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遥かなる居場所 その値段  作者: 茶川屏
第二章 1998年 夜の向こうに
59/62

第二十八節

 日本橋に着いた頃には、朝の白い空が明るくなっていた。

 堺筋には車が増えている。

 商店のシャッターが開き、店先へ商品が運び出されていた。

 テレビ。

 ラジカセ。

 無線機。

 積まれた段ボール。

 赤や黄色の値札。

 黒いサバーバンが、通りの端に停まった。

「私どもは車で待機しております。お帰りの際は、お迎えに上がります」

 ヨシノがドアを開けながら言った。

「よろしいんですか?」

 ユーリが聞いた。

「仕事ですから」

 真面目な顔だった。

「私は運転ができれば、満足です。お迎えまで、この付近を流してみようかと」

 運転席のカウが答えた。

 やっぱり、趣味の人やな。

「ほな、お願いします」

「ごゆっくり」

 ヨシノが深々と頭を下げた。

 四人で車を降りた。

 扉が閉まる。

 サバーバンは大きな車体を滑らせ、車列の中へ消えていった。


「どこから行くの?」

 ユーリが聞いた。

「まずはパソコン屋やな。既製品でええのがあったらええんやけど…」

 既製品で満足のいく性能は無理筋だと分かってはいた。

 メモリの増設くらいは、覚悟していた。

 四人で堺筋を歩いた。

 何軒か店先を覗く。

 黒い本体。

 青いモニター。

 箱に並んだ数字。

 どれも遅い。

 この図体で、令和の携帯ゲーム機にも届かない。

 何て時代だ。

 令和の基準で考える方が間違っているのだろう。

 分かってはいる。

 それでも、少しでもましな物が欲しかった。

 通りに面した大きな店へ入った。

 店内には完成品のパソコンが並んでいる。

 一台ずつ性能表を見る。

 その中に、悪くない物があった。

 白い本体。

 白いモニター。

 CPUは及第点。

 ハードディスクも、この時代なら大きい。

 モデムも入っている。

 メモリだけが足りない。

「これでええわ」

「メモリ微妙じゃない?」

 ユーリが横から覗き込む。

「メモリ増やしたら、そこそこ動く」

「遼ちゃん、できるのぉ?」

 からかうような顔になった。

「増設くらいなら……って、お前のパソコンのメモリ、俺が増やしたやんけ」

 そうだ。

 高校二年の夏だった。

「あ、あれぇ……」

 ユーリの目が泳いだ。

「……あの夏休みか。その節はお世話になりました」

 ユーリが頭を下げた。

 分かればよろしい。

 少し離れた商品棚の前では、富田と栞がこちらを見ていた。


 店員に、同じ機種を二台用意してもらった。

 追加のメモリも二台分。

 モニター。

 プリンター。

 必要な周辺機器。

 栞が注文票と実物を見比べている。

「一台は、遼太郎の物ですよね」

「せや。もう一台は栞姉ちゃんの」

「私のですか」

「これから事務所の仕事、増えるやろ。色とか見た目はどう?」

 栞は注文票へ目を戻した。

「……これがいいです」

「一緒に練習しよな」

「はい……大切に使います」

 栞は注文票を、持ち直した。

 その手には力が入っていた。


 会計を済ませて店を出た。

 荷物は、帰りに車を回してもらって受け取ることにした。 

 堺筋には人が増えていた。

 呼び込みの声。

 自転車のベル。

 行き交う台車の車輪が、舗装の継ぎ目で跳ねる。

 買い物は終わった。

 だが、せっかく来たのだ。

 すぐに帰るのは惜しい。

 四人で通りを歩いた。

 店先のゲーム機。

 ラジコン。

 屋台。

 おでん缶。

 工具。

 用途の分からない電子部品。

 ユーリは興味の向くまま店先を覗いた。

 栞もその隣で商品を見ている。

 富田はカメラ店の前で、歩みを緩めた。

 ショーケースの中に、レンズが並んでいる。

「見ていかへんの?」

「今日は、僕の買い物ではありませんから」

「時間やったらあるで?」

「いえ、また皆さんと来た時の楽しみにしておきます」

 富田は笑った。


 大きな家電量販店に入ったところで、ユーリが案内板を見上げる。

「ごめん。ウチ、ちょっとお手洗いに……」

「おう。行っトイレ!」

 思わず口走ってしまった。

「遼ちゃん?」

 ユーリは笑っていた。

 目は笑っていなかった。

「私も行きましょう」

 栞が前へ出た。

 二人は奥の通路へ消えていった。

 ユーリの表情に戸惑いが見えた気がした。

 店内の時計を見る。

 十一時ちょうどだった。


 富田と二人で吹き抜けの近くにある長椅子へ座った。

 エスカレーターの動く音。

 店内放送。

 上の階から、子供の声が落ちてくる。

 富田は、行き交う人を眺めていた。

「楽しいですね」

 ぽつりと言った。

「買い物が?」

 どうした急に。

「それもありますけど」

 富田は通路の奥、手洗いの方を見た。

「皆さんと、こうして出掛けるのが、楽しいんです」

「うん」

 遼太郎は足を揺らした。

