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遥かなる居場所 その値段  作者: 茶川屏
第三章 1999年 Revenger,again
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第二十五節

 午後七時二十五分。

 提灯には、いつの間にか灯りが入っていた。

 赤い光が石畳に落ちている。

 屋台の品は、思っていたよりも嵩張った。

 たこ焼き。

 三舟。

 ネギ焼き。

 四枚。

 牛串。

 七本。

 烏龍茶。

 四本。

 あとは。

「毎度おおきに~」

 保治は屋台の店主から袋を受け取った。

 今川焼。

 垂れ幕には『回転焼き』とあった。

 違いが分からない。

 粒あんを四つ。

 カスタードを四つ。

 こしあんは西尾家では不評。

 デザートまで揃えた。

 ビニール袋の持ち手が指に食い込んでいる。

 両腕が重い。

 財布は軽かった。


 人の流れを避けながら境内を進む。

 走り回る子供。

 浴衣姿の親子連れ。

 団扇を持った老人。

 袋をぶつけないよう、ゆっくり歩いた。

 社務所が見えてきた。

 酔っ払いたちの狂宴が近づいてくる。

 酔っ払いの相手は慣れている。

 それでも。

 あのキス。

 栞は羽目を外し過ぎた。

 ユーリ。

 怒れる上司をどう宥めるか。

 何も思いつかない。

 キス。

 東京最終日の夜。

 二人がキスをしようとしていた。

 それを傍観していたのは自分だけではない。

 栞も見ていた。

 直前で止めたのも、栞だった。

 その後は機嫌が悪かった。

 栞が何を考えているのかは分からない。

 ただ。

 酔っ払いたちの狂宴だけじゃない。

 修羅場も待っている。

 気が重かった。

 白いテントが見えてきた。

 気合入れないといけません。

 保治はビニール袋を掲げながらテーブルに近づいた。

「ただいま戻りました! 買って…きましたよ…」

 気合が抜けていく。

 二の句が継げなかった。

 栞の膝の上。

 銀髪があった。

 栞の手が白い頬を揉んでいる。

「え?」

 声が出た。

「何? 見ないでよ」

 ユーリが睨んできた。

 栞の膝の上に座るユーリはむくれている。

「い、いえ…」

 直視できない。

「ユーリちゃん、怒っちゃいやぁ。やすちゃんおかえりぃ」

 栞の顔が銀髪の影から出てきた。

 蕩けている。

 栞。

 いや、栞じゃない。

 だけど栞だった。

「スタシアさぁん、ユーリちゃん可愛いですねぇ。抱き心地もさいこぉ~」

 栞の声は間延びしている。

「でしょ? やっとあなたも分かってくれて嬉しいわ」

 隣に座るスタシアの顔の赤みは薄らいでいる。

 言葉もおかしくない。

 今なら聞いてもらえるかもしれない。

「監査役、食べ物と飲み物買ってきました」

 保治はビニール袋をテーブルに置いた。

 テーブルの上の焼きそばのトレイは空になっていた。

「わざわざありがとう。何買ったの?」

 スタシアが袋を広げ始める。

「いっぱい買ったのね…あ、牛串! 食べたかったのよ」

「お気に召して何よりです。因みにこの後お時間ありますか?」

 スタシアが怪訝な顔をする。

「何? さっきから監査役とか畏まって。そんな仲じゃないでしょう?…いいわ、聞いてあげる」

 良かった。

 機嫌がいい。

 いつもは聞いてもらう前に説教が入る。

「ありがとうございます」

 保治は軽く会釈をした。

「あー。良い匂いするぅ」

 栞の声。

 漂うソースの匂い。

 栞。

 いっぱい食べてくださいね。

 これ以上、飲まないことを祈った。

 声を追った。

 栞は銀髪を嗅いでいた。

「栞ちゃん、やめて。嗅がないで!」

 ユーリが頭を振った。

 銀髪が揺れる。

「あー。栞ちゃんだってぇ。嬉しいなぁ」

 栞は全く動じない。

 食べ物に見向きもしない。

 さっきから何があったのか理解できない。

 恐る恐る尋ねる。

「仲が良いみたいですね…?」

 ユーリが顔を歪めた。

「違う。遼ちゃんに何するか分からないから身代わりになっただけ」

 身代わり。

 では。

