3.散りゆく夢
2022年~
淡黄色の勿忘草は、藍色に染まり始め、雲を運ぶ花風が、門前に聳え立つ松の木を揺らす。
屋敷の家政婦に見送られ、重い足取りで車に乗り込む、イザナ。
「・・・頼む」
切羽詰まった表情のイザナを気遣い、冗談交じりに声を掛ける、剛志。
「家のケーキ、食べて行きます?」
「・・・帰りじゃ」
「・・・はい」
心なしか和らいだイザナの表情を鏡越しに確認してから、車を出した。
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窓に流れる景色を、朧げな横目で見送る、イザナ。
「不思議な景色じゃ…」
「最後の外出は…娘が生まれた日ですか?」
「20年前じゃな…時が経つのは恐ろしく早い…」
イザナの深い呟きに、ハンドルを持つ手が緩む。
〈新佐藤病院〉と書かれた大きな看板を通過して、裏道から病院の敷地に入る。
白衣を着た健が、停車した車の扉を開けた。
「お待ちしておりました。イザナ様」
「…少し…瘦せたか?」
「イザナ様…世間話は病院内で…」
健に腕を支えられながら、車を降りる、イザナ。
「つまらん奴じゃな~童に泣きついておった可愛い頃が懐かし・・・」
イザナが降りた後の車の扉を、勢い良く閉める。
「・・・お元気そうでなによりです。人目に触れますので、早く中へ」
健と気まずい空気になりながら、イザナは病院に入って行った。
「き、綺麗になっておる!」
「劣化が激しい部分を、修繕工事しただけです」
「なんじゃ?儲かっておるではないか~」
エレベーターを待つ医者に、目を金に変えたいやらしい顔で詰め寄る。
「ははは…赤字経営ですよ?誰かさんの教えで、病院の方針を変えられませんからね!」
「・・・」
声色から本音を感じ取ったイザナは、医者の圧から逃げる様に、降りて来たエレベーターに乗り込んだ。
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「着きました。部屋は…いつもの部屋です」
医者を置いてエレベーターを降りたイザナは、一人、病室の前に立っていた。
【こんこん】
「はい…どうぞ」
「カラ…入るぞ」
大きな音を立てない様に、恐る恐る扉を開けて病室に入る。
「わざわざ見舞いに来てくださらなくても、よかったのに……」
背を起こしたベットに、もたれかかるカラは、話の途中で激しく咳き込んでしまう。
「見慣れた来客に、舞い上がってしまうなんて…」
「百合も、似たようなことを言っておったな…」
「そう…あの母が…」
「ところでイザナ様、本日は、どの様な御用で?」
「な‼お見舞いじゃ!カラを見舞いに来たのじゃ‼」
「お見舞いは…外出許可を取り付ける口実?」
「な・・・違う!カラを見舞うために、童は外出許可を貰ったのじゃ!」
「でしたら…”ケーキ”、食べなくても…よろしいと?」
「な、なぜ、知っておる⁈」
「私が何年、イザナ様と……」
咳き込むカラの背中を、イザナが擦る。
「死を待つ時間が、こんなにも辛いことだとは…」
「縁起でもないことを言うでない!まだ…まだ、齢六十じゃろ…」
「イザナ様・・・私は”もう”六十です」
「たしかに…カラの人生は、辛いものであったかもしれん。じゃがカラは、それを乗り越えて歩んで来た!これから先、訪れるであろう幸せを、なぜ…なぜ、諦める・・・」
「私は…私は充分幸せです…幸せでした」
「・・・」
窓を眺めるカラに、死期を待つ百合の面影が重なる。
「一つ、イザナ様にお伝えしないと逝けない事があります」
「・・・私が家を出た時のこと、覚えていらっしゃいますか?」
「・・・もちろんじゃ」
目を閉じたカラは、思い出を懐かしむように、語り始めた・・・
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父親に結婚を反対された私達は、町から逃げる様に、都会へと移り住みました。
【コンコンコンコン】
『はーい』
「こんにちは。隣り越して来た者です。これ…つまらない物ですが…」
実家から盗ってきた町の郷土菓子を手渡す。
『あらあら、わざわざごめんなさいね。ちょっと、あんた!食い物貰ったから、お礼言いな!』
猫背で座りながら絵を描く亭主が、家の奥から玄関に向かい腕を振り上げる。
