↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
31/37

『おばあちゃんの極秘任務』

三十二 おばあちゃんの極秘任務


「写真の中で、札が動いた?」


 僕は、セイジから届いた二枚の写真を

何度も見比べた。


 温室の棚。


 小さな植木鉢。


 赤、青、黄色、緑、白の札。


 確かに、青と黄色の位置が違っている。


 ……。


「セイジ、本当に同じ写真なの?」


『そのはずだ』


「そのはず?」


『撮影した時刻も、画像の大きさも一致している。

だが、今の段階では同じデータが

書き換わったとまでは断定できない』


「そうなんだ」


『元のファイルと、送信した画像と

保存先に残っている画像を調べる』


「うん」


『それから、明日もう一度、温室で確認したい』


 ……。


 僕は、ちょっと考えた。


「おばあちゃんにも聞く?」


『……』


「セイジ?」


『あの人には、まだ何も言わない方がいい』


「どうして?」


『話がややこしくなる』


 ……。


 ……。


 それは、僕もそう思った。


     *


 その頃。


 巣空邸の二階では

シフが小さな机に向かっていた。


 窓の外には、温室の屋根が見える。


 シフは、机に置いた薄い端末を指先で操作した。


 画面に、一人の女性の記録が現れた。


 ……。


 ずいぶん若い頃の写真だった。


 髪をきっちりまとめ、背筋を伸ばしている。


 涼しげな目元。


 きりりとした口元。


 写真の下には、いくつもの職歴と

難しい肩書が並んでいた。


 シフは、その記録を読み返した。


 優秀な情報分析官。


 諜報員の指導と運用。


 複数の次元にまたがる任務の管理。


 ……。


 そして、退職。


「……本当に?」


 シフは、小さく呟いた。


 退職して、悠々自適。


 そういうことになっている。


 けれども、あれほどの人物が

完全に仕事を離れるだろうか。


 正式な職には就かず

外部の顧問として動いている可能性だってある。


 そうだとしたら。


 わざわざこの次元へやってきた理由は?


 巣空邸に入り込んだ目的は?


 あの蝶たちとの関係は?


 ……。


 シフは、画面を閉じた。


「ただのお掃除好き

というわけではないでしょうね」


 そう呟いた時。


 階下から、声がした。


「シフお嬢さまー!」


 ……。


 まただ。


「何かしら?」


「お茶のお時間でございますよー!」


「今は結構よ」


「まあ、そうおっしゃらずに!」


 ……。


 シフは、そっとため息をついた。


 あの人、どうしてこんなにお茶を勧めるのだろう。


     *


 翌朝。


「おはようございます、シフお嬢さま」


 ダイニングルームに入ると

おばあちゃんが待っていた。


 テーブルには、朝食が並んでいる。


 パン。


 卵料理。


 果物。


 それから、湯気の立つお茶。


「あら、今日はずいぶん豪華ね」


「ええ。少し張り切ってしまいました」


「パパは?」


「温室でございます」


「もう?」


「ええ。今朝は植物のご機嫌を確かめるそうで」


 ……。


 パパらしい。


 シフは椅子に座った。


 おばあちゃんは、嬉しそうにパンを勧めた。


「どうぞ、温かいうちに」


「ありがとう」


 ……。


 シフは、何気ない口調で尋ねた。


「そういえば、おばあちゃん」


「はい?」


「以前は、どんなお仕事をしていたの?」


「あらまあ」


 おばあちゃんは、少し目を丸くした。


「昔のお話でございますか?」


「ええ」


「いろいろでございますよ」


「例えば?」


「書類を整理したり、人を手配したり」


「ほかには?」


「人の相談に乗ったり、お仕事の順番を決めたり」


「……」


 シフは、微笑んだ。


「人を動かすお仕事だったのね」


「まあ、そんな立派なものでは」


 おばあちゃんは、照れたように笑った。


「ただ、皆さんに

気持ちよく働いていただくのが好きでしたの」


 ……。


 諜報員の指揮。


 そう言い換えれば、まったく間違っていない。


「今も、どこかから相談を受けたりするの?」


「あら」


「退職されても

お詳しいことはたくさんあるでしょう?」


「そうですわねえ」


 おばあちゃんは、考え込んだ。


「頼まれれば

お手伝いすることもございますけれど」


 ……。


 やっぱり。


「最近も?」


「ええ、つい先日も」


 ……!


