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遥かなる居場所 その値段  作者: 茶川屏
第三章 1999年 Revenger,again
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第六節

お知らせ:活動報告にQ&A及び人物紹介を掲示しました。もしよろしければ、お読みください。

 4月22日。

 校門へ続く桜並木では、枝よりも地面に花が多く残っていた。

 側溝に寄った花びらは、端から茶色く変わっている。

 枝先には若葉が揃っていた。

 校舎の向こうでは、生駒山の斜面が薄い緑を帯びている。

 朝の空気には、まだ冷たさがあった。

 だが、昼を過ぎると校舎の南側へ陽が回った。

 教室の窓は半分開けられている。

 風が入るたび、カーテンが膨らんだ。

「ここ、『思って』じゃなくて『想って』ね」

 ユーリはノートの端に、その漢字を書いた。

 まだ習っていない字だが、致し方ない。

 目の前で、エリがその字を書き写している。

 ユーリは周囲を見渡した。

 昼休みもそろそろ終わる。

 廊下や校庭から、子供たちが教室へ戻り始めていた。

 遼太郎の席を見た。

 空いている。

 キックベースかケイドロにでも駆り出されているのだろう。

 小学校のヒエラルキーは足の速さで決まる。

 遼太郎は速い方だ。

 引く手数多である。

 良いなぁ。

 自分の太ももに視線を移した。

 スカートから覗く太ももは引き締まっている。

 鍛え過ぎた。

 そして、運動会で負けん気を出したのが仇になった。

 校内一の俊足になってしまった。

 チートを抑えていたにもかかわらずだ。

 今や、最終兵器扱いだ。

 …ウチも童心に帰って遊びたいんだけど。

 ため息をついた。

「できた」

 エリが満足げな顔で紙を差し出してきた。

 一読する。

 誤字はない。

 冒頭から眩暈がするような甘い言葉が並ぶ。

 高校時代なら、胸をときめかせて似た文言を書いたかもしれない。

 今は、読んでいる方が恥ずかしい。

 結論は、今度一緒に図書館に行こうという誘い。

 しかし、途中から天気や給食の話に脱線している。

 恋文というより、怪文書だ。

 何と言おうか。

「エリちゃん、一緒に図書館に行きたいって、もっと強く書いた方が良いんじゃないかな?」

「うーん、文字を大きくする?」

 難しい。

 恋文の添削など経験がない。

「まぁ、遼ちゃんなら分かってくれるから大丈夫かも」

 受け手の判断に任せることにした。

 恋文を返すと、エリは安心したように折り始めた。

 それにしても。

 一番の恋敵に、恋文の添削を頼むなんて。

 実に可愛らしい。

 遼太郎が本当の七歳児なら、断っていた。

 近づかせすらしなかった。

 何という狭量だろう。

 自分でも笑ってしまう。

 遼太郎の顔を思い浮かべた。

 きっと図書館にも付き合ってあげるのだろう。

 保護者としてなら構わない。

 こんな幼子に絆されるはずもない。

 好みは知っている。

 隅々まで。

 いや。

 万が一、絆されようものなら。

 矯正してあげないとね。

 犯罪だもの。


 エリが顔を上げた。

「入れるの、靴箱が良いかなぁ?」

 恋文は、小さな便せん一枚に収まっていた。

 エリはそれを指先で揺らした。

 靴箱。

 遼太郎なら踏みかねない。

 そういう注意力は皆無だ。

 何度辛酸をなめたことか。

「ちゃんと手渡しした方が良いよ」

 渡せる。

 伝えられる。

 面と向かえるなら、その方が良い。

 お姉さんからのアドバイスだよ。

「わかった!ありがとう」

 エリは笑顔で自席に戻っていく。

 エリちゃん。

 一年生の頃は険があった。

 いや、今でもたまにある。

 それでも打ち解けてきた。

 それに引き換え。

「ユーリちゃん!」

 来た。

 アヤカが声を張り上げながら近づく。

「ゴールデンウィークに遼ちゃんと東京行くのってほんま?」

 険が強い。

 どこから漏れたのか。

「誰から聞いたの?」

 聞いてから愚問だと気づいた。

 漏らすのは一人しかいない。

「遼ちゃん。お土産何が良いかって」

 優しすぎるのも考えものだ。

 遼ちゃん。

 メリット・フィッチに会いに行くんでしょ?

 将来、数兆、数十兆円に化けるかもしれない交渉でしょ?

