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遥かなる居場所 その値段  作者: 茶川屏
第三章 1999年 Revenger,again
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第三節

 1月16日。

 午前十時前。

 土佐堀川を渡ってきた風が、御堂筋のビルの間を抜けていた。

 歩道を行く人々はコートの襟を立て、足早に駅の方へ向かっている。

 土曜日の淀屋橋は、平日より人が少なかった。

 高層ビルのガラスに、白い冬の空が映っている。

 遼太郎は正面玄関脇の案内板を見上げた。

 最上階の欄には、一つの社名だけが記されていた。

 ブラックストーム・インベストメント・ジャパン。

 大阪支店は、そこにあった。

 隣では、ユーリが当然のように遼太郎の腕を取っていた。

 細い腕が、こちらの肘に絡んでいる。

 丈の長いチェスターコート。

 白いタートルネックニット。

 黒いロングスカート。

 この場には馴染んでいた。

 それに引き換え、自分は。

 オレンジのダウンジャケット。

 チェックのネルシャツ。

 デニム。

 これでも、ユーリに選んでもらった服である。

 ただ、場違いに感じた。

 

 ユーリが正面玄関に目を向けた。

「遼ちゃんは前に来たんだよね」

「一昨年やな」

 あの時は、父と二人だった。

 子供用のスーツの襟元が窮屈だった。

「ユーリは初めてか?」

「うん。ママの職場に来るの、初めて」

 そう言って、あたりを見回している。

 正面受付の方から、スタシアが足早に歩いてきた。

 黒いコート。

 その下には、いつものスーツが見える。

 ヒールの硬い音がロビーに響いた。

「お待たせ。パス、もらってきたわよ」

 スタシアは一枚をユーリの首に掛けた。

 もう一枚を、遼太郎へ差し出す。

「はい」

 掛けてくれないらしい。

 渋々受け取った。

 スタシアの鼻息が聞こえた。

「それにしても、浮いてるわね。なんでそんな格好なのよ、遼太郎」

 忌々しげな声だった。

「ウチが選んであげたんだけど」

 ユーリがか細い声で言った。

 今にも泣きそうな顔をしている。

「あ、あっ、違うの、ユーリ! よく似合ってまちゅ!」

 スタシアの顔が赤くなった。

「い、行きまちゅよ!」

 踵を返し、エレベーターホールへ歩き出す。

 ユーリがこちらを見た。

 小さく舌を出している。

 悪い顔や。

 役者やなぁ。

 ユーリは遼太郎の腕を離した。

 数歩先へ出て、振り返る。

 遼太郎を上から下まで眺めた。

「うん。スーツだらけのお堅いところには、よく合うよね。HEROじゃん」

 そう言って、主題歌の一節を歌いながらエレベーターホールに向かって駆けて行った。

 良い発音だった。

 まだ放送前やぞ。

 どうやら、型破りな検事を意識した服らしかった。


 通されたのは、オフィスフロアにあるD会議室だった。

 大きな会議机。

 人数分のコップ。

 壁際には資料の束が積み上がっている。

 左隣ではユーリが出されたオレンジジュースを啜っている。

 右隣ではスタシアが苛立たしげに腕を組んで座っている。

 父の姿はない。

 この場には足手まといだと、スタシアに言われていた。

 その時の父は、物悲しげな顔をしていた。

 ちょっとは言い方を考えろや。

 隣のスタシアを睨みつける。

 舌打ちが飛んできた。

 ひっ。

 ごめんなさい。

 そんな父は朝からカーディーラーに向かった。

 正月早々の家族会議。

 父は、購入資金を借りるという妥協案を出してきた。

 返済など考えず、贈り物として受け取ってほしかった。

 しかし、これしかなかった。

 今朝の父の顔は晴れ晴れとしていた。

 これでよかったのかもしれない。


 コンッ、コンッ。

 ノックの音がした。

 金髪の美丈夫が顔を出す。

「おお、ジョニー! 久しぶりだな」

 無意識に英語に切り替えるのにも慣れた。

 ジョニーの顔がほころぶ。

「リョウ君! 大きくなったね」

 片手を上げ、大股で部屋に入ってきた。

 ネクタイはなく、シャツの袖を肘まで捲っている。

 直接顔を合わせるのは一年ぶりだった。

 若干、老けた。

 いや、凛々しさが増している気がした。

「お久しぶりですね。ジョニー・フィッチ()()

