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遥かなる居場所 その値段  作者: 茶川屏
第三章 1999年 Revenger,again
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第十五節

 目の前の扉は厚かった。

 幅の広い一枚扉。

 焦げ茶色の木目。

 艶を抑えた表面には、余計な装飾がない。

 ヨシノがノックをしようとした瞬間、声が聞こえてきた。

「遼ちゃん、コース料理なんだからメニュー要らないでしょ!」

「ちょっと見てるだけやん。追加で何か頼めたらええなぁ思うたけど」

「高い料理を頼みたいだけでしょ。ジョニーさんも何か言ってあげてください」

「はは…食べたいものを食べたら良いんじゃないかな」

「ジョニー代行、それで以前の会食が高額になったのをお忘れですか?」

「キャビアええなぁ」

「遼太郎、メニューを置きなさい」

 日本語は分からない。

 それでも。

「随分と威勢がいいな」

「ですから、油断なさらないでください」

 ヨシノが繰り返す。

 心配性だな。

 お前はこいつらを見習え。

 言葉には出さなかった。

「分かった、入るぞ」

 ヨシノがノックした。

 扉の向こうの喧騒が沈黙に変わった。

「どうぞ」

 ジョニーの声だけが答えた。

 扉を開けた。

 昼の光が、天窓から室内へ差し込んでいた。

 奥には中庭に続く大きなガラス戸。

 中央には、大きな長机が置かれている。

 部屋を二つに分けるように伸びていた。

 白いテーブルクロス。

 長机の両側に、向かい合うように椅子が置かれている。

 食事会場というより決闘場だな。

 メリーは苦笑した。


 部屋に足を踏み入れると、中の面々が立ち上がった。

 真っ先に目が合った。

 そう睨むなよ、ガールスカウト。

 スタシア・ラマーノフ。

 仕立ての良い黒のビジネススーツ。

 銀色の髪をきっちりとまとめている。

 窓際だった女が、今やLAMPのチーフアドバイザー。

 感謝しろよ?

 家まで買ってやったのだからな。

 そう言ったら、何をするか分からない女。

 その狂犬ぶりに期待した自分もどうかしている。

「ラマーノフ」

 声を掛けた。

「はい」

「はい」

 声が二つした。

 スタシアの陰から、可愛らしい少女がこちらを見ていた。

 青い目。

 母親譲りの銀髪。

 ボブカット。

 白いフリルのブラウス。

 黒のパンツスーツ。

 不思議とスタシアより大人びて見えた。

「すまない、母親の方を呼んだのだ。お嬢ちゃん、名前は?」

「ユーリヤ・ラマーノフです!七歳です!」

 ユーリヤの声は幼い。

 あの電話での印象とまるで違う。

 …猫か。

 これが言いたかったのか?

