第八節
白騎士が翔んだ。
「メェェン!」
竹刀が振り下ろされる。
相手の竹刀も上がった。
間に合わない。
乾いた音が、体育館に響いた。
白騎士は相手の右脇を抜けていく。
白い袴が翻った。
「面あり!」
主審の旗が上がった。
「勝負あり!」
観客席から拍手が湧いた。
「よっしゃ!」
遼太郎は立ち上がった。
「Bブロックの宮本五段を下して、ついに決勝ですね」
左隣でトーナメント表を広げる栞の目元は緩んでいる。
「ほんとに優勝しちゃうかも」
右隣のユーリは鼻息を荒くしている。
そういや、どこまで勝てば本選やったか。
「本選…」
そこまで言いかけた。
…こいつらに聞いたら、また馬鹿にされるわ。
袋叩きにされる未来しか見えない。
真後ろに座る富田に顔を向けた。
富田はカメラのレンズを弄っていた。
声を潜める。
「富田兄ちゃん」
「なんですか若」
何かを察したのか、声を潜めていた。
真剣な顔だった。
「おかんが全日本の本選行ける条件って何?」
その途端、富田が表情を崩す。
「大阪は代表枠が二つあるので、優勝者と準優勝者が行けますよ」
ということは。
「つまり、もうおかんは行けるってこと?」
「そうですよ!」
声が大きい。
富田は満面の笑みだった。
そうか。
予選に送り出せたどころか。
本選の大舞台に。
もう行けるんか。
そう思った瞬間、力が抜けた。
「安心した?」
耳元で、ユーリが囁いた。
優しい声。
いつもの煽りはなかった。
「おう、肩の荷が下りたわ」
「早くない? まだ決勝あるよ」
ユーリが苦笑いを浮かべる。
決勝。
今日の母は圧倒的だ。
ここまで苦戦知らず。
「これはもう優勝やろ。焼肉何食うか決めとけ」
ビシッ。
突如、額に衝撃が走った。
「痛ぇ」
「フラグ立てないの」
ユーリがデコピンをしてきた。
思いのほか痛かった。
「遼太郎、お父様がどこに行ったか知りませんか」
栞が横から話しかけてきた。
辺りを見回している。
そんな事よりおでこ見てーや。
腫れてるに違いない。
おでこをさすりながら、父の姿を探す。
父は、さっきまで斜め前に座っていた。
はずだった。
席は空いている。
「トイレちゃうの? どうしたん?」
「いえ、焼肉と聞いて、予約を取っているのか不安になったもので。富田は聞いてますか」
真後ろの富田が前のめりになる。
「僕も知らないですね…さすがに予約しているんじゃないですか?」
「そう言って丸鶏の予約はしてなかったじゃないですか」
栞の声が冷たくなる。
「…その節はすいませんでした。ちょっと見てきますよ」
富田が気まずそうに立ち上がった。
「あ、富田さん待って。いた!」
ユーリが指さした。
試合場の脇。
そこに光る頭。
隣には白騎士。
「なんや、おかんとこ行ったんか」
「間近で応援したいんじゃない?」
おとん、一声かけてくれてもええのに。
水臭いなぁ。
「俺らも行こか」
遼太郎が立ち上がった。
「若とユーリちゃんは先に行っててください。僕と栞でここを片づけて、すぐ追いかけますよ」
後ろでは、栞が荷物をまとめ始めていた。
試合場に降りると、準決勝が始まっていた。
「今試合してるのは…」
ポケットからトーナメント表を出そうとした。
引っかかって取れない。
「Cブロックの天草五段とDブロックの有栖川五段」
隣のユーリが口を開いた。
自前のトーナメント表を見ている。
勝者をなぞる線が、綺麗に引かれている。
…俺のトーナメント表、要らんやんけ。
そういえば。
有栖川。
さっきから、何度か読み上げられていた苗字。
胡散臭い苗字。
「ユーリ、有栖川ってスタシアさんの主治医がそんな苗字やなかったっけ」
「そう。ウチもさっき気づいてさ。だからね」
ユーリがバッグから手帳を取り出した。
表紙に貼られたプリクラやシールが、この場には不釣り合いだった。
そこから、一枚の名刺を取り出した。
有栖川整形外科。
有栖川志麻。
ユーリは名刺の角で、トーナメント表の名前を指した。
『Dブロック 有栖川 志麻 五段』
「どう思う?」
ユーリは首を傾げた。
「同姓同名ちゃうの?」
