第十六節
「まずは新規上場とのこと、誠におめでとうございます」
銀髪の女は深々と一礼した。
机に頭をぶつけそうだった。
メリーもつられて、頭を下げてしまった。
頭を上げると、目の前のユーリヤの肩が震えていた。
「上場…ふふっ…あはは」
ユーリヤが吹き出した。
天使のような笑顔だ。
「何がおかしい?」
自分の声は上擦っていた。
「これは失礼。LAMPでしたか。中核事業が好調のようですね」
ユーリヤの口元には、まだ笑みが残っていた。
「だからなんだ」
「子供の戯言をあてにした道楽」
ユーリヤは鼻で笑った。
「そんなものを頼りに上場されるとは。ジョークがお上手ですね」
隣のマクドネルの喉が硬く鳴った。
何だこいつは。
『母親のスタシア以上に曲者です』
ヨシノ。
どこだ。
酷いことを言われた。
部屋の中を探した。
いない。
そうだ、退出させたのだ。
扉の外で物音がした気がした。
聞いているのか。
ヨシノ。
たかが、あの女の。
スタシアの娘にすぎないと侮った。
とんだ曲者だった。
…すまん。
思わず目を瞑った。
「ユーリ、そのくらいにしておこうか」
シールの声がした。
静かな声だ。
この女を抑えてくれるのか?
「事実でサンタさんをいじめるのは可哀想だ。大人げないぞ?」
事実…?
LAMPが道楽…。
また酷いことを言いやがった。
メリーは目を開けた。
シールは笑っている。
悪魔のように笑っている。
期待した俺が馬鹿だった。
抑える気はないらしい。
「はぁい、ダーリン。ごめんなさぁい」
低く甘い声。
ユーリヤは甘えるように微笑んだ。
「さて、本題に入ろうか」
シールが襟を正した。
「ミスターマクドネル」
「…はい」
マクドネルは数秒遅れて答えた。
額には汗が浮いていた。
「条件は置いておいて、2000万ドルを出す準備自体はできているか? 話をまとめた後で、金がありませんでは困るからな」
「勿論です。社内決裁の準備は整っています」
マクドネルが鼻を鳴らした。
「親会社のFNCにも話は通っているか? あとから親会社に止められました、では困るぞ?」
「根回し済みです!」
マクドネルの声には怒気が混じっている。
昔から自分の仕事を侮られると機嫌が悪くなる。
FNCはメンツと金にしか興味がない。
それでも今回の根回しは苦労したらしい。
「ふーん」
ユーリヤが甘い声を出す。
「しろうとのしつもんいいですかー?」
さっきまでのクイーンズ・イングリッシュではない。
幼稚な英語だ。
一体何を企んでいる?
早く値切ってこい。
すぐに応じてやるから。
もうホワイトナイトはいない。
着地点が欲しかった。
「…どうぞ」
マクドネルは手のひらを上に向けて差し出す。
「では」
ユーリヤの声は、また低くなった。
英語にもキレが戻る。
「Gagoyle株式の55%を取得されるなら、当然Gagoyleは御社の連結子会社となり、親会社であるFNCの連結範囲にも入ります」
ユーリヤが一拍置いた。
「その前提でFNCへ説明された、子会社化後の経営計画をお聞かせいただけますか?」
ユーリヤは口の端を吊り上げて笑った。
「当然、お持ちですよねぇ?」
牙が見えていた。
背筋に冷たいものが落ちる。
体が強張る。
…ない。
そんな経営計画はない。
ただのブラフ。
子会社にする気など無いのだから。
フォーク――王手飛車取りか。
説明を拒めば、子会社化後の経営方針も示さず55%を要求するのかと叩かれる。
用意していないと認めれば、55%はブラフだと露呈する。
その場しのぎで取り繕っても、具体的な数字を求められれば終わりだ。
沈黙が場を支配する。
マクドネルを横目で見る。
嵌められた。
そんな顔をしている。
俺もだろうな。
まさか、子供が。
この短時間で、足を掬いにくるとは思わなかった。
その時、笑い声が室内に響いた。
シールだった。
「ユーリ、サンタさんたちは俺たちの道楽が欲しくなったらしいぞ」
シールが前のめりになる。
「メリー、衝動買いってのは誰にでもあるもんだよなぁ? 良い会社だろう?」
首をすくめ、小馬鹿にした上目遣い。
シールはせせら笑っていた。
癪だ。
ここまで馬鹿にされて、逃げ道を用意されるなど。
だが、乗るしかない。
忌々しい逃がし屋め。
「そうだな、道楽と言ったのは撤回しよう」
メリーは両手を大げさに広げて、肩をすくめた。
「実に良い会社だ。思わず45を55と言い間違えてしまったようだ。誰にでもミスはあるだろう?」
無理がある。
それでも笑ってやった。
「そうだな、誰にでもミスはあるよな。ジョニーに花を持たせようとして失敗したりな」
シールが指を振る。
「あいつをヒーローにしてやりたい。俺も同感だ。だが、反逆者にするのはいただけないな」
にっこりと笑う。
ああ。
そこまでか。
クソッ。
反逆者か。
我の強いトナカイども。
気持ちのいい反逆者が多すぎて考えてなかった。
ユーリヤがクスクス笑い始めた。
「45%?いつ沈むか分からない企業には破格ですねぇ」
やめろ。
また酷いことを言って殴ってくるんだろ?