 ヨシノを見た。

 ヨシノは肩をすくめた。

「誰かお忘れじゃないかい?」

 キザな英語が聞こえた。

 ニューヨーカーだって、そこまで芝居がかった話し方はしない。

 声のした方を向いた。

 そこにはアザラシがいた。

「レディファーストと言うだろう? 少年」

「普段通りシールで良い。その方が楽だろう?」

 シールが近づいてくる。

 リョウタロウ・ニシオ。

 写真で何度も見た顔がそこにあった。

 黒髪のサイドパート。

 シアサッカー生地のネイビーセットアップ。

 ネクタイは無い。

 サックスブルーのシャツ。

 首元は開いている。

 シリコンバレー気取りか。

 だが、いくら着飾ってもアザラシはアザラシだ。

 鼻で笑った。

「シールはコードネームなんだがな。誰から聞いた?」

 シールは無言で、斜め向かいの席を顎で示した。

 その先では、ジョニーが困ったように笑っている。

 だと思った。

「やっと会えたな。メリット・フィッチだ。メリー呼びで構わない」

「同じく、リョウタロウ・ニシオだ。シール呼びで構わない」

 握手を交わした。

 身長差。

 年齢差。

 いずれも感じさせない握手だった。

 …後ろがやけに静かだ。

 メリーは振り返った。

 マクドネルとドーウェルが固まっている。

 ヨシノは目を瞑っている。

 対戦相手に失礼な奴らだ。

「紹介しよう――」

「CEO…」

 マクドネルが我に返って声を上げた。

 メリーは手で制止した。

「この気が利かないのがCOOのマクドネル」

 マクドネルが前に出た。

「キーファー・マクドネルです。お噂はかねがね」

 シールと握手を交わす。

 マクドネルの手はぎこちない。

「そして、こっちがCFOのドーウェル」

 ドーウェルはシールの前で屈んだ。

 そのまま握手を交わした。

「リサ・ドーウェルです。よろしくお願いします」

 声は柔らかい。

 表情は硬い。

「ジョニーとヨシノはわかるな?」

 シールが頷く。

「優秀なトナカイたちだ。今日はよろしく頼む」

「こちらこそ」

 シールは口元を緩めた。


 会食が始まった。

 ヴィアンドまでは実に退屈だった。

 社交辞令の味しかしなかった。

 シールはひたすら黙々と出された皿を平らげていた。

 好き嫌いが無いのは良いことだ。

 …ジョニー、エシャロットを残すんじゃない。

 そうこうしている間に皿が出された。

 ヴィアンド。

 メインディッシュ。

 牛肉の赤ワイン煮込み。

 葡萄と脂の匂いが鼻腔をくすぐる。

 いい香りだ。

「シール、随分とユーリヤと仲が良いんだってな?」

 肉よりも先に切り込んだ。

 シールは肉にナイフを入れていた。

 その手が止まった。

 言葉が出ていない。

 目はスタシアに向けられていた。

 シールに向けたスタシアの表情は筆舌に尽くし難い。

 その様を眺めているとジョニーと目が合った。

 泣きそうな目をしている。

 大丈夫だ。

 揺さぶるだけだ。

「そうです!ダーリンです」

 ユーリヤがシールの腕を取った。

 スタシアの表情が歪む。

「ラムかよ」

 シールは小さく呟いて肉を口に運ぶ。

 シール。

 それは牛肉だ。

 ラム肉ではない。

 勝負勘は優れていても舌はダメらしい。


 デセール。

 デザートまでは申し分ない味だった。

 ただ、食後のコーヒーはいただけなかった。

 余韻は要らない。

「そろそろ、始めるか」

 そう宣言すると机上のコーヒーが下げられていく。

 ドーウェルが前のめりになる。

「スタシア。念のため確認します。この場で西尾興業側の代理や法的助言は行わない。それでよろしいですね」

「…はい。利益相反に当たらない範囲の助言しか行いません」

 スタシアは憮然とした面持ちで答えた。

 十分だ。

 ノイズは消えた。

「シール、クリスマスプレゼントについて考えてやった」

「そいつはありがたいね」

 シールはふてぶてしく笑って、両手を組んだ。

「残念だが時期が悪すぎる。俺たちはこれから上場するんだ」

「めでたい話だな」

「ありがとう。だが、道楽には付き合えない。投資家に説明できないからな」

「道楽とは失礼だな。あの二人は真剣だぞ?」

 シールの声に険が混じる。

「学生二人のガレージ企業に2500万ドル。道楽以外に何がある?」

「Gagoyleが伸び始めていることはお見通しなんだろ? 条件を言ってくれ」

 シールが吐き捨てるように言った。

 挑発には乗ってこないか。

 よろしい。

「議決権付き株式の55%と、外部役員二名。いつ沈むか分からない企業には破格だろう?」

 笑いかけてやった。

 シールの顔は。

 苦虫を噛み潰していた。

 スタシアが口を開きかけた。

 目で制した。

 外野は黙ってろ。

「メリーおじさん、それはあんまりだよ!」

 ジョニーが立ち上がった。

 来た。

 白馬の騎士様。

 ホワイトナイト。

 友好的な第三者。

 第三者ではないがな。

 ドーウェルを脇目で見た。

 薄い唇を一文字に結び、その視線は細かく左右に揺れている。

 ジョニーの見せ場だ。

 よく見ておけ。

 ジョニーの手は震えている。

 親指を撫でている。

 それでも、その目はしっかりとメリーを見据えている。

 良い目だ。

 上手く着地させて友達を救ってやれ。

「そう思うかジョニー。なら――」

 お前が仕切れ。

 その刹那。

「ジョニー。黙るんだ」

 シールも立ち上がっていた。

 なに?

 シールが続ける。

「ジョニー、お前はブラックストームの人間だ。組織の人間なら組織に、トップに従え」

「でも…」

 ジョニーの目が泳ぐ。

 正しい。

 全くもって正しい。

 だが…助け舟だぞ?

