第十四節
本日(2026/8/21)20時ごろ、活動報告を更新予定です。第一章についてお知らせがあります。
5月4日。
眼下には海だけが広がっている。
朝日を受けた海面は白く照り返し、ところどころに細長い雲の影が落ちていた。
水平線は薄い靄に沈み、空と海の境は曖昧だった。
機体は、わずかに高度を下げ始めた。
翼の下を流れる雲が、先ほどより近い。
機内は静かだった。
ふかふかした革張りのリクライニングシート。
艶を抑えた木目の壁。
毛足の短い絨毯。
楕円形の大きな窓から、白い光が差し込んでいる。
ブラックストームが手配したチャーター機。
ガルフストリームIV-SP。
聞こえるのは、機体を包む低い振動音。
小気味の良い映画音楽。
だけであれば嬉しかった。
「CEO、聞いていますか?」
向かいのマクドネルが手を伸ばし、液晶モニターをずらした。
大統領がテロリストから飛行機を奪還したシーンだった。
良い所だったのに。
「聞いている」
液晶モニターを奪い返す。
その時だった。
画面が暗転した。
「おい」
「メリット。機内で飛行機が落ちる映画を見ないでください」
座席脇の操作パネルに目をやる。
右隣のドーウェルが、電源ボタンから指を離した。
落ちない。
ハイジャックされるだけ。
いや、最後は落ちた気がしてきた。
ツーヤンが傑作だと言うので観に行ったというのに、記憶が定かでない。
「分かった。聞けばいいのだろう?」
こいつらは何回説明すれば気が済むのか。
メリット・フィッチはヘッドフォンを外した。
マクドネルが資料の束を差し出した。
紙と目の距離が、妙に遠い。
文字のサイズも大きい。
俺の目はまだ大丈夫だ。
まだ四十六だぞ?
気遣いが失礼に感じた。
ドーウェルが資料へ目を向けた。
「シールの要請を受けて、Gagoyleの経営状況を分析した資料です」
声が大きい。
もうヘッドフォンは外している。
元の声量に戻してくれ。
「アンカレッジでの給油の時にも聞いた。よく健闘しているのだろう?」
「ええ。ですが、利用者の伸びに人員とサーバーが追いついていません。このままでは、伸びるほど自壊します」
ドーウェルが眼鏡を上げ直す。
メリーは資料に目を落とした。
「だから、学生どもはシールに泣きついた。そのシールは俺たちに泣きついた。だろ?」
「仰る通りです」
二月の中旬。
『Gagoyleへの資金支援を、実現可能な条件まで検討してほしい』
シールがクリスマスプレゼントを強請ってきた。
七月までに1000万ドル。
来年の二月までに、さらに1000万ドル。
総額2000万ドルの支援。
はした金。
シールが我が社にもたらした富に比べれば、はした金だ。
シールの懐にも入ることはない。
金の鎖は揺るがない。
道楽に付き合ってやるだけだ。
軽く考えていた。
「CEO、お願いですから軽く応じないでください」
マクドネルの表情は硬い。
「今は上場準備の最中です。対価も契約上の根拠もない資金支援では、投資家に説明がつきません」
はした金のはずだった。
LAMPの効果は絶大だった。
週次でシールから上がってくる情報を、タスクフォースは上手くさばいている。
ブラックストームは知名度こそ未だ低いが、実績では一流に肩を並べた。
親会社。
FNCの連中は欲をかいた。
完全子会社として抱え続けるより、上場させて一部の株式を売却した方が儲かる。
支配権だけは手放さず、連結子会社として残せばいい。
待っていた。
この時を待っていた。
上場後、いずれFNCの持株を買い取り、独立する。
それで、ようやく自由になれる。
そのためには。
今、波風は立てられない。
タイミングが悪すぎる。
メリーはため息をついた。
「リターンさえあればいいんだろう?」
マクドネルが身を乗り出す。
「はい。ただし、最低ラインは存在します。バーキンの野郎…失礼、CIOはGagoyleの議決権付き株式の10%が妥当だと言っています」
最高投資責任者〈CIO〉のバーキン。
あいつは投資を楽しんでいる節がある。
シールの事も面白がっている。
シンパよりも質が悪い。
連れてこなくて正解だった。
「ですが」
マクドネルが忌々しげに続ける。
「実務側としては15%が妥当と考えています。10%では2000万ドルに対して少なすぎます」
お前らこの前、取っ組み合いの喧嘩をしたらしいじゃないか。
本当に仲が悪いな。
「法務側としては」
ドーウェルが口を開く。
「法務などを担う実務のプロがいない企業へ出資すること自体、リスクだと考えます」
所詮は学生が二人で切り盛りしている会社だ。
「ならばどうしろと?」
「外部役員を一名は送り込みたいです」
役員を送り込んで支配する。
常套手段だった。
だが、普通はもっと送り込むものだ。
一名。
シールへの配慮か。
それにしても。
「学生どもが欲しがっているのは2500万ドルのはずだ。500万ドルはシール側で払えるのか?」
ドーウェルが資料を捲る。
「我々が支払っている報酬と、シール側が保有する光通信株、Qualcomm株の値上がりを考えれば、十分に捻出できると推定しています」
「Qualcomm株?」
報告を受けただろうか。
「2月にGagoyleから相談を受けた直後、買ったようです。20万ドルが、現在では60万ドル前後に膨れています」