「では、若はどこに?」

 ユーリは答えずに顎をしゃくった。

 隣のテーブル。

 テーブルを挟み、恵と剛三が向き合っていた。

 その間には若がいた。

 恵と剛三の右手が中央で交わり、指が互いの手の甲を締め上げるように組み合わさった。

「ええか剛三、男見せろや。女に腕相撲負けるとか恥ずかしいで」

 恵が笑う。

 その腕は黒光りして盛り上がっていた。

「分かっとるわ、肘浮かすなよ。肩入れるのもあかんぞ」

 剛三の表情は硬かった。

 その腕は逞しい。

 しかし、恵と比べると迫力が欠けた。

「遼、ちゃんと見といてくれ」

「任せといてや」

 若は二人の拳の真上に自身の掌をかざした。

 行司。

「ほんと仲が良いよね」

 ユーリが栞の膝の上で足を組む。

「ええ。一時はどうなるかと思いましたけど」

 あの試合の日。

 試合帰りの車の中の空気。

 凍り付いていた。

 剛三が一階に居つくようになったときは肝を冷やした。

「ほんとほんと」

 ユーリが息を吐く。

「ウチも。戻ってきて良かったよ」

 その顔はどこか優しげだった。


 数分後。

 剛三は腕相撲で全敗を喫した。

 皆が思い思いの食べ物を袋から選ぶ中、剛三だけが席に沈んでいた。

 好機だった。

 保治は剛三の隣に腰かけた。

「社長」

 声を潜めた。

「富田君、すまんけど一人にしてくれへんか」

 剛三の声は小さい。

 それは…困ります。

 あと二時間と少し。

 立ち直るのを待つ余裕はない。

「いえ、仕事の件なのでお願いします」

「仕事…?」

 剛三の顔には元気がなかった。

「ええ、商店会長の盛田さんはご存じですか」

 剛三は額に手をあてる。

「ああ、肉屋の。盛田のおっさんか」

「その盛田さんから、十時に本部テントまで来てほしいと連絡がありました」

「俺に?」

「いえ、西尾興業として呼ばれたようです。恐らく前にお話しした件絡みかと」

 剛三が前のめりになった。

「松永センセのパソコン見たった件か」

「そうです。その時、同席されてたので…」

 自分の店も見てほしいと言っていた。

 心当たりはそれしかない。

「スタシアさんには話したんか? 一応、監査役やろ」

「いえ、まだです。ただ、説明のお時間はいただいています」

「手回しええなぁ。流石や。…うーん」

 剛三が考え込んでいる。

 沈黙。

 境内の人波は、さっきよりも膨らんでいた。

 そして。

「よっしゃ」

 剛三が手を叩いた。

「スタシアさんには俺から話すわ。三人で行こうや」

 剛三の声に明るさが戻っていた。

「お手数をおかけします」

 保治は頭を下げる。

 剛三が手を振った。

「かまへん、かまへん。気にすんな。あと、本部のテント着いたら、富田君が仕切ってええから」

「え? いいんですか?」

 間抜けな声が出てしまった。

 社長と監査役を差し置いて良いのだろうか。

「富田君が名刺渡したから今日の話があるんやろ?」

「それは…」

 そうかもしれない。

 そうでないかもしれない。

「暗い顔せんでええ。受注やったら仕切ればええ」

「はぁ」

 受注。

 仕切る。

 実感が湧かない。

 剛三が肩に手を回してきた。

「心配すんなや。クレームやったら俺らが文句言ったる。それでええやん」

 力が強い。

 さっき腕相撲で負けたとは思えないほどに。

 返答に詰まった。

 喉の奥から言葉が出てこない。

 若は。

 こういう時なんと言うのだろう。

 …あ。

「わかりました。…いっちょやったります」


 午後九時半。

 花火が終わって客は帰り始めていた。

 屋台も店仕舞いを始めている。

「そろそろですね」

 スタシアが腕時計を見る。

「ええ」

 白いテントの下を見渡す。

 飲食スペース。

 大量の空き缶。

 食べ終わった後のトレイの山。

 テーブルに突っ伏すように眠る恵。

 その恵に寄りかかるように眠る栞。

 そして。

 ユーリがうとうとしていた。

 無理もない。

 新聞紙の剣とはいえ、本気の突きを三十本も放っていたのだ。

 電池切れになるのも当然だった。

「さっきから馬鹿父子がいないんだけど?」

 スタシアは足元の玉砂利を踏み鳴らす。

 この人は何でこんなに口が悪いんでしょう?