「気持ちはありがたい。だが、今は情を捨てねばならない」

 シールが息をついた。

「それでも、友達と戦うのは辛いよな?」

 ジョニーの口が開いた。

 閉まった。

 声は出ていない。

 そして、下を向いた。

 シールはその様子を最後まで見ていた。

 そして、メリーを見据えた。

「メリー。この場には互いに思い入れのある奴が多すぎる」

 そう言って、スタシアに視線を移した。

「そういう奴らには食後の散歩に出てもらわないか? その間に腹を割って話をしようじゃないか」

 自信ありげな顔。

 馬鹿な。

 何を言っている。

 お前は助けは要らないと言ったばかりか。

 保護者すら要らないと言うのか。

 それどころか、直接挑むだと。

 ジョニーはホワイトナイトになり損ねた。

 腹立たしくもある。

 ……面白い。

 掛かってこい。

 勝負だ。

 大人げないなんて言葉は犬に食わせておけばいい。

「良いだろう。ジョニー、外の空気でも吸ってこい」

「メリーおじさん!」

「ジョニー、あとでお説教だ。行け」

 俺も怒られるべきだがな。

「リサ、ジョニーを頼む」

「メリット、何をしようというのですか」

 ドーウェルが食って掛かる。

「大の大人が寄ってたかってどうする? ここは俺とマクドネルで十分だ。だろ?」

 マクドネルに目を向けた。

 その瞬間、マクドネルはため息をついた。

 口を開いた。

「ドーウェル、ここは私とCEOだけで良い。ヨシノ、悪いが扉の前で見張っててくれ」

 マクドネル。

 長い付き合いだけに、よくわかっているじゃないか。

 ヨシノがただ頷いて扉を開けに行く。

 続いてジョニーが名残惜しそうに席を立つ。

 後ろにドーウェルが続く。

 その手はジョニーの肩にあった。

 慰めてやってくれ。

 あとは。

「スタシア、お前もだ」

 スタシアが立ち上がりツカツカと向かってくる。

 目の前で机を叩いた。

「社長、正気ですか?」

 目が据わっている。

 怖いものが無いのか、この女は。

 俺はお前が怖い。

 だがな。

 正気じゃ、この仕事はできんよ。

 思わず笑いが出た。

「出ていけよ、性悪女」

 後ろからシールが声を上げる。

「クソガキが。子供一人で何ができるの?」

 スタシアが振り向く。

 眉間が深く刻まれ、こめかみの血管が青く浮き出ている。

 どうにも剣呑だ。

 お前ら、その言い方はないだろう。

 なんて口の悪い連中だ。

 突如、幼い声がした。

「ママ、行って。ウチが残るから」

 ほう。

「ダメよ、ユーリ!」

 スタシアの顔が変わった。

 慌ててユーリヤの元に駆け寄る。

「ダーリン一人じゃ可哀想でしょ?」

 幼い英語のままだというのに。

 何故か芯があった。

「ユーリ、でも…」

 スタシアの言葉が詰まる。

「信じて? 酷いことされたら大声で呼ぶから」

 ユーリヤがウィンクした。

 酷いこと…。

 人を何だと思ってるんだ。

 スタシアは震えている。

 血が出んばかりに唇をかんでいる。

 沈黙。

 そして。

「分かったわ。遼太郎、無茶はするんじゃないわよ?」

 瞼が震えている。

 搾りだすような声だった。

「分かってるよ」

 シールが返す。

 その声は柔らかだった。

 スタシアは踵を返して扉に向かう。

 目が合った。

 睨みつけられた。


 扉が閉まった。

 部屋には四人だけ。

 いよいよ、始まる。

 シール、何を言ってくるのだ?

 55%という無茶ぶりをどう跳ねのける?

 お手並み拝見だ。

 口元が緩む。

 では。

「では、始めましょうか」

 声がした。

 冷たい。

 低い女の声。

 嘘だろ。

 猫じゃなかった。

 ラム。

 羊。

 羊の皮を被った狼。

「ビジネスの時間ですね」

 目の前の少女は歯を出して笑った。

 八重歯が光っていた。

お知らせです。

以前より迷っておりました投稿ジャンルですが、本作を「歴史〔文芸〕」から「ヒューマンドラマ〔文芸〕」に変更いたしました。

あくまで「小説家になろう」様におけるカテゴライズの変更ですので、作品の内容や今後の路線に変更はございません。

これからも変わらずお付き合いいただけましたら幸いです。

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