 靴の先が床へ届かない。

 富田は笑っている。

 いつもの笑い方だった。

 けれど、言葉が続かない。

「何かあった?」

 富田の指が、膝の上で組まれた。

「若は、覚えていますか」

「何を?」

「僕が西尾興業に入った時に、決めたことです」

 ゆっくり働く。

 生活を立て直す。

 自分のやりたいことを見つける。

「覚えてるで」

「もう何か月も経ちました」

「そうやな」

「生活は落ち着きました」

 富田は指を見ていた。

「お父様……いえ、社長は仕事を教えてくれます。住む場所もあって、先生は食事まで気にしてくれる」

 富田が笑う。

 夏祭りで、父を『殿』と呼んでふざけていたことを思い出した。

 あの時、富田が父を社長と呼ぶようになるなんて、想像できただろうか。

「知ってます? 僕もう車のタイヤ交換はできるようになったんですよ」

 おとん、ちゃんと教えてるんやな。

「カメラも楽しいです」

「良かったやん」

「はい」

 富田の表情が曇った。

「でも、まだ分からないんです」

「何が?」

「自分が、何をしたいのか」

 店内放送が止まった。

 吹き抜けの向こうで、人の声だけが重なる。

「今、一番楽しいのは、こうして皆さんといる時なんです」

 富田の声は穏やかだった。

「先生の家で食事をして、道場へ行って、社長の手伝いをして。栞や若と話をして」

「うん」

「それだけで、満足してしまうんです」

 富田の指に、力が入った。

「僕は、怠惰なのかもしれません」

「何でやねん」

 それはちゃうぞ。

「皆さんは前へ進んでいます。若も、ユーリちゃんも、栞も」

 富田は通路の奥へ目を向けた。

「僕だけが、居心地の良い場所に留まっている」

「仕事さぼってる?」

「いいえ」

「おとんに、給料分働いてへんって言われた?」

「言われていません」

「ほな、何が怠惰やねん」

 富田がこちらを見る。

「ちゃんと働いてる。夜勤のバイトまでしてる。自分の金でカメラも始めた。前より寝る場所も片付いてる」

「部屋まで見ていたんですか」

「飯置きに行った時にな」

 カレーはすまなかった。

 結構気にしていた。

「それは、気を抜けませんね」

「見られて困るもんあるん?」

「ありませんけど」

 富田の口元が緩んだ。

 畳の下までは見てへん。

 安心せぇや。

 ユーリは見つけてたけどな。

「皆とおるのが一番楽しいんやろ?」

「はい」

「それも、したいことやん」

 笑みが止まった。

「仕事の名前が付いてないと、あかんの?」

「そういうわけでは」

「カメラは楽しいんやろ」

「はい」

「もう見つかってるやん」

「それは趣味です」

「趣味は、したいことちゃうん?」

 富田は答えなかった。

「前にも言うたやろ。ゆっくり決めたらええって」

「……はい」

「勝手に終わり決めて、見つからへんって落ち込むなや」

 富田は視線を落とした。

 真面目すぎんねん。

 もう少し、力抜けや。

「それに、富田兄ちゃんが皆と一緒におりたいって思ってくれてるん、俺は嬉しいで」

 組んでいた指が解けた。

「若」

「何?」

「本当に、そう思いますか」

「嘘ついてどうすんねん」

 富田は黙った。

 喉が一度動いた。

「ありがとうございます」

「何もしてへんで」

「若は、いつもそう言いますね」

 富田は目元を指で押さえた。

 長椅子の前を、買い物客が通り過ぎていく。


「若」

「まだ不安か? 聞こうやないの」

 おじちゃんが聞いたろ。

「いえ、質問が一つだけ」

「何?」

「ユーリちゃんとは、どういう関係なんですか」

「急やな。幼馴染やで」

「それだけですか」

「何が言いたいんや?」

「ここ数か月、お二人を見ていて思ったのですが」

 富田は目を閉じた。

「お二人は、子供同士がじゃれ合っているようには見えません」

「老けてるって言いたいん?」

「違います」

 返事が早かった。

「言葉にしなくても、互いに分かっている時があります」

「付き合い長いからな」

 おどけて言った。

「それですよ。若。あなたはいったい何者なんですか。ユーリちゃんとはどういう関係なのですか」

 通じなかったか。

 通路の奥を見た。

 二人はまだ戻ってこない。

 …もう、誤魔化すのも限界か。

 いや、最近は誤魔化してすらなかったかもしれない。

「前世からの恋人や言うたら、信じるか?」

 冗談のように言った。

 富田は笑わなかった。

「信じます」

「いや、信じるんかい!」

 思わず大きな声が出た。

 富田は長椅子に背を預けた。

「思い当たる節が多すぎましたからね」

 富田が息をついた。

「やっと、聞けて安心しました。あの日から、ずっともやもやしていたんです」

「あの日?」

「先生が夕立で帰った日ですよ。若が僕の話を聞いてくれた日」

「そこから怪しまれとったら誤魔化しようあらへんな。演劇勉強しといたらよかったわ」

「最初はお上手でしたよ。子供っぽかったです」

 富田が笑った。

「それで、衝撃の真実を知って、どうすんねん?」

「応援します」

 お?

