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遥かなる居場所 その値段  作者: 茶川屏
第三章 1999年 Revenger,again
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第十一節

「えらい坂やなぁ。ヤニ吸いには堪えますわ」

 そう言いながらも、後ろを歩く有栖川の足取りはしっかりしていた。

 八城神社への道のり。

 わざと遠回りして戻っていた。

 貰ったチョコレートは味がしなかった。

 遼太郎は声を潜めた。

「このまま連れて行くのはあかんやろ。どうしよ」

 頭が回らない。

 ユーリは額に手をあてている。

「ちょっと待って、待って…考えてるから」

 声に焦りが混じっている。

 …ヤニ吸い。

 教科書で見た黒い肺。

 せや。

「ヤニ吸いは肺活量無いらしいやん。走って撒けばええんやないか」

 ユーリの顔が明るくなる。

「それ良いか――」

「今、撒くとか聞こえましたけど、わて毎年、泉州のマラソン走ってますさかい無駄ですぅ」

 ……バケモンやんけ。

 ユーリだけでも逃げ切れないか。

 ダメだ。

 自分が捕まってしまったら意味がない。

 逃げる時は二人一緒だ。

 ユーリが苦し紛れに振り返った。

 その目は苛立っている。

「お医者さんがタバコ吸ったりしてていいんですかぁ」

 声に鋭さがあった。

 ええぞ、そのまま崩せ!

 拳に力が入る。

「わてはマナーの範囲内で吸ってますぅ。現に今吸ってまへん。文句言われる筋合いありまへん」

 有栖川の顔はにこやかだ。

 ユーリの顔が歪んだ。

 いや、矛盾がある。

 そこは突ける。

「パチンコ屋の前で吸ってたやないか。マナー違反や」

「パチ屋はカスのたまり場ですぅ。マナーもへったくれもあらしまへん」

 酷い詭弁だ。

 唇を噛んだ。

 返す言葉が見つからない。

 隣でユーリが頭を抱えている。

 きっと知恵を振り絞っている。

 起死回生の一手を。

 時間稼ぎが要る。

「おか…母とはどういうご関係でしょうか」

「幼馴染ですぅ。同じ剣道部でなぁ。わてが主将、タヌキちゃんが副主将でしたんや」

「何故、母のことをタヌキと?」

「タヌキそっくりで可愛らしいでっしゃろ? 因みにゴンちゃんは剛三のごの字からですわ」

 ん?