「確かに姿が見えないですね」

 トイレだろうか。

 スタシアが舌打ちをする。

「私たちが戻ってくるまでクソガキに番をさせるんでしょう? いないとダメじゃない」

 何かおかしい。

 七歳児に番をさせる。

 良いのだろうか。

 けれど。

 若に失礼な気もした。

「トイレかもしれません。見てきます」


 保治は飲食スペースを離れた。

 社務所の横を抜ける。

 裏手に回ると、祭りの喧騒が少し遠くなった。

 提灯の灯りもここまではほとんど届いていない。

 外の水場。

 古い便所。

 個室は二つ。

 水場の脇にはトイレットペーパーが積まれている。

 木の戸は少し歪んでいる。

 ここだろうか。

 若、社長。

 声を出そうとした瞬間だった。

「おとん、大丈夫?」

 右の個室から若の声。

 そして。

「お前も大丈夫か?」

 隣からは剛三の声がした。

「大丈夫。吐き気はないから当たってないと思う」

「…俺もや。なんやろな?」

 それは…。

 食べ過ぎだと思いますよ?

 二人は用意した屋台飯の残りを平らげていた。

『おなかいっぱーい』

 酔っ払いたちは可愛い声を出して酒を啜っていた。

 大量の空き缶が頭に浮かぶ。

 計画は完全に破綻していた。

「やっぱ、食べ過ぎちゃうか?」

 若。

 ご明察です。

「かもなぁ。誰やあんなに買って来たんは。残せんやろが」

 それは僕です。

 ごめんなさい。

 この状況。

 原因を作った上に急かすのか。

 気まずい。

 良心も咎める。

 監査役に相談。

 それが一番に思えた。

 戻りましょう。

 そう思い、保治が踵を返した時だった。

「おとん、聞いてええ?」

 若の声。

 思わず立ち止まった。

「なんや急に」

「有栖川さんっておとんの元カノ?」

「ブッ、何言うてんねん」

 若。

 トイレで何言ってんですか。

「いや、前から聞きたかってんけどチャンス無くて」

「最悪のタイミングで聞くなぁ。付き合ってへん。昔からの知り合いや」

「ほんまぁ?中身はともかく美人やで」

「ほんまや。まぁ確かに志麻さんは裏で人気あったけどな」

「裏? 高嶺の花とかやなくて?」

 剛三の個室からため息が聞こえた。

「遼。お前、お母ちゃんが元ヤンやったのは知ってたか?」

「…まぁ、それなりには」

「志麻さんもヤンキーでな。高嶺の花やのうて掃き溜めに鶴やわ」

 剛三の笑い声が聞こえる。

「そんで俺、あの二人に校舎裏呼び出されてん」

「は?告白?」

「ちゃうわ、アホ。多分、カツアゲやな。木刀突き付けられたわ」

「え…カツアゲ? 怖っ」

 若が息をのむのが分かった。

 剛三の笑い声が聞こえた。

「俺財布に500円しか無くてな。ほんま怖かったわ」

「なんでわざわざ行ったんや。逃げたら良かったやん」

「話せばわかってくれる人らやと思ってたんや。二人とも悪い人やないって気がしとった」

「ほーん…そんでどうなったん?」

「なんか許してもらえた。そんでいつの間にか三人で遊ぶ感じになった」

「飛びすぎちゃうの? カツアゲされそうになったんやろ?」

「俺にも分からん。けど、学生ってそんなもんやろ?…あ、わからんか」