「志麻はともかく、有栖川なんてそうそういないでしょ? 同じ大阪だし」
「ほな本人か…医者で五段か。凄いな」
属性モリモリやんけ。
「うん。ウチはママが来なくてほっとしてる」
ユーリが肩の力を抜いた。
「相性悪いんやっけ?」
「なんか、いちいち嫌味っぽいんだって」
「そらきついなぁ」
あの傲慢ちきが、ねちねち詰められている姿を想像した。
口元が緩んだ。
「遼ちゃん、失礼なこと考えたでしょ!」
脇腹を小突かれた。
ますます親に似てきたな。
人混みを抜けて白騎士に近づく。
試合場では睨み合いが続いている。
「えらい、長丁場やな」
「有栖川さん、さっきからずっと間合い取ってる」
ユーリが顎に手を当てる。
「攻めへんねや」
「相手が打って出てくるの待ってるみたい。嫌なタイプ」
じゃあ、本人やんけ。
言葉を飲み込んだ。
その時、声が聞こえてきた。
父の声だった。
耳を澄ませた。
「やっぱ、志麻さんやんな」
「だからなんや?」
白騎士――母の声。
しかし、冷たい。
今まで聞いた中で一番かもしれない。
「いや、懐かしいなぁって…」
父の声はか細い。
鼻息が聞こえた。
「まだ生きとったんか。しぶとい」
一段と冷たい。
「いや、そこまで言わんでも…」
「なんや、あの女の肩持つんか?」
「そんなことはあらへんけど…」
「集中の邪魔やから黙っといてくれへんか?」
「はい…」
怖っ。
隣のユーリを見た。
口をぽかんと開けている。
目が合った。
「恵さんってこんなに怖いの?」
「…たまにあるで」
おとんが調子乗ったときとか。
「なんか知り合いっぽい?」
「みたいやね。ただ全然知らんわ」
両親の口から、その名前を聞いたことはない。
「医者でしょ? 未来で、病気関係とか?」
「無いわ。それにあの人、整形外科やろ?」
「そうだね…」
ユーリが考え込む。
「悩まんでええ。勝てば解決や」
勝利こそが正義や。
「遼ちゃんのそういうところ、ほんと剛三さんそっくりだね」
ユーリがため息をついた。
「褒めてる?」
「半分だけ」
「半分かーい」
俺も禿げるんやろか。
試合場に目を移した。
紺の騎士と…
黒い。
黒い防具自体は珍しくない。
だが、近くで見ると、その黒さが際立っていた。
黒い袴。
漆黒の胴と面。
前垂れを見る。
有栖川。
「なあ、ヤブ医者の防具、やたら黒くね?」
「やめなって。けど確かに黒いね。ああいう防具もありなんだ」
ユーリが感心したような声を出す。
試合は膠着状態だった。
中段で構える双方は位置を取り合うだけで仕掛けない。
後ろから声がした。
「多分、黒漆塗りの特注じゃないですかね」
振り返ると富田がいた。
ボストンバッグを担いでいる。
首にはニコンのカメラがぶら下がっている。
「特注?」
ユーリが首を傾げる。
「ええ、京都の西陣に有名な店があるんですよ」
「高いんちゃうの?」
「職人の手刺しで、総漆塗りともなると100万円はするんじゃないですか」
「はぁぁぁ」
ユーリと声が合った。
母がこだわり抜いた防具でも20万円もしなかった。
「流石、医者やな」
「お医者さんなんですか? 黒い防具の人」
富田が目を見開いた。
「ママの主治医の先生っぽい」
「へぇ」
富田が間抜けな声を出した。
「富田」
その声に三人が振り返った。
栞が駆けてきた。
手にPHSを持っている。
「スタシアさんから、遅くなるかもしれないから先に始めてて…あ」
栞の足が止まった。
視線は、三人の向こう――試合場へ向いていた。
その時。
「面あり!」
主審の声が響いた。
「勝負あり!」
観客席から拍手が鳴る。
試合場では勝負が決していた。
「ウチ、見てなかった」
「僕もです」
「俺も」
栞が口を開いた。
「黒い方の選手の綺麗な片手面でした。ただ……遠目ですが、かなり速いです。左利きかもしれないです」
「左利き!?」
富田が反応した。
基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。
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