「どんな相談?」


 シフは、さりげなく尋ねた。


 おばあちゃんは、声を落とした。


「実は、少々やっかいな問題がございまして」


 ……。


 シフは、カップを置いた。


「そうなの?」


「ええ。長いこと放っておかれた案件で」


「……」


「関係する方々も多くて」


「……」


「どうにも進まないものですから

私が引き受けることにいたしましたの」


 ……。


 シフは、静かに息を吸った。


 やはり、何かの任務を。


「それで?」


「ええ。まずは全体を調べましてね」


「……」


「優先順位をつけましたの」


「……」


「それから、必要な道具を揃えました」


「道具?」


「はい」


「どんな?」


 おばあちゃんは、にっこり笑った。


「雑巾と、長い柄のついたブラシですわ」


 ……。


 ……。


「……え?」


「温室の排水溝が詰まりかけておりましたのよ」


 ……。


 ……。


 シフは、しばらく黙っていた。


「……そう」


「それがもう、大変な仕事で!」


「そうでしょうね」


「鳶辰郎さまもお忙しいですから

私が勝手に引き受けましたの」


 ……。


 勝手に。


 また、その言葉だ。


 シフはパンを一口食べた。


 ……。


 本当に排水溝だったのだろうか。


 いや。


 あの人なら、排水溝の掃除を装って

何かを調べるくらい、簡単にやってのける。


 ……。


 簡単に。


 ……。


「シフお嬢さま?」


「なあに?」


「お茶のおかわりはいかが?」


 ……。


 シフは、またため息をつきそうになった。


     *


 その日の昼過ぎ。


 僕たちは、再び巣空邸に来ていた。


 セイジは、写真の検証。


 ミルは、温室の蝶の観察。


 僕は、その手伝い。


 ……。


 という予定だった。


 ところが。


「皆さん、お昼はお済み?」


 あのおばあちゃんが、また現れた。


「こんにちは!」


 ミルが挨拶した。


「こんにちは。

今日はサンドイッチを作りましたのよ」


「わあ!」


「よろしければ、召し上がって」


 ……。


 セイジは、少し困った顔をした。


「ありがとうございます。

でも、今日は調査があるので」


「あら、調査!」


 おばあちゃんの目が輝いた。


「何を調べるんですの?」


「……」


「何かお手伝いできることは?」


「……」


「人手は足りています?」


 ……。


 セイジ。


 始まったよ。


「大丈夫です」


 セイジが答えた。


「そうですか」


 おばあちゃんは、少し残念そうだった。


「では、せめてお茶だけでも」


 ……。


 ……。


 この人。


 どうしても仕事を増やしたいらしい。


     *


「あれ?」


 温室の入口で、ミルが声を上げた。


「トーシロー!」


 ……。


 え?


 見ると、トーシローが立っていた。


 小さな袋を抱えている。


「どうしたの?」


 僕が尋ねると

トーシローは眠そうな顔で答えた。


「ミルに呼ばれた」


「私?」


 ミルが目を丸くした。


「呼んでないわよ?」


「え?」


「今日、何か約束してた?」


「……」


 トーシローは、袋を見た。


「お菓子を渡すようにって」


「誰に?」


「……誰だったかな」


 ……。


 ……。


 僕たちは、顔を見合わせた。


 その時。


「あらまあ!」


 おばあちゃんが、突然声を上げた。


「トーシローくん!」


 ……。


 トーシローが振り向いた。


「……はい?」


「まあまあまあ!」


 おばあちゃんは、掃除道具の籠を置いた。


 トーシローのそばへ駆け寄る。


「こんなに大きくなって!」


「……」


「ちゃんとご飯は食べてる?」


「……はい」


「夜はよく眠れてる?」


「……はい」


「そう!」


 おばあちゃんは、ほっとしたようだった。


「それならよかった!」


 ……。


 僕は、少し驚いた。


 おばあちゃん、トーシローと知り合いだったの?


「おばあちゃん」


 僕が尋ねた。


「トーシローのこと、ご存じなんですか?」


「あら」


 おばあちゃんは、ぴたりと止まった。


「……」


 それから、にっこり笑った。


「まあ、初めてお会いしたのに

ずいぶん親しげにしてしまいましたわ」


 ……。


 初めて?