「ほんま、怯えても掛かってきはるとこ、ゴンちゃんそっくりで可愛らしいわぁ」

 有栖川から吐息が漏れた。

「今日は休診やさかい、時間稼ぎやったら何時間でも付き合いますぅ」

 そのまま、左手の缶ビールに口をつけた。

「こないな田舎、中々きまへんから観光もええですなぁ」

 開いた口が塞がらない。

 ユーリと目が合った。

 この世の終わりのような顔をしている。

 俺もそんな顔しとるんやろな。

 投了。

 その文字が頭に浮かぶ。

 負けや。

 商店街の角を曲がった。

 正しい道順だった。


 有栖川が商店街の入り口で足を止めた。

「ちょっと待っておくれやす。買い物さしてもらいますぅ」

 そう言ってスウェットのポケットから財布を取り出した。

 財布。

 LとV。

 流石、医者。

 有栖川は札を数えながら口を開いた。

「逃げてもええですけど、そしたら人に道聞いて、家に押し掛けるだけですぅ。任せますわ」

 買い物でもなんでも好きにしてくれ。

 見届けるしか選択肢がないのだから。

 商店街の前で待つことにした。

 十分もしないうちに有栖川は戻ってきた。

 片手にはビニール袋が二袋。

 もう一方には花束が握られていた。

「独断と偏見やけど、お駄賃ですぅ」

 ビニール袋を渡してきた。

 中身はハーゲンダッツだった。

 二つ。

 一人一つ。

 チョコ味だった。

「…ウチ、ラムレーズンが良かった」

 ユーリが小さく零した。

 俺もや。

 有栖川は車止めに腰かけた。

 そして、花束を脇に抱えて残った袋をまさぐった。

 取り出したのは、缶ビールだった。

 嘘やろ。

 カシュッ。

 そのまま、呷った。

「あの…この後、道場に行くんですよね?」

 ユーリの声が弱い。

 すっかり牙を抜かれている。

「そうですぅ。神聖な道場では呑めまへんから、今のうちに燃料入れとくんです」

 呼気が酒臭い。

 メンソール臭さも混じっている。

 ユーリは心底嫌そうな顔をしている。

 直視できずに花束に目を向けた。

「その花束はなんですか?たんぽぽ?」

「ガーベラですぅ。一応、患者さんですから見舞いの花ですわぁ」

 色とりどりのガーベラ。

 縁起の悪い花ではない。

 見舞いの花。

 定番なんだろう。

 自分の病室にも。

 母の病室にも届いていた。

 母の瘦せた顔。

 苦い記憶が蘇った。

 患者、か。

 本当に人の痛いところを突くのが上手い。

 嫌になるほど。

「花なんて要らん。おかんはもう治っとる!」

 思わず声を荒げた。

 患者呼ばわりすんな。

 もう患者にはさせへん。

「坊ちゃんは医者ですか?」

 声が変わった。

「え?ちゃいますけど…」

 有栖川が車止めから腰を上げた。

 そして、屈んで目線を合わせてきた。

 射すくめるような視線だった。

「医者ちゃうのに何で治った言いはるんですか?  家事はできてはりますか?」

「できてます」

「普段の家事、雑なんとちゃいますか?」

 お前に何が分かるんや。

 お前のせいで。

 言えなかった。

 有栖川の目が制していた。

 その目は鋭かった。

「さ、最近はしっかりしてます!」

「先週から?」

 整った食器。

 綺麗に折りたたまれた洗濯物。

 埃一つない廊下。

 憑かれたような母の目。

 先週。

 あの日から変わってしまった。

 何を聞きたいのか分からない。

 首の怪我の話ではないのか。

 有栖川は笑った。

「答えんでよろしいです。顔つきでよぉわかりました。助かりましたわ」

 有栖川は缶ビールを一気に飲み干した。

 その缶を片手で握り潰し、空になった袋へ放り込んだ。

「ほな、いきましょか。アイスは食べながらでええです」

 そう言って有栖川は足早に歩き出した。

 八城神社の方向に。


 十五分後。

 有栖川とユーリは、八城神社の石段の頂上で遼太郎を待っていた。

「遅くなりました」

 汗だくで到着した遼太郎は頭を下げた。

「遅いですなぁ。坊ちゃんは足腰弱くてあきまへん。お嬢ちゃん以下やと大成できまへんで」

 社会人をやっていてよかった。

 6秒耐えきれた。

 怒りは抑えられた。

 足腰は同年代ではかなり強い方だ。

 それでも。

 三段飛ばしで登っていく有栖川には追いつくことができなかった。

 結局、ユーリに追いかけてもらっていた。

「坊ちゃんはあきまへんけど、お嬢ちゃんはええ身体してはります。わての実家、古剣術やってますねんけど入門しまへんか」

