ご存じない魔王様
魔王領と呼ばれている場所がある。
そこは人間達が住む領域より遥かに高濃度の魔力が満ち溢れており、その影響で自然が豊かな土地であるが、同時に魔力の影響を受けて凶暴になった動植物、つまりは魔物が跳梁跋扈する人間達にとっての異界でもあった。
その魔王領の最奥に魔王の座する魔王城が存在している。
見るものによって姿を変えると言われるその建物は、内部もまた変幻自在の迷路となっている。
ただしそれはあくまでも招かれざるものの場合の話。
魔王城の主人、つまりは魔王が認めたものならばその限りではない。
そんな城の中を一体の魔族が歩いていた。
悪魔の象徴たる禍々しき角を生やしたその男は、部屋の主人のいる居室の前に着くと扉をノックした。
「魔王様、アザゼルで御座います」
「入れ」
「失礼します」
部屋の主人の許可を得て悪魔、アザゼルは部屋に入る。
一人が占有するにはあまりに広い部屋。
その壁には多くの書物が収められた書庫があり、また片方には調度品が収められた壁がある。
そして奥には執務に使われる机が備え付けられており、そこには全身をローブで覆い、フードを被った物が書類の束に埋もれながら執務を行なっていた。
その隅にはメイドや秘書が控えており、ふーを被った顔の見えない男の補佐を行なっていた。
「魔王様、遠征軍がイリス王国の王都に到着したとのことです」
「うむ、そうか…」
アザゼルから魔王と呼ばれた顔の見えない男は、それを聞くと執務を中断して椅子に深く腰掛ける。
「ふう」
「お疲れのご様子ですね」
アザゼルは魔王にそう問いかける。
「ああ、アンドレアスがいなくなったからな。その穴は簡単に埋まるものではない」
魔王は書類の束に埋もれながらため息をつく。
普通は王たるものが覇気なくては部下は不安に思うかもしれないが、この場にいるのは魔王がどれだけの激務の中にいるかよく知る者しかいない。
「ああ、少しばかり疲れたのでな。少し休憩しようかと思っていたところだ」
(((あれほどの激務をこなして少し?)))
「少しと言わず、おやすみになられては如何でしょうか?」
アザゼルが魔王の決済を必要とする書類を持ってきたときは、部屋が書類で埋まっていたはずだった。
魔族は人間より強靭な種族ではあるが、だからと言って無限の体力を持つわけではない。
常人、いや常魔族なら過労死と行かなくてもぶっ倒れておかしくない作業をこなしても少ししか疲れてないと"言い張る"魔王には頭の下がる思いだった。
「そうできればいいがな、遠征となれば調整すべきことも多いからな。まあこれをこなせばしばらくは楽になるだろう」
それは事実でもある。
魔王がこれだけの書類仕事に忙殺されているのは遠征が原因であり、そうでなければ普段はここまで激務というわけではないからだ。
「今回の遠征は準備が大変で御座いました」
「うむ、確かに大事業である。だからこそ今回はきっと上手く行くだろう」
「はい。このために、王国軍を魔王領に"引き込んで"ますからね。準備は十分かと」
「うむ、この遠征で王国軍、特に第一王子ダグラスに打撃を与えれば、講和の道も探れるだろう」
「アンドレアスの件は残念でした。彼が健在ならば講和はもっと早くなったかもしれないのに…」
アザゼルは悲痛な顔をする。
「奴は、我のためなら平和の使者にも戦線を貫く槍にもなる文武両道の稀有な存在であった。それを失った損失はいかばかりか」
「一年前の戦いで講和の使者である彼を失い、挙句にエンシェントデストロイヤーの封殺に失敗した今は、遠征しか手はないのも事実です」
今回の遠征という無謀とも言える行為に至った原因は、エンシェントデストロイヤーの発見という天災に伴うかけがえのない人材の喪失という大事件のためであった。
「そうだな。幸いなのはエンシェントデストロイヤーは目覚めたとはいえ、世界を壊す力を無為に放ってくれたことよ。そしてそれをこちらに向けぬこと。それは希望の一つだ」
魔王はエンシェントデストロイヤーの恐ろしさをよく知っている。
かつて古代文明を滅ぼしたそれによって魔族が滅びるだけならまだいい。
もしそれを悪しき者が目覚めさせれば、文字通り世界が滅んでもおかしくなかったからだ。
「人間側にもエンシェントデストロイヤーのことを知りながら、それをこちらに向けることを望まない。そういう者がいたという可能性ですね?」
「うむ、エンシェントデストロイヤーはもろ刃の剣、それも特大のな。その特性を知らぬ者が迂闊に目覚めさせれば、自分の身近な存在以外全てを滅ぼしてもおかしくない。ならは今回目覚めさせたものは特性を知りながら意図的に山を消滅させるだけにとどめたことになる。その者は魔族を一方的に滅ぼすことを良しとしてない。街にエンシェントデストロイヤーをとどめておくという行為もそれを補強する」
「確かに、片方だけなら偶然も考えられますが、無為に放った件と街に無為にとどめておく件を考えれば、相手は魔族と敵対することを望んでいない」
「願わくば、その者が貴人であり、戦争を終わらせる立場のものであることを祈るのみだ。我々が望むのは平和を乱す敵ダグラスを討ち講和を得ることなのだから」
魔王はそう言って、イリス王国の王都がある方向を眺めていた。
「斬首作戦…上手く行くと良いがの」
魔王と付き合いの長いアザゼルは、魔王の言葉の中に若干の不安の色があるのを見逃さない。
今回の立案は、アンドレアスの講和工作が失敗した場合の副案として用意されてたものだ。
それをアンドレアスがいない状態で行わなければならないこと。
そしてそのアンドレアスを倒したらしい魔族とは敵対的ではないと思われる第三者の存在。
作戦を左右しうる不安要素は挙げればキリがない。
だが行わなければ、今までの仕込みが無意味になり、さらには王国軍の侵攻という事態に陥るのは想像に難くない。
それ故に魔王軍はこの作戦に全てとはいかなくてもかなりをかけていた。
「王都にいるあいつが上手くやってくれればいいですが」
アザゼルもまた王都の方向に目を向けてそうつぶやく。
魔王たちは知らない。
その標的であるダグラスはとっくに拘束されていること。
そしてこのまま放置しても死刑になるだろうことを。
そしてそれを成したものが、遠征してきた魔王軍に牙を向けば、魔王軍もただでは済まないことを。
ある意味、魔王軍の命運はその王都に潜入しているある者に託されていた。