 早速、スタシアの先制パンチが飛んだ。

 手加減しろや、性悪女。

「うっ、スタシア……もう代行ではないよ。休日にもかかわらず、来てくれてありがとう」

 ジョニーは頭を下げる。

 意外だった。

 面食らいつつも、ちゃんと切り返せている。

 泣かなくて偉い。

 スタシアは鼻を鳴らす。

「本日はタスクフォースの説明とのことでしたが」

 言葉を切って、こちらを見た。

「まだ、この子供を頼るというのですか?」

 声が大きい。

 ジョニーは頭を上げない。

 やめたれや。

 いじめは良くない。


 コンッ。

 短めのノックの音がした。

 こちらの返事を待たずにドアが開いた。

「お邪魔ですか?」

 見覚えのある地味な顔が覗いた。

「…ヨシノ社長」

 スタシアは立ち上がった。

「お邪魔なんてとんでもない。お越しだったのですか」

 丁寧になっても、声から棘は抜けていない。

 ヨシノが会議室に入ってきた。

「ええ、午後にはジョニーと東京に戻りますがね。西尾様、ご無沙汰しております」

 ヨシノがこちらを向いて頭を下げる。

『ヒラだと思ってたぞ』

 過去の自分の発言が気まずい。

「こちらこそ、ご無沙汰しております。日本橋ではありがとうございました」

「いえいえ、トナカイの役目を果たせて満足しております」

 ヨシノは穏やかに笑った。

「日本橋? トナカイ? 何のことですか?」

 スタシアの声に怒りが混じっている。

 しまった。

 ヨシノが顔をしかめる。

 話してなかったのか。

 そう言っているようだった。

「ママぁ、おかわり」

 突然、ユーリが空になったコップをスタシアに差し出す。

 スタシアの表情が変わる。

「えっ、ちょっ、ちょっと待ってね」

 スタシアがコップを受け取った。

 立ち上がりかけ、コップを手にしたまま室内を見回す。

「オレンジジュースですね。すぐお持ちします」

 そう言って、ヨシノは早々と退出した。

 スタシアの顔から怒りは消えている。

 机の下では、ユーリが拳を差し出していた。

 ナイスやん、相棒。

 すかさず拳を合わせた。


 数分後。

 ヨシノが戻り、全員が席に着いた。

 ユーリのコップにはオレンジジュースがなみなみと注がれている。

 ヨシノが口を開いた。

「新たに設置するタスクフォースについてご説明する前に、まずブラックストームの新たな経営計画をお話しします」

 ジョニーがA4判の資料を配る。

 表紙にはでかでかと文字が並んでいた。

 LAMP。

 Liquidity Assessment & Management Platform。

 流動性評価・管理プラットフォーム。

 ヨシノがページを一枚めくった。

「名前も、目的も単純です。資産に価値があることと、必要な時に売れることを分けて考える。そのための仕組みです」

 指が、LAMPの下に印刷された図へ移る。

「弊社はこれまで、不良債権の評価と回収を主な業務としてきました。ですが、昨年のロシア危機とLTCMの混乱で、一つの問題が明確になりました」

 ヨシノは一度、言葉を切った。

「資産を十分に持っていても、必要な時に現金へ換えられなければ、会社は倒れます」

 当たり前の話だった。

 だが、その当たり前で、世界中の金融機関が死にかけた。

「LAMPでは、弊社が保有する資産について、評価額だけでなく、現金化に必要な日数、売却に伴う価格下落、資金調達の継続性、取引相手の信用、国や地域の情勢を継続的に評価します」

 ヨシノが紙を一枚めくった。

「危険度が一定の水準を超えた場合には、保有額の縮小、売却、ヘッジ、現金の確保といった対応を、危機が起きる前に始めます」

 ヨシノが紙から顔を上げる。

「つまり」

 ヨシノがこちらを見る。

「不良債権になってから値段を付けるだけではなく、保有資産が売れなくなる前に逃げ道を作る。弊社は、そちらへ事業を広げます」

 スタシアが腕を組んだまま、紙へ目を落としている。

「プラットフォームと申しましても、大仰なものではありません。本社、各国の拠点、外部の専門家から集めた情報を同じ基準で整理し、判断と対応の手順を統一する仕組みです」