「うーん。分かるような分からんような…一番分からんのは、なんで今ああなっとるん?」

「二人が仲悪いことか?」

「そう」

 剛三の個室から再びため息が聞こえた。

「皆アホやった。その中でも俺が一番悪かっただけや」

「なんかやったん?」

 若の声が鋭くなった気がした。

「逆や。なんもせんかった。俺がもうちょいしっかりしとったら、あんな仲違いせんで済んだんかもしれん」

「やれることはあったん?」

「わからん。それでも、上手いやり方をちゃんと探せばよかったとは思ってる」

「有栖川…志麻さんっておとんのこと――」

「遼、それ以上言うなや。本人しか分からんことや」

「そうやけど…」

 若の声が沈む。

「もし万が一、お前の思うとることが本当で、告白されとったら……どうしたやろうな」

 頭を掻く音が聞こえる。

「二人とも幸せにするって啖呵切ればよかったかもな」

「…おとん、ええ話っぽいけど最低やで?」

「便所でこんなこと聞いとるお前も大概やで」

 二人の笑い声が聞こえる。

 はっ!

 つい立ち聞きをしてしまった。

 いけない事だと分かっている。

 それでも、離れられなかった。

 ここで声を掛けるのか。

 保治はPHSの時計を見た。

 午後九時四十五分。

 決断しなければならない。

「遼。お前はユーリちゃん、大事にせぇよ。あんなできた子おらへんで」

「わかっとるわ!」

 若の声は大きい。

「ええこっちゃ…って、そっちに紙あらへん?」

 カラカラカラと音がした。

「え、こっちは…あらへん」

「やばいやん」

 外からでも個室の空気が冷え込むのが分かった。

 紙なら、すぐそこに山積みだった。

 交換してないのか。

「誰か!近くにいませんかぁ!」

 剛三の大声。

 羞恥と悲壮感が混じっていた。

 これは…幸いかもしれませんね。

 口元が緩む。

 立ち聞きを誤魔化せそうだった。

 演技力が問われた。

 わざと大きな足音を立てる。

「社長ー! 探しましたよ!」

 自然な声を意識した。


 午後九時五十五分。

 栞は起きていた。

 若の頭の匂いを嗅いでいた。

「りょおちゃんのつむじ、いい匂いするぅ」

 残された若の顔。

 置いてかないで。

 そう、つぶらな瞳で訴えかけていた。

 若。

 ごめんなさい。

 お願いします。

 心の中で繰り返した。

 若を番に置いて、本部に向かった。

 今年の本部は拝殿の脇にあった。

 テントの横幕をくぐった。

 長机が二つ。

 祭りの進行表。

 筆記具。

 飲みかけの麦茶。

 蛍光灯の周りを、小さな羽虫が飛んでいた。

 その奥に、法被姿の盛田が座っている。

「おお、富田さん。待ってましたわぁ」

 盛田が椅子から立ち上がった。

 そして剛三を見やった。

「なんや西尾の禿げまで来てくれたんか。遅い時間にすんまへんなぁ」

「じゃかぁしい。おっと、お世話になってますぅ。盛田の禿げぇ」

 不毛な争いはやめてほしかった。

 剛三が腹を庇うように椅子へ腰を下ろした。

 まだ効いているらしい。

「こちら、弊社の監査役をしていただいているスタシア・ラマーノフさんです」

 お願いですから暴言はやめてくださいね?