 実に呑気だ。

 ユーリはため息をついた。

「うん、行くよ東京。家族旅行だよ」

「え…」

 アヤカは二の句が継げなかった。

 ふふっ。

 意味がわかったんだぁ。

 アヤカもエリも賢い。

 賢い分、扱いやすい。

「お土産、何がいい?」

「…ひよこ饅頭」

「オッケー」

 ユーリはポケットから手帳を取り出した。

 学校用の手帳。

 普段使いの手帳よりもプリクラを多めに貼っている。

 プリクラは全て遼太郎とのツーショット。

 それを見たアヤカの顔が歪む。

 楽しいなぁ。

 大人げないとは分かっていた。

 ただ、やめられなかった。

 この子の険が取れるのは、まだ先らしい。


 手帳にメモし終わった時、男の子が話しかけてきた。

「ふくいんちょー」

「なあに?」

 副委員長、ね?

 役職は正確に呼びなさい。

 遼太郎はおとなしめの子たちをまとめていた。

 目の前で誰かがいじめられていたら、寝覚めが悪いらしい。

 同感だった。

 手伝っているうちに、二人揃って学級委員長と副委員長に祭り上げられた。

「いんちょーが…」

 述語がない。

 何かあったのだろうか。

 危険な予感はしていない。

 それでも。

「遼ちゃんがどうしたの!?」

 思わず立ち上がった。

「キックベース、手ぇ抜いとるー」

 は?

 その時、予鈴が鳴った。

 遼太郎がそそくさと教室に入ってきた。

 マスクで顔の半分を隠している。

 その後ろから、キックベースをしていた子供たちも戻ってきた。

 皆、汗だくだった。

 だが、遼太郎は汗一つかいていない。

「本気で走ってなかったんでしょ?」

 男の子に尋ねた。

「うん。ゆっくり走ってた。いんちょー来たら勝てるって思ったのに。税金ドロボーや」

 男の子はそのまま自席へ戻っていった。

 税金泥棒とよく叩かれたけど、用法が違うね。

 どこからそんな言葉を覚えてくるのだか。

「遼ちゃん、体調悪いんかな」

 アヤカが心配そうな顔をする。

「大丈夫だと思うよ」

 そう言って腰を下ろした。

 逆だよ。

 汗をかきたくない。

 体力も使いたくない。

 そういうことでしょ。

 肺炎になったせいで、恵さんの大舞台を台無しにした。

 酒が入るたびに嘆いてたもんね。

 自分にとっても恵は特別だ。

 何度も見舞った。

 真っ白な病室。

 黄色いスカビオサの花束。

 痩せ細った顔。

 秘めた気持ちを察してか、応援すらしてくれた。

 義母と呼びたかった。

 そんな恵の邪魔はしたくない。

 気持ちは分かる。

 ただ。

 わざと大きな咳をしてみた。

 遼太郎は跳ね上がった。

 あたりを見回している。

 可愛い。

 だが、過剰だ。

 ほんと、小心者なんだから。


 帰りの会が終わり、子供たちが蜘蛛の子を散らすように帰っていく。

「遼ちゃーん、一緒に帰ろ」

 アヤカが遼太郎に近づく。

 その後ろにはエリもいる。

「すまん、今日おとんが車で迎えに来るねん」

 遼太郎は申し訳なさそうに答えた。

 口元はマスクで見えないが、眉が八の字になっている。

「そうなんや……じゃあ、また明日やね」

「おう、すまんな。あ、エリ!」

「なに?」

 エリが嬉しそうに近づく。

「手紙、返事書くからな」

 遼太郎はランドセルから便せんを取り出して見せた。

 エリの顔が明るくなる。

 優しい人。

 だけど。

 そんなエリを、アヤカはじっと見つめている。

 ほんと、女心の分からない人。

 見てられない。

 泥を被ってあげるよ。

 後ろから声を掛ける。

「遼ちゃん、お父さん来ちゃうよ?」

「おお、ほんまや。行こか」

 遼太郎がランドセルを背負う。

「ユ、ユーリちゃんも一緒なん?」

 アヤカが狼狽えた。

 エリは口を開けたまま動かない。

「そう。家が隣だから、一緒の車に乗せてもらうの」

 生意気な声を作った。

「じゃ、バイバーイ」

 そのまま遼太郎の腕を引いて教室を出た。

 二人は睨んでいた。

 ウチを。

 遼ちゃん、貸しだからね?


