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遥かなる居場所 その値段  作者: 茶川屏
第三章 1999年 Revenger,again
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第二節

 1月1日。

 昼過ぎ。

 朝の冷気は薄れていた。

 それでも、陽の差さない路地には冷たさが残っている。

 生駒山から下りてきた風が、西尾興業事務所のシャッターを撫でていった。

 空は晴れていたが、冬の陽は低い。

 屋根の影が、もう路地の半分まで伸びていた。

 剛三は椅子にもたれ掛かった。

 合皮が、ぎしりと鳴った。

 見栄を張って、少し高いものを選んだ。

 机も、事務用品店に並んでいた中では上等な方だ。

 それでも遼太郎は、本革の椅子と木製の高級机を勧めてきた。

 社長らしく見せるのと、無駄遣いは違う。

 そう言って、一蹴した。

「そうなんやけどなぁ」

 剛三はため息をついた。

 事務所の二階には、剛三しかいない。

 向かいの机に目をやる。

 栞の机。

 整理された書類。

 番号順に並んだファイル。

 カバーが掛けられたパソコン。

 監査役に出す書類まで、いつの間にか揃えてくれている。

 栞にはいつも助けられていた。

 様式には、やたら煩いのが辛いところだが。

 応接スペースに目を向けた。

 低い机には、プレイステーションのコントローラーが転がっている。

 大晦日やから片付けろ言うたやないか。

 クリスマスに贈ったゲーム機。

 喜ぶとは思っていた。

 だが。

「ユーリちゃんまで喜ぶとはなぁ」

 ひとり呟いた。

 遼太郎よりも、喜んでいたように見えた。

 昨日も、夕方まで二人で遊んでいた。

 放っておけば、いつまででも続ける。

 ゲームは1日1時間。

 そう宣言すべきだろうか。


 机に目を戻した。

 机上灯。

 電話機。

 そして写真立て。

 恵との結婚式の写真。

 ウェディングドレス姿の恵は白い。

 タキシード姿の自分には失われたものがあった。

 剛三は頭を掻いた。

 さっぱりしたものだ。

 机も頭も。

 机上灯の傘には、メモが一枚、セロテープで貼り付けてある。

 年末、遼太郎から渡されたものだ。


 Amazon株。

 売却指値、130ドル。

 分割売却。

 光通信株。

 購入指値、7,000円。

 21,400株。

 現物のみ。


 綺麗な字だった。

 ユーリが代筆したものだと、遼太郎は言っていた。

 賢明だった。

 遼太郎の字は汚い。

 1と7は、本人なりに書き分けている。

 だが、4と千は見分けがつかない。

 ペン習字を習わせるべきだろうか。

 ……それより。

 そろそろ、電話せな怒られるわ。

 年末年始のごたごたで忘れていた。

 指示の期限は、来週までだった。

 事務所を構え、社長席に座っても、やることは電話を掛けるだけ。

 滑稽だった。

 窓際の社長席から見渡す二階は、妙に広かった。

 資産管理会社って何するんやろうなぁ。

 …正月早々、腐っててもしゃあない。

 剛三は椅子を回した。

 『興』の字が貼られた窓を開ける。

 冷気が入り込んできた。

 それが、今は心地よかった。

 正月の空が青い。


 カコーンッ。

 階下から乾いた音が聞こえた。

 見下ろすと、駐車スペースで遼太郎とユーリが羽根つきをしている。

 二人は、お揃いのジャージ姿だった。

 少し離れた場所には、富田が椅子を出して座っている。

 二人に付き添ってくれていた。

 富田。

 手に職をと思い、整備を教え始めた。

 水を得た魚のように働いてくれている。

 本人さえ良ければ、片腕になってほしい。

 片腕。

 自分の整備会社。

 剛三は引き出しを開けた。

 一番上の冊子を取り出す。

 伝手を頼って手に入れた。

 角は、もうすり減っていた。

 日産スカイラインGT-R。

 R34。

 直列六気筒。

 ツインターボ。

 四輪駆動。

 丸いテールランプ。

 一目惚れだった。

 欲しい。

 乗ってみたい。

 中身も見てみたい。

 だが。

 これは無駄遣いだ。

 車なら、ワンボックスがある。

 やりたいことも欲しいものもある。

「欲の塊やんけ」

 毒づいた。

『ほな、買ったらええやん』

 息子の言葉が浮かんだ。

 子供の金を、平気で使う。

 そんな阿呆になれたら、どれだけ楽やろ。

 ため息が漏れた。


 ポスッ。

 いつの間にか、羽根つきの音が変わっていた。

 窓の外を見下ろす。

 遼太郎とユーリは、キャッチボールをしていた。

 グローブに球が吸い込まれるたびに乾いた音がする。

 富田が二枚の羽子板を抱えている。

 押し付けられたようだ。

 どこか可哀想に見えた。

 下から、二人の声が聞こえてきた。

「明日の初詣で何食べる?」

「ウチ、イカ焼きがいいな」

「ええなぁ。俺、じゃがバター」

「あぁ~、いいねぇ。塩辛乗せたくない?」

「それ、堪らんなぁ」

 お前らおっさんか。

 口に出しそうになった。

 正月らしい遊びは、もう終わったらしい。

 遼太郎が両手を頭の上へ上げた。

「ワインドアップ」

 ポスッ。

「おお~、松坂」

 ユーリが歓声を上げて投げ返す。

 ポスッ。

 松坂。

 西武の新人やったか。

 ユーリちゃん、よう知っとるな。

 遼太郎が投げる。

「松阪牛、食いたくね?」

 なんでそうなるねん。

 お前、食ったことあらへんやないか。

 ポスッ。