「何を」

「若とユーリさんを」

 息を吐いた。

 胸の奥が、むず痒い。

「若が、僕を応援してくれているように」

 真っ直ぐな顔だった。

「そうか」

「はい」

「ただなぁ、ユーリにさん付けはやめたってくれ。しばらくは、ちゃんで頼むわ」

 中身は三十四歳や。

 ちょっと手心を。

 富田は声を上げて笑った。

「分かりました、若」


 通路の奥から、ユーリと栞が戻ってきた。

 ユーリが遼太郎を見つける。

 手を上げた。

「おまたせー! 何話してたの?」

「将来の話です」

 富田が答えた。

 嘘ではない。

「ふうん」

 ユーリが遼太郎を見つめる。

「何や」

「別に」

「その顔は別にちゃうやろ」

「気のせい」

 富田は栞に近寄った。

 声を潜めた。

「スッキリしましたか」

「聞き方が悪いですね。十分でした。そちらは?」

「スッキリしました」

 富田は満足げな表情を浮かべた。


 十三時半。

 黒いサバーバンは西尾興業の事務所前に止まっていた。

 後部の扉が開いている。

 白い箱が、隙間なく積まれていた。

 カウと富田が、モニターを降ろす。

 ヨシノは納品書を確認していた。

 栞も横から紙を覗き込む。

「積み忘れ、積み残しありません。全部あります」

 栞が言った。

「ご確認、ありがとうございます」

 ヨシノは納品書を封筒へ戻した。

 こちらに向き直った。

「来年度の契約書案につきましては、一月末までにお持ちいたします」

「分かりました」

「本日は、ありがとうございました」

 ヨシノが頭を下げる。

「こっちこそ、我儘で車まで出してもらって」

「いえ」

 ヨシノは一度、口を閉じた。

「私も、勉強になりました」

「勉強?」

 何か値切ったっけ。

「私もです」

 カウが続いた。

 黒い手袋を嵌め直している。

「何のですか」

「いろいろと、です」

 それ以上は言わなかった。

「それでは、失礼いたします」

「安全運転で」

「もちろんです」

 カウが笑った。

「また、お会いしましょう」

 二人が車へ乗り込む。

 サバーバンは住宅街の向こうへ消えていった。


 事務所は冷えていた。

 富田が暖房を点ける。

 栞は自分の机を片付けた。

 ユーリは、昼食の包みをまとめて捨てている。

 運び込まれた箱を開けた。

 モニター。

 キーボード。

 マウス。

 パソコン本体。

 一台は、栞の机。

 もう一台は、壁際の空いていた机へ置いた。

 遼太郎は追加のメモリを手に取った。

 でっか。

 こんなに大きいのか。

 ふと富田に目をやる。

 コンセントを差そうとしていた。

 危ない。

「コンセントは、まだ挿さんといて」

「何をするんですか」

 富田が聞いた。

「中身を増やす」

 金属の棚へ触れる。

 静電気を逃がす。

 落ち着け。

 差すだけや。

 基板を壊さんように慎重に。

 ケースの側板を外した。

 緑色の基板。

 並んだ部品。

 空いている差し込み口。

 切り欠きを合わせる。

 両端を押した。

 ぱちん。

 留め具が閉じる。

 力が抜けた。

「入った」

 ユーリが意外そうな顔をする。

「案外、簡単だね」

「壊したら簡単では済まへんけどな」

 お前の時は失敗できへんかったから大変やったんやぞ。


 二台目も同じだった。

 側板を戻す。

 配線をつなぐ。

 電源を入れた。

 ファンの回る音。

 短い電子音。

 黒い画面に、白い文字が現れる。

 二台とも動いた。

 よし。

 緊張の糸が切れた。

「成功ですね」

 栞が言った。

 Windows 98が立ち上がる。

 青緑色の画面。

 左下のボタン。

 懐かしい。

 隣を見る。

 ユーリも、青緑色の画面を見つめていた。

 電話線をパソコンにつなぐ。

 店で受け取った接続設定の紙を開いた。

 電話番号。

 ID。

 パスワード。

「インターネットを使っている間は、電話が使えないんですよね」

 富田が聞いた。

