告げられる定め
やっと見慣れた扉を前にした時、既にシーナは軽く汗を掻いていた。ドレスは歩きにくい上、身体中に纏わり付いて息苦しいのだ。何度か深く呼吸し、自らを落ち着かせると、シーナは侍女に目配せした。
扉の脇に前以て侍していた侍女が軽く会釈を返し、トントン、と扉をノックした。控えめな声で、部屋の中の主へと声を掛ける。
「ロナルド様。シーナお嬢様をお連れ致しました」
しばらく沈黙が続いた。聞こえていなかったのだろうかと思った侍女が繰り返そうと息を吸った時、扉の向こう側、部屋の奥の奥からくぐもった低い声が聞こえた。
「入れ」
「失礼致します、お父様」
凛とした声音で堂々とシーナが答えるのと同時に、侍女が音も無く扉を開く。それが開ききるのを待って、シーナは同じ家でもなかなか訪れることのない父の部屋を一瞥した。
家具も調度品も置物も、配置は記憶とほぼ変わっていなかった。変わったことといえば、昔から父が大切にしている置時計の下に赤い布が新たに敷かれ、傷みゆく時を少しでも遅くしようとする意図が見えるだけであった。
部屋の奥、扉と向き合う形で置かれた大きな机の向こう側に、ずっと前からそこから動かなかったかのように、一つの影が座っていた。正確には、暗い影を称えたような初老の男だった。シーナは一歩部屋へと入ると、背後で閉まる扉の気配を感じながらドレスの裾を少し持ち上げ、覚えたばかりの淑女の礼を披露した。元々自分が女性とはいえ、今まで男と同等に扱われてきたシーナにとってはこそばゆいことだった。
「ただいま戻りました、お父様。私の力不足故、ご要請から四日もお待たせしてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
「・・・よい。顔を上げろ、シーナ」
聞き慣れた厳格な声がシーナの頬を打つ。シーナはすっくと顔を上げ、久々に会う父の顔をまじまじと見つめた。
このような時、たとえ呼ばれたからと言って、けして自分から問いただすような真似があってはならない。シーナはそういう風に教えられ、育ってきた。剣士たるもの、謙虚であるべし。
だからシーナは待っていた。シーナ同様、ロナルドもとっくりとシーナの顔を眺めた。やがて視線は、凛々しい顔から着慣れないドレスへと移る。それでもシーナは微動だにせず、待ち続けた。
ロナルドが、口を開いた。
「今回お前を呼んだのは、折り入って特別な話があったからだ。だから使者にも内容を伝えず、お前に戦火を抜け出してわざわざここまで来させた」
シーナは無言のまま、父の言葉に耳を傾けていた。
・・・思っていたよりも、重大な話なのかもしれない。
ロナルドは話を続けた。
「私は今まで、お前を剣士として育ててきた。男か、女かなどという問いはあえて口にせず、お前を一介の剣士として鍛え、兄のレオと共に戦場へと送り出した。今、我が国エリアルに必要なのは、高貴な身分の男に嫁ぐありふれた淑女ではなく、戦場で王のため、国のために戦う剣士だと思ったからだ。思惑通りお前は強くなり、戦場では敵国にも名の知れる死の女神となった。それだけで私は、もう充分だと思っていた。・・・今まではな」
戦場で一人の強い戦力として役に立つなら、それで良いだろうと。だが、それでは結局一介の剣士止まりである。更に飛躍できる場が与えられるのだとしたら、それを逃す手は無い。
そして今、新たな道は開かれた。
ロナルドは改めて娘を見つめた。淑女とはかけ離れた筋肉を内に秘めるその身体は、内心ドレスをまとったらどんなことになるのだろうかと懸念していたのだが、思っていたより悪くない。いや、悪くないどころではない。普通に舞踏会に出入りする淑女達よりも、ずっと美しい。
大輪のバラのような華やかさではなく、野に咲く一輪の花のように凛としたものを、娘は持っている。
ここに来て初めて、ロナルドは心を固めた。
「シーナ。王子の嫁になれ。これはフィリップ王の勅命だ」
王に仕える第一の身分、宰相として。
剣士として育った娘の、たった一人の父として。
最高の栄誉を、与えよう。