「結構です!」

 ユーリの声が大きい。

「残念やわぁ」

 嬉しそうな声だった。

 そして、有栖川は鳥居を見上げた。

「それにしても、やっぱりええ神社ですなぁ」

 有栖川は最敬礼して境内に入った。

 そのまま、ずいずいと道場に向かっていく。

 ユーリが後ろから声を掛けた。

「有栖川さん」

「なんですかぁ」

 有栖川の歩みは止まらない。

「道に迷ってたって嘘でしょ?」

「わて、道に迷ったって嘘つきましたか?」

「え?」

「着きましたわぁ。ほな失礼しますぅ」

 有栖川は道場の戸を開けた。


 戸口から覗くと、道場の中は暗かった。

 母はもう帰ったのだろうか。

 その時、後ろから声がした。

「やっぱり来たか」

 冷たい。

 母の声だった。

 振り向くと袴姿の母がいた。

 表情はなかった。

「来るとしたら今日か明日や思ってた。せやから子供ら先に帰したんや。それやのに子供捕まえて人質か?」

 有栖川は薄ら笑いを浮かべている。

「あら、タヌキちゃん。人質なんて人聞きの悪い。この子らは道に迷うたわてをここまで送ってくれたんどすえ?」

 有栖川はユーリに向かってウィンクした。

「嘘つくなぁ」

 母が声を張り上げた。

「ここ通ってたくせに道知らんわけないやろが!」

「そういえば、中学の時分に誰かさんと放り込まれましたなぁ。忘れてましたわぁ。歳やろか」

 母の顔が歪む。

 その母と目が合った。

 ひっ。

 ユーリが小さく声を上げた。

 母は無理やり笑った。

「遼太郎、ユーリちゃん。悪いけど先帰っといてくれへんか? ええ子やから」

「つれへんわぁ。仲間外れは教育に悪いですぅ」

 お前は出てくるな有栖川。

「黙れや。子供は関係あらへんやろ」

「ありますぅ。また、一人だけで頑張ってはるんやろ? 子供らも怯えてはるでぇ可哀想に」

「アンタに何が分かるんや」

「小中高の付き合いやさかい、読めますぅ。周りに気ぃ使わして、中途半端なんを治そうとしとるんやろ?」

 有栖川が口元を歪めた。

「アンタの中途半端は治りまへん。そもそも、治すようなもんやあらへん」

 母は下を向いている。

 顔色は真っ赤だった。

「わてもアンタ憎さにかまけて、アンタの性分忘れて煽りすぎましたわ」

 有栖川は母に背を向けた。

「わてらの話に周りまで巻き込んだんは、悪かったと思いましてな」

 母は砂利の上にへたり込んだ。

 有栖川の声が変わった。

「恵、なんで上段捨てたんや? アンタの中途半端は、ええとこ全部摘まんで楽しむためのもんやろ?」

 有栖川は振り向いた。

「何度でも上段でかかってくるんがアンタやろ?」

 そうして、母の前に膝をついて顔を覗き込んだ。

 母の俯いた顔から、雫が落ちていた。

「剣道も、嫁も、母親も、先生も、ギャルも中途半端なまま全部楽しんで、上段で斬りかかってこい。そんなアンタをぶちのめしてこそ、わての気が晴れるんや」

「…何を言うとんのか分からん…けど、勝負は望むところや」

 母の声はか細い。

 だが、芯があった。

「秋の大会は勝ち進めば大阪代表同士でも対戦出来るやろ。精々上がってきなはれ」

 有栖川は満足したように立ち上がった。

 膝についた砂利を払う。

 そしてこちらを向いた。

「坊ちゃん、お嬢ちゃん」

 ユーリと二人してビクついた。

「わてが大人げない真似して、ご迷惑おかけしました」

 有栖川が頭を下げた。

 すぐに頭を上げて遼太郎を見つめた。

「坊ちゃん」

「なんですか」

 有栖川は、座り込む母を一瞥した。

「こんなお母さんですけど、大事にしたってくださいね」

「…もちろん」

 有栖川が遼太郎の頬を撫でた。

「ええ息子さんやわ。わての子に欲しかったわぁ」

 その表情はどこか優しかった。

「今日のご褒美にこの花あげるわぁ」

 有栖川が花束を遼太郎の腕の中へ落とした。

 そして、境内に向かって歩き始めた。

「ほな、大会で待ってますぅ。さいなら~」

 腕の中の花束を見下ろす。

 ガーベラ。

 花言葉は『前進』。

基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。

とはいえ、評価をいただくと普通に嬉しくなる俗物でもあります。

お手数でなければ、ページ下部のブックマークや評価で応援いただけますと、たいへん筆が乗ります。

よろしくお願いいたします。

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