 校舎を出ると、下校する子供たちの声が校庭に広がっていた。

 駐車場では、午後の陽を受けて車の屋根が白く光っている。

 風が吹いた。

 アスファルトの隅に残っていた桜の花びらが、白線の上を転がっていく。

「まだ来てへんなぁ」

 遼太郎が口を開いた。

 マスクは既に外している。

 駐車場には、教職員のものらしい車しかなかった。

「遼ちゃん、キックベースで手抜きしたでしょ?」

 副委員長の仕事は果たさねばならない。

「何で知ってんの?」

 遼太郎の目が見開かれた。

「クレームあったから」

「クレーム?」

「試合が明後日だから、体力使いたくないのは分かるけどさ。やるときはやろうよ?」

「うっ……すまん。やる気なかったんやけど、出てくれるだけでええって頼まれて、つい……」

 頼まれたら断れない。

 結局、中途半端な小心者。

 ジョニーのことを言えた口ではない。

 だけど。

 それが遼ちゃんらしい。

 だからこそ、放っておけない。

「そういう時は、その場では断って、来週、埋め合わせするの」

「はい……」

 遼太郎はしゅんと肩を落とした。

 顔はしょんぼりとしている。

 ああ。

 駄目だよ。

 そんな情けない顔しちゃ。

 ウチの遼ちゃん。

 なんで。

 そんなに愛おしいの。

 ずっと愛でてたい。

 ずっと。

 ずっと。

 遼ちゃんさえいればいい。

 二人だけで。

 そんな想いが、頭の奥で明滅した。

 いけない。

 止まれ。

 落ち着け。

 深呼吸をした。

 遼太郎は気づいていない。

 安寧であれば。

 側に居られれば。

 二人で居られれば。

 どんどん膨らんでいく。

 抑え込むのが大変なんだよ?


 その時、二台の車が駐車場へ入ってきた。

 前を走るのは、白いワンボックス。

 ボンネットの初心者マークが真新しい。

 車体の横には『西尾興業株式会社』の文字。

 もとは西尾家の車だった。

 今は、西尾興業の社有車になっている。

 その後ろを走る車から、低く野太い排気音が響いていた。

 鮮烈な青。

 ベイサイドブルー。

 低い車高。

 直線的なボディライン。

 張り出したフェンダー。

 大きなフロントインテーク。

 日産スカイラインGT-R。

 R34。

 今の西尾家の車だった。

 剛三が、遼太郎から金を借りてまで買った車。

 確かに美しい。

 欲しくなるのも分かる。

 ウチは、もっとシュッとした車が好きだけどね。

 二台の車が目の前で止まった。

「おとーん!」

 遼太郎が手を振った。

 GT-Rから剛三が下りてくる。

「待たせたなぁ」

 禿げ頭に西日が反射している。

 ワンボックスの運転席からも人が下りてくる。

 富田だった。

「富田兄ちゃんの練習?」

 遼太郎が首を傾げる。

「ええ。社長に付き添ってもらってます」

 富田がはにかむ。

「免許取って三日やのに、だいぶ上手いわ」

 この青年は何をやらせてもそつなくこなす。

 頭もいい。

 前の職場に、こういう部下が欲しかった。

 富田は手を横に振った。

「いえ、僕なんてまだまだですよ」

「明日からは、俺の付き添いも要らんとちゃうかな」

 剛三は豪快に笑った。

「練習ついでに迎えに来るん、珍しいやん」

 遼太郎の問いに剛三が声を潜める。

「今日な、お母ちゃんと栞ちゃんが練習で遅なるのは知ってるやろ?」

「うん」

「てんやもの買っとけ言われとるけど、どうせやったら壮行会やったろ思うてな」

 遼太郎の目が輝く。

「くらで寿司買って帰るで! 向こうでお前らの好きなネタ選べや」

「ほんま!?」

 剛三と目が合った。

「ほんまや。ユーリちゃんも遠慮なく頼みや」

「い、良いんですか」

 生唾が出た。

 寿司。

 大好きだ。

 遼ちゃんの次くらいに。

「水臭いこと言うなや。スタシアさんにも言うてある。デパ地下でなんか差し入れ買うてきてくれるらしいし、皆で食おう」

「おとん、おかんに酒は飲ませたらあかんで?」

 遼太郎がおどける。

「分かっとるわ!勝てる試合にも負けてまうやろ。ほな、そろそろ行くで」

 富田がワンボックスのスライドドアを開ける。

「若とユーリちゃんは後ろにどうぞ」

「富田君、安全運転で頼むで」

「任せてくださいよ。社長」

「富田兄ちゃん、よろしゅうたのんます!」

 遼太郎が乗り込む。

「運転よろしくお願いします」

 ユーリは富田に頭を下げた。

「かしこまらないでくださいよ、ユーリさん」

 あ。

 ひっどーい。

 富田がしまったという顔をしている。

 ちゃんで呼びなさいよ。

「じゃあ、運転よろしく。運転手さん」

 意地悪く言って乗り込む。

 富田は苦笑したままドアを閉めた。

 ユーリはシートベルトを締めた。

 ふと、隣を見やった。

 遼太郎の横顔。

 機嫌よく笑っている。

 遼ちゃんもお寿司好きだもんね。

 ああ。

 この日々が続くなら、あの想いは奥にしまっておける。

 そう思った。

基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。

とはいえ、評価をいただくと普通に嬉しくなる俗物でもあります。

お手数でなければ、ページ下部のブックマークや評価で応援いただけますと、たいへん筆が乗ります。

よろしくお願いいたします。

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