「専用回線入れるまでの我慢やな。今日は開通試験や」

 番号を入力する。

 ピー。

 ガー。

 細かな電子音が、事務所へ響いた。

「壊れてませんか」

 富田が画面を見る。

「正常や」

「懐かしいね」

 ユーリが言った。

 目が合う。

 おっと。

 何が懐かしいんですかね、ユーリさん。

 富田は、聞かなかったように顔をそらした。

 栞はどうだろうか。

 栞を見る。

 反応はなかった。

 聞こえてなかったんやろか。


 接続を示す小さな表示が現れる。

「つながった」

 ブラウザを開いた。

 白い画面。

 文字と画像が、上から少しずつ現れる。

「やっぱり遅いね」

 ユーリが言った。

「言うな」

「そういえば、今日のカウさんって日本法人の偉い人だよね?」

「お、気づいてた?」

 富田と栞が目を見開いている。

「うん、多分ヨシノさんの上長だと思う。部長とか、うちだと局長とか。何かあっても、その場でリカバリできる役職者」

「OJTやろなぁ」

「うわぁ、久しぶりに聞いた。OJT」

 ユーリがはしゃぐ。

「せっかくだからさ、Gagoyle使って日本法人のサイト見てみようよ。載ってるかもしれないよ?」

 Gagoyle。

 出資はしたが、まだ一度も使っていない。

 令和では毎日のように使っていたのが嘘のようだった。

「ええで。俺、常務に100円。処分の話とかしてたし」

「じゃあ、ウチは執行役員に賭ける。 現場出てくるのは執行役員でしょ」

 ユーリが自信満々に言った。



 アドレスを入力する。

 Gagoyle。

 白い画面の中央に、文字が現れた。

 その下には、検索欄が一つ。

 まだ恐竜は居ない。

「これが、ガーゴイルですか」

 栞が聞いた。

「そう。Gagoyleね」

 ユーリの発音が良い。

「若が出資した会社ですね」

 富田が画面へ顔を寄せる。

「まだ小さいけどな」

 ガレージ。

 電話回線。

 百万ドル。

 あの時は、形すら見ていなかった。

 今は、ここにある。

 Blackstorm Investment Japan。

 英語で入力する。

 検索。

 結果が表示された。

 会社の公式ページ。

 新聞記事。

 金融関係の資料。

 一番上を開く。

 会社案内が現れた。

 サイトは洗練された作りだ。

 役員紹介のボタンにカーソルを合わせる。

「ほな、ユーリは執行役員やな?」

「うん!」

「俺は常務や」

 クリックした。

 ホイールを転がす…必要はなかった。

「へ?」

 ユーリと声が重なった。

 写真の中に、さっきの腰が低くて地味な男がいた。

『吉野 大吾』

『Daigo Yoshino』

『代表取締役社長』

 嘘。

「ちょっと待って、ヨシノさん社長だったの?」

 ユーリの声が大きい。

「遼ちゃん、下にカウさんは?」

 スクロールする。

 写真の読み込みが遅い。

 いなかった。

 四人で顔を見合わせる。

 ユーリが震える声で言った。

「本社?」

 Blackstorm Investment。

 即座に打ち込んだ。

 英語の会社案内が現れた。

 厳かなサイト。

 各国の拠点。

 役員紹介。

 トップは獅子のような顔立ちの男。

 メリット・フィッチ。

 この人がジョニーの叔父さんか。

 この堂々っぷりを、ジョニーにも分けてやってほしい。

 スクロールする。

 いた。

 副社長兼アジア太平洋地域統括責任者。

 アーサー・カウ。

 写真の運転手は笑っていた。

 また会ったな。

 事務所が静かになった。

 ブラウン管には世界に広がる窓が開いていた。

基本的には「好きに書くので、好きに読んでいただければ」という気持ちでおります。

とはいえ、評価をいただくと普通に嬉しくなる俗物でもあります。

お手数でなければ、ページ下部のブックマークや評価で応援いただけますと、たいへん筆が乗ります。

よろしくお願いいたします。

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