「どなたかに、よく似ていらっしゃるものですから」


 ……。


 トーシローは、首を傾げた。


「僕に?」


「ええ」


「誰に似てるんですか?」


「……」


 おばあちゃんは、少し考えた。


「昔、知っていた男の子に」


 ……。


 ……。


「へえ」


 トーシローは、あっさり頷いた。


 ……。


 お前。


 もう少し不思議に思わないの?


     *


 シフは、温室の奥から、その様子を見ていた。


 ……。


 トーシロー。


 あの子が、どうしてここに?


 そして。


 おばあちゃんの、あの反応。


 ……。


 シフは、目を細めた。


 彼女は知っていた。


 あのおばあちゃんには、別の次元に孫がいる。


 名前は、クロート。


 ……。


 トーシローと、よく似た少年。


 でも、性格も暮らしぶりも、ずいぶん違う。


 そのことを、シフは知っていた。


 ……。


 おばあちゃんがトーシローを見て

思わず駆け寄った理由。


 それは、わからなくもない。


 けれども。


 わざわざここへ呼び寄せたのだとしたら?


 何のために?


 ……。


 シフは、おばあちゃんの手元を見た。


 掃除道具の籠。


 サンドイッチ。


 お茶。


 ……。


 それから。


 トーシローの抱えている小さな袋。


 ……。


 何かを受け渡すつもりなのだろうか。


     *


「ところで、トーシローくん」


 おばあちゃんが言った。


「はい?」


「最近、何時に寝ていらっしゃるの?」


「……いろいろです」


「いろいろ?」


「夕方とか、夜とか」


「まあ」


「朝も」


「まあまあ!」


「昼も」


 ……。


 ……。


 おばあちゃんは、しばらく黙った。


「……お勉強は?」


「学校でしてます」


「宿題は?」


「……」


 トーシローは、目を逸らした。


「……研究が忙しくて」


「研究?」


「睡眠の」


 ……。


 ……。


 おばあちゃんは、ゆっくり頷いた。


「なるほど」


 ……。


 理解した?


 と思った次の瞬間。


「それなら、私がお手伝いしましょう!」


 ……。


「え?」


「毎日の予定を

きちんと組み立てて差し上げますわ!」


「……」


「まずは、お食事と宿題のお時間を決めましょう」


「……」


「それから、お布団を干して」


「……」


「枕の具合も見て差し上げます」


「……」


 トーシローの顔色が、少しずつ変わっていった。


「……あの」


「なあに?」


「僕、寝る時間が……」


「大丈夫!」


 おばあちゃんは、にっこり笑った。


「ちゃんと確保して差し上げます」


 ……。


 ……。


 トーシロー。


 よかったじゃないか。


 そう思った。


 けれども。


「まず、一日の活動記録をつけましょうね」


「……」


「それから、お部屋の整理」


「……」


「学校の準備も、前の日に」


「……」


「お食事の内容も確認して」


「……」


「定期的に生活習慣を見直しましょう」


 ……。


 ……。


 トーシローが、僕の袖を引いた。


「イユル」


「何?」


「この人、誰?」


「家政婦のおばあちゃん」


「……」


「すごく親切な人だよ」


「……」


 トーシローは、小さな声で言った。


「……僕、帰って寝たい」


 ……。


 ……。


 かわいそうに。


     *


「それで、トーシローくん」


 おばあちゃんは、まだ続けていた。


「お好きなお料理は?」


「……カレー」


「まあ、いいわね!」


「……」


「野菜も召し上がる?」


「……はい」


「それなら、今度お弁当を作って差し上げますわ」


「……」


 トーシローは、助けを求めるように僕を見た。


 ……。


 僕も、どうしたらいいかわからなかった。


 ミルは、笑いをこらえている。


 セイジは、何やらノートに書いている。


 ……。


 セイジ。


 お前、何を記録してるんだ。


     *


 少し離れたところで、シフが見ていた。


 ……。


 あのおばあちゃん。


 やはり、トーシローに強い関心を持っている。


 しかも、あの子の生活習慣を

細かく聞き出そうとしている。


 睡眠時間。


 食事。


 行動予定。


 ……。


 これは、情報収集?


 それとも、対象者の管理?


 ……。


 シフは、少し考えた。


 いずれにしても、相手は元キャリア諜報員。


 何気ない質問にも、目的があるはずだ。


 ……。


 その時。


「シフお嬢さま!」


 おばあちゃんが、こちらを見た。


「なあに?」


「ちょうどよかった!」


「……?」


「トーシローくんの生活改善計画を

作ろうと思いまして!」


 ……。


 ……。


「……生活改善?」


「ええ!」


「……」


「お手伝いいただけません?」


 ……。


 シフは、しばらく黙った。


 ……。


 生活改善。


 本当に?