 ヨシノの指が、図の中央にある四角を叩いた。

「まずはブラックストーム・グループ内で運用します。実績が得られれば、親会社や取引先への提供も検討します。危機の後始末だけでなく、危機を避けること自体を商品にする計画です」

 ヨシノはジョニーへ目を向けた。

「ジョニーが率いるタスクフォースは、その試験運用を担います」

 スタシアの眉が動いた。

 ヨシノは続ける。

「西尾様には、警戒水準の判断に引き続きご協力いただきたい所存です」

 声は穏やかだった。

「情報を集めるのも、判断材料を揃えるのも、最終的な決定を下すのも弊社の仕事です。西尾様一人の勘に、会社の命運を預ける計画ではございません」

 なるほど。

 聞こえはいい。

 だが。

「俺はカナリアってことですか?」

 毒ガスに反応するカナリア。

 真っ先に死ぬカナリア。

 スタシアとユーリが鼻で笑った。

 親子で同じ感想らしい。

 ヨシノの顔が歪んでいる。

 しかし、すぐに力が抜けた。

 諦めたらしい。

「この説明では見透かされる、と言っていた者がいました。本当でしたね」

「よく分かってるファンがおるんやな」

「ええ。ファンは多いですよ。カナリアという喩えは的を射ています。ですが」

 ヨシノの声が強まる。

 ヨシノはスタシアを見た。

「子供を前に立たせて何が商売だ。我々にも恥はある」

 力が入り過ぎたのに気付いたのか、下を向いた。

「恥ずかしながら、我々にはまだ、あなたほど精度の高い判断ができないのも事実です」

 ユーリに目を移す。

「だからこそ、我々はパートナーを守る」

 再び、こちらを見た。

「そして、いつの日か、あなたに頼らない仕組みを作り上げる」

 ヨシノは息を吐いた。

「ですので、今しばらくお付き合い願えませんか」

 そして、深く頭を下げた。


 熱は伝わった。

 さて、どうするか。

 スタシアを見た。

 冷やかにこちらを見つめていた。

 好きにしなさい。

 そんな顔をしていた。

 ユーリを見た。

 目が合う。

 迷いなく頷いた。

 監査役も次期社長夫人も異論なしか。

 ええでしょう。

「分かりました。今後も協力しましょう。ただし、情報は適宜提供してもらいますよ」

 ヨシノの表情が緩む。

 ジョニーが口を開いた。

「前に言ってた調査支援だよね。経済、安全保障、噂やゴシップの類まで調査して提供するよ」

 日本語が上手くなっていた。

 経済新聞を読むふりをしなくて済むのはありがたい。

 配られた紙に目を落とした。

 LAMP。

 ランプ。

 笑いが出た。

「名称のロイヤリティは主張できまへんか?」

 ヨシノも笑い始める。

「ダメですね、明確に放棄されましたので。ただ、メリット・フィッチから、必要であれば専属の情報分析官をつけてもよいと聞いております」

「ロイヤリティ代わり?」

「はい。ご希望でしたら、正式な人選を始めます」

 情報はまとまってないと話にならない。

 ありがたい話だ。

「では、分析官も希望します。サンタさんにはよろしくお伝えください」

「サンタは五月に来日しますよ。よろしければ、その際に直接お伝えしてみては? 本人も喜びます」

 そうか。

 少しばかり楽しみになってきた。




 十三時過ぎ。

 東京行きの新幹線は、新大阪を出た。

 窓の外を、低い家並みが流れていく。

 その向こうには、冬枯れの田畑が広がっていた。

 グリーン車は空いている。

 空調と車輪の低い音だけが続いていた。

 ジョニーは窓側の席に座っていた。

 隣では、ヨシノがスーツを着崩している。

 ジョニーはヨシノの手元を見た。

 缶ビールが握られていた。

「久しぶりに会ったシールは、どうだった? 飯は美味かったか?」

 声も気も大きい。

 シール。

 リョウ君。

 昨年の中華料理店。

 あの頃に比べて、背が伸びていた。

 顔つきも精悍になった気がした。

 ……値段の高い料理を狙って注文するあたり、図太さは相変わらずだったけど。

「良いお店を紹介してくれてありがとう。随分と成長していたよ」

「毎週話してても感じるものか?」

「声と顔は違うよ」

「うちの子もああなるのかな」

 ヨシノは憂いげな表情を浮かべた。