「慌てて資金調達に走ったか」
三倍か。
良い銘柄に目を付けたようだ。
それでも、2500万ドルには遥かに足りない。
「お前たちの最低ラインは、Gagoyleの議決権付き株式の15%と、外部役員一名の受け入れということで良いのだな?」
マクドネルとドーウェルが頷く。
「社内決裁の準備は既に整えています。そのラインでシールと合意できるか。それだけが問題となります」
マクドネルが息を吐く。
15%。
指で髭を弄る。
面白くない。
シールは議決権のない株式を既に20%ほど持っていたはずだ。
今回出す500万ドルについても、別に株式を要求するのだろう。
俺たちの方が少ないではないか。
道楽に付き合ってやると割り切れば許してやれる。
だが、リターンを求める交渉であれば話は別だ。
勝負するからには勝ちに行く。
子供だろうが関係ない。
「メリット。まさかとは思いますが……」
ドーウェルが声をとがらせる。
「レイズしようとしていませんよね?」
流石だ。
俺のことが、よくわかっているじゃないか。
家庭教師をしてやっただけのことはある。
「ああ、最低でも20%。どうせなら、40%を狙っていきたいな」
「シールはLAMPの核です。事を荒立てすぎると…」
「シールは俺たちをパートナーと言った。なら、俺たちの我儘も聞くべきだろう?」
パートナーなら、まずは殴り合わなきゃな。
資本主義の怖さを教えてやるにも、いい機会だろう。
「はぁ、勝手になさってください」
ドーウェルが眼鏡をはずして目頭を揉む。
マクドネルが顔をしかめて口を開いた。
「CEO、いつものやり方ですか?」
「そうだ。大きく吹っ掛けてやる。最初は55%。外部役員も二、三名で行くか」
楽しくなってきた。
「その条件を呑んできたら、どうするつもりですか」
マクドネルが頭を抱える。
あの電話の態度。
すんなり呑むようなタマではない。
揉めるだろう。
落としどころがいる。
……そうだ。
「ドーウェル……いや、リサ。最近、ジョニーとはどうだ?」
「なんですか、急に……日に一度、電話するくらいです」
ドーウェルの頬が赤い。
「ジョニーは今日、いるな?」
「ええ。先ほど、シールとラマーノフ親子の応対をしていると連絡がありましたが」
眼下には、いつの間にか海岸線と街並みが見え始めていた。
ラマーノフ。
邪魔だな。
まぁいい。
あとでヨシノと考えよう。
「では、ジョニーを交渉の場にも参加させろ」
「よろしいのですか?」
「ああ、構わん」
ジョニー。
白馬の騎士様にしてやるよ。
羽田ではヨシノが黒塗りのリムジンを用意していた。
リムジンは東京の喧騒を抜け、ホテルオークラの車寄せに滑り込んだ。
低く横へ伸びた本館。
幾重にも重なる深い庇。
黒い柱の向こうには、幾何学模様の格子が連なっている。
派手さはない。
この男みたいだ。
ロビーを先導して歩くヨシノはいつも通り腰が低い。
「社長、西尾様一行は別館のラ・ベル・エポックにてお待ちです」
ここでの社長はお前だろうに。
「フレンチか。個室だろうな」
「ええ、もちろんです」
あとの問題は。
「スタシアを何とかする方法はないか。はっきり言って邪魔だ」
「仕事で抜けさせる手は、ジョニーが一度使っています。もう通じないでしょう」
ヨシノが頭を掻く。
あの女が一番厄介だ。
下手をすると逆襲される。
既に恨みも買っている。
メリーは立ち止まった。
あの手しかないか。
「うちの法務であることを理由に、黙らせよう」
後ろのドーウェルに話しかけた。
「ドーウェル、問題ないか?」
「完全には無理です。ラマーノフは西尾興業の監査役でもあります。ただ、この交渉で西尾興業側の代理人や法律顧問を務めれば、利益相反を指摘できます」
「分かった。そこの釘を刺しておいてくれるか?」
「お任せください」
ドーウェルが頷いた。
こういう時のために、西尾興業に送り込んでおいたのだ。
立場が増えるほど、人は自由に動けない。
守るものが沢山あると裏切れない。
メリーは口元を綻ばせた。
「社長」
ヨシノが声を掛けた。
「ラマーノフの娘に気を付けてください」
ラマーノフの娘。
スタシアの娘。
ガールスカウトの娘。
「あの健気な娘にか?」
ボーイフレンドが心配だったのだろう。
年齢の割に落ち着いた声だと記憶していた。
「ええ。母親のスタシア以上に曲者です」
あんなじゃじゃ馬が何人もいてたまるか。
精々、母親から法律の言葉を聞きかじった程度だろう。
お前はちょっと休んだ方が良い。
「ヨシノ、注進はありがたいがスタシア以上の曲者はあり得ない」
「ですが社長」
ヨシノが食い下がる。
「大丈夫だ。心配するな」
再び歩き始めた。
フランス料理店が見えた。
これで俺とシールの一騎打ちだ。
そして、美味い所はジョニーにくれてやる。
いい流れだ。
自然と笑いがこみ上げた。
基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。
とはいえ、評価をいただくと普通に嬉しくなる俗物でもあります。
お手数でなければ、ページ下部のブックマークや評価で応援いただけますと、たいへん筆が乗ります。
よろしくお願いいたします。