「よろしくお願いいたします…いつもお肉ありがとうございます」

 スタシアが軽く会釈した。

「あ、いつもおおきに。盛田ですぅ。八城町商店会の会長もやらせてもろてます」

 盛田が頭を下げる。

 頭頂部が蛍光灯の光を反射した。

 眩しい。

 とりあえず、顔なじみのようで良かった。

 保治は盛田の目の前に腰を下ろした。

「ほな、早速なんですけどな」

 盛田が長机の上から紙の束を持ち上げた。

 表紙には、八城町商店会会員名簿と印刷されている。

「この前、松永センセんとこのパソコン、見てもろたでしょう?」

「はい」

「あれ、商店会の寄り合いで話したんですわ。年明けに帳簿やらレジやら動かんようになったら困る言うて」

 盛田が名簿を机に置いた。

「八城町商店会に入っとる店、全部。店に置いとるパソコンを一遍見てもらえまへんやろか」

「全部、ですか?」

「パソコン置いてへん店は飛ばしてもろてええです。ある店は一台ずつ……いや、置いてある分、全部ですわ」

 名簿を覗き込む。

 店の名前と電話番号が何行も並んでいる。

 松永理髪店では、一台だった。

 それでも、準備には時間がかかった。

 全店。

「商店会としての、正式なご依頼でしょうか」

「正式には役員会通してからですけどな。まず見積もり出してもらいたいんですわ。タダでやってくれなんて、あつかましいことは言いまへん」

「現在、パソコンが何台あるかは分かりますか?」

「それが、さっぱりですわ」

「機種や、使用しているソフトは?」

「もっと分かりまへん」

 盛田が笑った。

 困りましたねぇ。

 同じパソコンばかりではない。

 使い方も違う。

 松永理髪店と同じ手順で済むとは限らなかった。

「でしたら、先に調査が必要です」

「調査?」

「店ごとの台数と機種。それから、何に使っているか。使用しているソフトも確認しないと、点検の内容や料金を決められません」

 盛田の笑みが消えた。

 名簿に目を落としている。

『客は面倒なんを一番嫌がるんやで』

 若の声が過った。

 いけない。

 これでは、店の人の負担になる。

「先にこちらで調査用の紙を作ります。店の方で分からない部分は、私が伺って確認します。それから見積もりをお出しする形でいかがでしょうか」

「なるほどなぁ。そうしてもらえると助かりますわ」

 盛田が何度も頷く。

「皆にパソコンのこと聞いても、箱の色くらいしか答えてくれまへんねん」

 それは難航しそうですね。

「一つ、よろしいですか」

 スタシアの声だった。

 顔にはまだ赤みが残っている。

 しかし、言葉は明瞭だった。

「受けるかどうかは、社長と富田さんで決めてください。私は法律上の注意だけします」

 スタシアが盛田に向き直る。

「商店会からの依頼だけで、各店舗のパソコンに触ることはできません。各店舗の責任者から、作業の同意を取ってください」

「は、はい」

 盛田が慌ててメモを取り始める。

「富田さんは、作業の範囲、料金、万一データが失われたり機械が故障したりした場合の責任を、事前に書面で決めてください」

「分かりました」

「それと、点検したから絶対に問題が起きないとは約束しないこと。確認した項目と結果だけを報告してください」

 スタシアが指を一本立てた。

「必要なら、確認書の文面は私が見ます。以上です」

「同意…責任…そこまでせなあきまへんか」

 盛田が頭を掻いた。

「人の帳簿に触る仕事ですから」

 スタシアは淡々と答えた。

 盛田の手が止まった。

「そら、そうですな」

 沈黙。

 テントの外から、屋台を畳む音が聞こえてきた。

 金属同士がぶつかる音。

 隣では、剛三が腕を組んでいる。

「社長は、どうされますか?」

「俺に聞くなや」

 剛三が笑った。

「さっき言うたやろ。富田君が仕切ったらええ」

「ですが……」

「富田君は、どうしたいん?」

 盛田に渡した名刺。

 松永理髪店の回数券。

 あの日のことが浮かんだ。

 あの仕事が、次の仕事になろうとしている。

 怖くないと言えば嘘になる。

 それでも。

「やってみたいです」

 言葉は自然に出た。

「ほな、やりたいようにやってみ」

 剛三の手が肩に置かれた。

「判子押すんは俺や。法律はスタシアさんが見てくれる。富田君は、富田君の仕事したらええ」

 力が籠もった。

「はい」

 今度は、迷わず答えられた。

 若の言葉も借りずに済んだ。

 盛田が名簿を持ち上げる。

「ほな、お願いできます?」

「はい。まず事前調査をさせてください。正式なお見積もりは、その結果を確認してからお持ちします」

「分かりました。これ、持って帰ってください」

 名簿が差し出された。

「お預かりします」

 紙は薄かった。

 軽い。

 それでも。

 保治は両手で受け取った。

基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。

とはいえ、評価をいただくと普通に嬉しくなる俗物でもあります。

お手数でなければ、ページ下部のブックマークや評価で応援いただけますと、たいへん筆が乗ります。

よろしくお願いいたします。

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