町から魔王軍の間諜は全てエンシェントデストロイヤーによって一掃されてしまった。
音信途絶前の未確認情報によれば、アンドレアスは天使によって一撃で消滅させられたとの事。
だが、もしそれが事実ならアンドレアスほどの上級悪魔を瞬殺する天使が顕現しているという異常事態である。
そうなれば魔王軍に勝ち目はない。
だが天使らしき存在を確認したという情報は裏が取れており、誇張されているかもしれないがアンドレアスを倒しうる天使がいるというのは全くのデタラメではないと判断されている。
その為に魔王軍は、アンドレアスによる和平とマルゴッドの街を占領して、王都に侵攻することで王国を降伏させるという二枚のカードを一気に失った。
(故に残された手段としては、王国中枢の急進派、つまりダグラス兄様を急襲して暗殺)
アンドレアスの外交やロビンの諜報活動によって、魔王軍は今の王国軍の戦争推進派の中核はダグラスであり、国王や第一王女はそれに反対していることを掴んでいる。
その為にアンドレアス亡き後はロビンの情報を元に準備は着々と進められた。
だか、それは容易ではない。
王国も軍を各地に配備して、魔物や魔族の動向には目を光らせている。
ダグラスを打倒する為は戦場に本人を引き出すしかない。
その為に魔王軍は敗退を装って、ダグラス本人を引き出した。
だがここでさらに予想外なことが起こる。
それは南方からの援軍を阻止していた西の悪しき魔女の撃破、そしてマルゴッドの街からの戦力の抽出だ。
当初の戦力比であれば、王国軍の主力を引き付けつつダグラスのみを撃破することは十分可能と目算されていた。
だが、前述の二つの事象によって王国軍の規模は更に膨れ上がる。
その為、ダグラス斬首作戦は双方に被害が出すぎるとして中止された。
作戦は第二プランに移り、意図的に王国軍の主力を魔族領域に引き込んだ上で、王都に帰還中のダグラスを急襲することになった。
(その結果、王国軍は偽りの勝利をえる。主力を占領地域に残してダグラス王子直下の近衛騎士団が王都に帰還、魔王軍精鋭部隊があらかじめ自分が調査した軍の行動スケジュールの隙を縫って内陸に浸透する…筈だった)
それもまた失敗に終わる。
ダグラスを捜索していた先遣隊であるリッチの部隊が行方不明になったからだ。
その原因は不明。
恐らくは冒険者に討伐されたものと思われる。
だがそれによって敵地侵攻した魔王軍本隊はダグラスの部隊を見失って王都への帰還を許してしまう。
(あれがなければバカ兄様の討伐がなったものを…)
作戦は更に第三プランに移った。
それは王都への強襲であった。
だがそれは半分自殺行為に等しい。
何故なら王都は王国軍の本拠地、いくら人間より頑強な魔族とはいえ、魔法や剣や鎧で武装した兵士たちが大勢いる人間たちの拠点に攻め込むのは容易ではない。
だがこれが最後のチャンスであるのも確かである。
王国軍は勝利に浮かれており、警備は明らかにゆるいものになっていたからだ。
そしてここでダグラスを討たねば、これまでの仕込みが全て無駄になるだけでなく、ダグラス主導による再侵攻すらも引き起こしてしまう。
そうなれば魔族たちも黙ってはいられない。
魔王が望まなくても今度こそ本格的な全面戦争になり、そうなれば他の人間諸国も最低限の戦力の派兵なんて言ってられなくなる。
(だからこそ僕の役割は重要)
すでに王都周辺には生還の望みが限りなく低いと知りながらもダグラス討伐を志願してここまできた魔族たちが潜伏している。
彼らは魔王の意思とこの作戦の意味をよく理解した精鋭中の精鋭。
そんな彼らが少しでも多く生き残るかどうかはロビンがもたらす情報如何にかかっていた。
これからロビンは晩餐会に出席して明日を控えている突入作戦のためにダグラスの予定を把握して魔王軍本隊に伝えなければならない。
(なんという責任、なんという重圧…)
数百の魔族の命のみならず、この世界の未来が自分の手にかかっている。
そのことにロビンは憂鬱な気分になる。
(だけど絶対にバカ兄様を討つ。そしてここまで決死の覚悟でやってきた皆を必ず生還させるんだ)
そんな憂鬱な気分き吹き飛ばすために、ロビンは仲間たちを思い、決意を新たにする。
でもそんな決意はダグラスと幸太郎によって跡形もなく吹き飛ばされてしまう。
その後の晩餐会で、ダグラスがとんでもない暴挙を起こした。
なんと陛下を暗殺して、王女を謀殺しようとしたのだ。
それだけなら、まだこの混乱を利用してダグラスを強襲するプランは続行可能であった。
だかよりもよってそれが行われる前に、ダグラスは幸太郎の私兵によって拘束されしまったのだ。
(ええええええ???なんでええええ!!!???バカ兄様捕まってるし!攻める理由なくなっちゃったし…やばい!このことを早くみんなに伝えないと!)
ダグラスが、死刑になるのは誰の目にも明らか。
そうなると魔王軍はこのことを知らぬまま攻め込む羽目になる。
それはとてもまずいことだった。
何故なら幸太郎の兵士は一人一人がミスリルに匹敵する戦闘力を持っていたからだ。
魔族の魂を持つロビンは兵士一人が内包した恐るべき力に本能的に気づいてしまった。
そんな集団と、目的が達成されたことを知らない魔王軍が対峙すれば、文字通り無意味な損害を積みかねない。
(この情報は全てを捨て去っても伝える価値のあることだ!特に魔王様に幸太郎という人物のことを伝えなければ!)
ロビンは魔王軍に情報を伝えるべく部屋の外に飛び出す決意を固めた。