どんな親に育てられたらそうなるんだ?
愚問だった。
「まぁ待て、言い間違えの詫びに40%でいい」
何とか取り繕った。
やっと生きた心地がしてきた。
シールが舌打ちをした。
「狸オヤジだな。そこまで引いても、まだ40%を取りに来るのか」
「シール、この世界は舐められたら終わりなんだ。お前たちの条件を言ってみろ」
「外部役員無しで15%」
シールが即答する。
マクドネルを見た。
目を見開いている。
そうだ、マクドネル。
こちらの最低ラインに近い。
呑んでしまいたいよな。
もう嫌だよな。
メリーはため息をついた。
余計な意地さえ張らなければ妥結はできる。
持分を40%から一気に下げ、代わりに外部役員を一名取ればいい。
だが。
シールと。
女。
いや、狼。
こいつらは危険だ。
特に狼。
似た喋り方の奴らを知っている。
証券取引委員会。
ワシントンの飛び切り嫌な奴ら。
役人。
天敵だ。
分かってさえいれば、あんなブラフもかまさなかった。
敵対は得策ではない。
敵対するにしても入念な準備がいる。
こういう時にゼリアンがいれば心強いのにな。
悪魔め。
肝心な時にいない。
…懐柔を進めるしかない。
ジョニー。
シールがジョニーの立場を思い憚るのは予想外だった。
良い友達を持ったな。
おかげでボロ負けだ。
LAMP。
まだ、シールをつなぎ止めるには弱い。
もっと拡充しなければならない。
そういえば、情報分析官はどうなっていただろうか。
後でヨシノに聞くか。
ガールスカウト。
隣の家に置いてやった。
家とブラックストームを結びつけるのは成功した。
だが。
シールとユーリヤを見た。
小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、こちらの回答を待っていた。
シー・ドッグとウルフ。
猛犬同士で組ませてしまった。
乾いた笑いがこみ上げてきた。
どれも、今ここで使える手ではない。
金の鎖。
そうだ。
これしかない。
しかし、このままだと喰いちぎられる。
もっと強いものが要る。
喰いちぎれないものが。
「分かった。一つだけ条件を飲んでくれれば、20%と外部役員一名で手を打ちたいがどうか?」
シールとユーリヤから笑みが消えた。
顔を見合わせている。
20%と外部役員一名。
大勝利は消えた。
赤っ恥もかいた。
だが、勝ちは取りに行く。
あれだけ言いたい放題したんだ。
慰謝料だ。
お前らの事だ。
どうせ、そのくらいは許容範囲内だろう?
「お前たちの威勢もスタシアが戻ってくればおしまいだ。さっさと決めようじゃないか」
俺はさっさと決めたい。
もうたくさんだ。
ユーリヤが口を開いた。
「条件とは?」
「俺たちが上場したら、西尾興業向けに十年物のワラントを出してやる。十年かけて累計2000万ドル分、買え」
「は? 何故?」
シールが間抜けな声を出した。
「大学生の会社には投資できて、パートナーの俺たちには投資できないのか?」
「それでは、借金みたいなものではないですか!」
ユーリヤも声を上げる。
予想していなかったのだろう。
鉄面皮が剥がれてるぞ。
ようやく一矢報いることができた。
口元が緩んだ。
「守れなくともペナルティは課さない。俺とシール、二人の約束だ」
借金なら返して終わりだ。
だが、これは株が残る。
パートナーの株を売るのは苦しいものだ。
首輪じゃない。
指輪だ。
シールと目が合った。
「契約書は必要か?」
「要らない。口約束だ」
シールが鼻を鳴らす。
約束。
簡単な言葉だ。
だが、その言葉が金を成り立たせている。
「買った後、売っても良いのか?」
「構わん。ただ…早く売ると後悔するぞ? 俺たちは化けるからな」
売れるものなら売ってみろ。
笑いかけてやった。
シールは答えずに笑った。
腹を抱えて笑っている。
ひとしきり笑った後、シールは席を立った。
こちらに近づいてきて手を差し出した。
「その条件に応じるよ。これからもよろしくな、メリー」
「こちらこそ」
その手を握った。
握手の後。
マクドネルは、Gagoyleへの出資条件を覚書に起こした。
その覚書にメリーとシールがサインをした。
「ヨシノ、入ってきていいぞ」
扉に向かって声を出した。
ヨシノはゆっくりと入ってきた。
疲れた顔だった。
「マクドネル、他の奴らを呼んできてくれ」
マクドネルが頷いて席を立つ。
「ヨシノ…すまなかった」
声を潜めた。
「社長、言ったではないですか」
「本当にすまなかった」
ヨシノが息をついた。
「その言葉はジョニーにも掛けてやってください」
「……そうだな。あいつには、本当に良い友達ができたよ」
「まったくです」
ヨシノの顔は晴れやかだった。
メリーはシールたちの方に目を向けた。
シールとユーリヤは中庭に出て、ストレッチをしていた。
…会議終わりのおっさんか、あいつら。
子供。
出口戦略家。
弁護士の娘。
逃がし屋。
狼。
おっさん。
今日は負け戦だったが、学びはあった。
子供だと舐めてかかるとエラい目に遭う。
下手をすると喰い殺される。
人選はより慎重に進めなければならない。
生半可な奴ではダメだ。
プロが必要だ。
ヨシノに向き直った。
「そういえば、前に指示した分析官の件だが…」
基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。
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