『ごめんなさいね。主人は絵ばっかり描いてて、貧乏なのよ。だから…」
「あ…家の夫も、画家志望なんです」
『あらそう…お宅も・・・何かあったら仰って。お金以外の事だったら、力になれるから!」
都会に出れば、きっと、夫の絵の良さを分かってもらえる。
それほど現実が甘くない事は、父親の世界を見て育った私が一番理解していた。
夫の絵は誰にも見向きされず、幸せな生活は、徐々に苦痛へと変わって行った…
【コンコン】
「…はい」
『これ!』
扉をこじ開け、煤汚れた紙をカラに押しつける、隣人。
「日雇い労働の求人募集?」
『家も、金が底をついた時、無理矢理働かせてるんだけど…余計なお世話だったかしら?』
夫は、日雇いの仕事をしながら、睡眠時間を削って絵を描く生活を始めた。
私は、残飯を分けてもらう代わりに、近所の食事処で手伝いを始めた。
食べ物も、休息も、二人の時間も、順風満帆とは言えなかったけれど…
私の人生で、一番幸せなだった時間…
そんな時でした…あの子を授かったのは…
穏やかに話すカラから、顔を背ける、イザナ。
【えー状況から判断するに…おめでとうございます。ご懐妊です】
「…やった!やったー‼男かな?女かな?」
「ふふふ、気が早いです。まだ、わかりませんよ」
夫の喜びはしゃいぐ横顔は、昨日のことのように覚えています。
『ばか!明日食っていけるかどうかも分からない生活なのに、子なんて育てられるわけ無いでしょ!」
「酷い!何でそんな酷いこと言うの⁉一緒に喜んでくれると思ったのに…」
『私は、忠告しましたよ。後から泣きついて来ても、手助けなさいませんからね…』
「こっちから、願い下げよ!」
生活は辛いけど、腹の子のためならと…無理し過ぎたのがいけませんでした…
慌てた様子で、病院内を走る、清。
「どけ!どいてくれる!」
「先生!妻は・・・」
【奥さんの命に別状はありません。ただ…残念ながら、赤子は・・・】
私は…私はあの子を流してしまった…
医者からは、不安定な生活が原因だと言われました。
それからしばらくの間、夫《清》は絵を描く事を止め、昼夜問わず働く毎日を…
生きる気力を失った私は、お隣さんに介抱され、何とか暮らす毎日…
体が窶れ、衰弱していく私を見かねた夫は、隣人の絵描きと、夫の絵を高く評価してくれていた友人に絵を買ってもらい、僅かな資金で私の実家に戻りました。
私に抗う気力は無く、ただ、付き従うしかありませんでした…
「あとは、イザナ様もご存知の通り、私はカラを授かり、家に帰住した」
「カラにしてみれば、少し、過保護過ぎる母親だったのかもしれない…けれど、全てを失った私にとっては、カラを育てることが生きる気力となり、幸せな時間だった…」
扉越しの廊下から、何か崩れ落ちる音が聞こえた。
「おてんばな娘に、何度、寿命を縮めさせられたことか…」
「それでも…無事に育ってくれたカラには、感謝しかありません」
カラの辛い過去を、仏の顔で優しく聞き入れる、イザナ。
「ごめんなさい…イザナ様にまた、悲しい思い出を与えてしまって…」
「カラの人生、主イザナが、確と此処に記憶したのじゃ…」
「ふふ、ありがとうございます。これで、後悔を残さず、二人の元に逝けます…」
「ただ…ただもう少しだけ…カラ達の未来を見届けたかった…」
【ピーピー】
突然、心電図モニターの波形を止まり、アラーム音が病室に鳴り響く。
「カラ…カラ!しっかりせえ、カラ‼」
「お母さん‼」
アラーム音を聞き、病室の前で待機していたカラが、扉を勢い良く開く。
近くに待機していた医者も、駆けつける。
「はーい、離れて…心肺停止、まずいな…」
意識が戻らないカラを、思いつめた表情で見守る、二人・・・
「ふふふ、ふふふふふ」
笑いながら目を開けたカラは、鬼気迫った表情のイザナ様と娘に、ピースサインを贈る。
【パシャ】
その光景をカメラに納める、健。
「は~い、ドッキリでした…で、いいんですか?」
腹を抱えて笑うカラを、強く抱きしめる、二人。
「こ、殺す気か!心臓が飛び出るかと思ったわ…」
「ふふふ、天国の夫に、良い土産話が出来ました」
「カラが天国に逝けるとは、限らんじゃろ?」
「・・・はい?」
抱きしめたイザナの背中を捻り握る。
「な、何でもない・・・」
カラは、優しさと厳しさを兼ね備えたカラであった・・・103代目──夏空──享年61。