 ヨシノの子は三歳の女の子。

 会ったこともある。

 可愛い盛りだ。

 リョウ君が特殊なだけだよ。

「ああはならないよ」

「酷いな。一応、我が社の希望の光だぞ?」

 ヨシノがヘラヘラと笑う。

 顔が赤い。

 呑むペースが速い。

 弱いのに。

「どっちかと言うと、スタシアの娘みたいになるかも」

「やめてくれよ。電話での印象を確かめたくて、今日は呼んでもらったが……かなりの猫かぶりだ。大人を手玉に取るタイプだ。母親並みに質が悪い」

 スタシアの娘。

 ユーリちゃん。

 こちらの旗色が悪くなった時の機転。

 オレンジジュースを一気に飲み干した姿を思い出した。

「あの子の機転も空しく、結局白状させられたがね」

 ヨシノは缶ビールを指先で転がした。

「カウ兄さんの事を出さなかったのは偉いよ」

 ヨシノは指を向けた。

「だろ? スタシアにメリーの差し金だったとバレてみろよ。面倒なことになっていた。物好きな雇われ社長がアテンドしただけ。日本法人だけで泥を被ってやったんだ」

 ヨシノは苦労人だ。

 処世術に長けている。

 子供相手に、あそこまで丁寧なのはいただけないけどね。

 ヨシノが前後の席へ目をやる。

 前方の離れた席では、男が新聞を広げている。

 後ろの席に人はいなかった。

 ヨシノの声が低くなった。

「あの場では言わなかったが、LAMPにはもう一つ意味がある」

「もう一つ?」

「千一夜物語の願いを叶えるランプ。それだけじゃない」

 ヨシノはメリーの声色を真似ていた。

「我が社の足元を照らし、いずれは世界経済全体を照らす光にするのだ。だとさ」

「大きく出たね」

「お前がいない酒の席で息巻いてたよ。ネーミングに困ってたんだと」

 叔父らしい。

「だが、弊社が大きくなれば、同業他社も黙ってない。探りを入れ、シールにも接触しようとするだろうな」

 分かっている。

 だからこそ、ユーリの願いは社内で真剣に捉えられた。

「シールへの調査が露見した時の報告書は読んだか」

「読んだよ」

 顔は見ていない。

 人数も分からない。

 女の声。

 背後から制圧され、何もできなかった。

 相手について分かったのは、それだけだった。

「シールの側には、正体の分からないガードがいる」

 ヨシノがビールを呷る。

「そうみたいだね」

「そのガードが何者であれ、我々ほどの目と耳を持っているとは考えにくい」

 新幹線が短いトンネルへ入った。

 窓の外が黒くなる。

「近くの危険は防げても、海の向こうで誰が動いているかまでは分からない」

「だから、情報分析官を?」

「ああ。実は候補者の洗い出しは、ある程度進めている」

「もう?」

「シールの許諾待ちだった。メリーからの裏の指示でな。カウにもツーヤンにも言うなよ?」

 ヨシノは声をさらに落とした。

「ラングレー。フォート・ミード。ヴォクスホール。ビューロー。そのあたりの出身者を候補に挙げている」

 情報機関と金融業界の間で、人材が行き来するのは珍しくない。

 世界一有名なCIA分析官だって、元は株屋だった。

 それでもスパイ映画じみてきた。

 だが、遼太郎の一言で動く金は、もはやそのレベルだ。

 ジョニーは息を吐いた。

「ずいぶんな顔ぶれだね。リョウ君を調べさせるの?」

 もう、彼の信を失うようなことはしてほしくない。

 だが、守るためと言われると言いづらい。

「逆だよ」

 ヨシノは即答した。

「シールを探らない。それが第一条件」

 窓の外に光が戻った。

 雪の残る田畑が、一瞬だけ見えた。

「シールが求める情報を、正確に上げる。シールに危険があれば知らせる。そして、守る」

「リョウ君を?」

 ヨシノは声を強めた。

「そうだ。あの子供を。我々の未来をな」

基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。

とはいえ、評価をいただくと普通に嬉しくなる俗物でもあります。

お手数でなければ、ページ下部のブックマークや評価で応援いただけますと、たいへん筆が乗ります。

よろしくお願いいたします。

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