 ユーリが球を受けた。

 片足を踏み込み、鋭く投げ返す。

 サイドスローだった。

「そもそも、焼肉行きたい」

 ポスッ。

「わかる。ハラミ」

 ポスッ。

「上ミノ」

 ポスッ。

「ホルモンええなぁ。タン塩」

 ポスッ。

「ネギたっぷりがいい」

 ポスッ。

「ハチノス」

 ポスッ。

「渋いね。ユッケ」

 ポスッ。

「生レバー」

 ポスッ。

「遼ちゃん、それは反則だよ」

 あかん。

 こいつらの話聞いてたら、腹減ってしゃあない。

 剛三は窓を閉めた。

 椅子にもたれ掛かる。

 焼肉まで食べたくなってきた。

 恵の予選大会。

 慰労会にちょうどええ。

 今度、連れて行ってやろう。

 ずっとあの会話を聞かされたら、堪ったものではない。


 グローブの乾いた音が止まった。

 階下で話し声がした。

 続いて、階段を上がる足音が聞こえてくる。

 足音は、扉の前で止まった。

 ノックの音がした。

「どうぞ」

「失礼します」

 入ってきたのはスタシアだった。

 黒いコート。

 銀色の髪は、後ろでまとめられている。

「明けましておめでとうございます」

「こちらこそ、明けましておめでとうございます。どうかされましたか」

 事務所に顔を出すのは珍しい。

「恵さんにお願いがあって、挨拶がてらお宅へ伺ったのですが、あのような状態で……」

「ああ……」

 恵は朝から酔い潰れている。

 栞は汚れた服を洗い、居間の床を拭いていた。

 ……男は片づけの邪魔だから出て行けと言われた。

 あれでは、落ち着いて話もできない。

「まあ、座ってください」

 剛三は来客用のソファへ移った。

 スタシアも向かいに腰を下ろす。

「それで、お願いというのは?」

「明日の初詣なのですが、私とユーリの着付けを、恵さんと栞さんにお願いしたくて……」

 スタシアは、ばつの悪そうな顔をしている。

「朝早くからになると思いますので、その間、遼太郎君を見ていていただけませんか」

 叩き起こして、飯を食わせて、着替えさせる。

 そんなところか。

「お安い御用ですよ。恵が素面に戻ったら、二人に話しときますわ」

「ありがとうございます」

 スタシアが頭を下げる。

 困ったときはお互い様。

 付き合いは短いが、信用はできる。

 馬鹿社長呼ばわりされたんは、忘れてへんけどな。

 …馬鹿社長。

 少しくらい、馬鹿社長の愚痴を聞いてもらってもええやろ。

「ところで、ちょっとだけ相談に乗ってもらえませんか」

「……またカリフォルニアに行け、とかですか?」

 スタシアが露骨に嫌な顔をする。

 それは俺のせいちゃうよ。

「ちゃいます。子供に、物買うてもらう親って、どう思います?」

「不健全ですね」

 即答だった。

 分かっていた。

 分かっていたが、少しくらい迷ってほしかった。

「ですよね」

「前に仰っていた整備会社の件ですか。なら、子会社を設立して――」

 お説教が始まってしまう。

「それもありますけど、俺個人が欲しい物です」

 スタシアはムッとしている。

「遼太郎…君に買ってもらうのですか?」

「買え言われたんです」

「剛三さんは?」

「欲しいですよ」

 そこは嘘をつけなかった。

「でも、息子の金で買うんは、違うかなと」

「でしたら、断ればいいでしょう」

「それも、何か違う気がするんです」

 スタシアが大きなため息をつく。

 この人は、こういうところで損をしている。

「遼は、俺が欲しがってるん知って、言うてくれたんです」

「ええ」

「意地張って断るんも、あいつの気持ちを無駄にするみたいで」

「それは、あなたが遼太郎君と話すことです」

 冷たい。

 だが、間違ってはいなかった。

「買ってもらうか、断るか。同じ親としてご意見を聞きたくて」

「なぜ、二つだけなのです?」

「ほかにあります?」

「それを考えるのは、私ではありません」

 スタシアがコートの前を開ける。

 コートの下はジャージだった。

「私は、契約なら作れます」

 契約。

 その言葉が引っ掛かった。

 貰うのではなく、借りるのはどうだ。

「借りるんは?」

「返せるのでしたら」

「親子でも?」

「親子だからこそ、曖昧にしないでください」

 スタシアは剛三を見る。

「金額。返済方法。責任の所在。すべて書面にします」

「そこまでします?」

「そこまでしてください。そうじゃないと、子供の金にたかる親と変わりません」

 痛い言葉だ。

 だが、正論だった。

 そうや。

 俺が責任を持って返すんや。

 貰うんやない。

 借りる。

 車の金は、俺が返す。

 会社を作る金は、利益で返す。

 何年かけてでも。

 これなら、筋が通る。

「契約の進め方を――」

「ちょっと待ってください」

 スタシアが片手を上げる。

「家から仕事道具を持ってきます」

 席を立った。

「いや、正月ですよ」

「お忘れですか。私は弁護士です。それに、西尾興業の監査役ですよ。任せてください、社長」

 スタシアは微笑んでいた。

 階段を下りる音がする。

 ポスッ。

 グローブの乾いた音もいつの間にか戻っていた。

基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。

とはいえ、評価をいただくと普通に嬉しくなる俗物でもあります。

お手数でなければ、ページ下部のブックマークや評価で応援いただけますと、たいへん筆が乗ります。

よろしくお願いいたします。

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