 ……。


「いいわよ」


 シフは、微笑んだ。


「私にも見せてね。その計画」


「まあ、ありがとうございます!」


 おばあちゃんは、大喜びだった。


 ……。


 シフは、そっと息を吐いた。


 これで、少しは相手の目的がわかるかもしれない。


     *


 ところが。


 おばあちゃんが取り出したのは

普通のノートだった。


 表紙には、大きな文字。


『トーシローくん生活改善計画』


 ……。


 その下に、小さく書いてある。


『第一回』


 ……。


 ……。


「第一回?」


 シフが尋ねた。


「ええ」


「何回まであるの?」


「あら、それはこれから考えますわ」


 ……。


 ……。


 シフは、しばらくノートを見つめていた。


「……そう」


 おばあちゃんは、楽しそうにページを開いた。


「まず、第一の課題は睡眠時間の確保でございます」


 ……。


 トーシローが、小さく呟いた。


「……もう十分寝てるんだけど」


「まあ!」


 おばあちゃんは、目を輝かせた。


「それは素晴らしい!」


「……」


「では、次の課題は、お勉強ですね」


 ……。


 ……。


 トーシロー。


 逃げ道がない。


     *


 僕たちが帰る頃には、すっかり夕方になっていた。


 セイジは結局

ほとんど写真の検証ができなかった。


 ミルは、おばあちゃんの作ったサンドイッチを

三つ食べた。


 僕は、お茶を二杯飲んだ。


 そしてトーシローは。


「……イユル」


「何?」


「僕、明日も来ることになった」


「え?」


「おばあちゃんが、生活改善の続きをするって」


「……」


「しかも、朝から」


 ……。


 ……。


「何時?」


「八時」


 ……。


「早いね」


「うん」


「大丈夫?」


 トーシローは、深刻な顔で言った。


「……宇宙艦隊の作戦会議があるんだ」


 ……。


 ……。


 夢の中で?


「今夜、会議を終わらせれば?」


「それが……」


「うん?」


「僕、最近、会議の途中で起こされるんだよ」


「……」


「枕元で、誰かが声をかけるんだ」


 ……。


 僕は、少し驚いた。


「誰?」


「わからない」


「……」


「でもね」


「うん?」


「ものすごく、聞き覚えのある声なんだ」


 ……。


 ……。


 僕は、巣空邸を振り返った。


 温室の窓には、明かりがついていた。


 その向こうで、おばあちゃんが

何やら楽しそうに動き回っている。


 ……。


 まさか。


     *


 夜。


 巣空邸のダイニングでは

シフがおばあちゃんに尋ねていた。


「ねえ、おばあちゃん」


「はい?」


「トーシローくんのこと、ずいぶん気に入ったのね」


「ええ、それはもう!」


「どうして?」


 ……。


 おばあちゃんは、しばらく考えた。


 そして、少しだけ遠くを見るような顔をした。


「……誰かに、よく似ているんですの」


「そう」


「ええ」


 ……。


 シフは、そっと尋ねた。


「クロート?」


 ……。


 おばあちゃんの手が止まった。


 ……。


 一秒。


 二秒。


 ……。


 そして。


「あらまあ!」


 おばあちゃんが、ぱっと笑った。


「シフお嬢さまったら!」


「……」


「どうして、その名前をご存じなの?」


 ……。


 シフは、微笑んだ。


「さて。どうしてかしら」


 ……。


 ……。


 二人は、しばらく見つめ合っていた。


 やがて、おばあちゃんが言った。


「まあ、いいでしょう」


「……」


「ただし」


「なあに?」


 おばあちゃんは、少しだけ声を落とした。


「その子のことは

まだ内緒にしておいてくださいな」


 ……。


 シフは、頷いた。


「わかったわ」


 ……。


 おばあちゃんは、ほっとしたように笑った。


「ありがとうございます」


 ……。


 そして、すぐに付け加えた。


「ところで、明日のトーシローくんのお弁当

何がいいかしら?」


 ……。


 ……。


 シフは、思わず目を閉じた。


 ……。


 この人。


 本当に、何をしに来たんだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。