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『チロリアンテープの異変』


 セイジが

三日も学校へチロリアンテープを持ってこなかった。


 ……。


 いや。


 別に、持ってこなくてもいいんだけど。


 この間の付け襟のワークショップ以来

セイジは自分のコレクションのことを

何度も話していた。


 織り方がどうとか、柄の組み合わせがどうとか。


 僕が聞いていると、


「お前、ちゃんと聞いてるのか!」


 と、必ず怒られる。


 ちゃんと聞いてるよ。


 全部は覚えられないだけで。


 ところが、そのセイジが。


 妙に静かだった。


「セイジ、どうしたの?」


「……何が」


「元気ないね」


「そんなことない」


 ……。


 あると思う。


 なんだか、目の下にクマまでできてるし。


「寝不足?」


「……」


「トーシローに睡眠研究を教えてもらえば?」


「絶対に嫌だ」


 ……。


 そこだけは、即答だった。


     *


 事件が起きたのは、三日前だったらしい。


 セイジは自分の部屋で

チロリアンテープを整理していた。


 幅の違うもの。


 色違い。


 花模様。


 幾何学模様。


 小鳥や動物。


 蝶や虫の模様が織り込まれたもの。


 セイジは、それらを種類ごとに巻いて

箱に収めている。


 それぞれにラベルまでつけて。


 ……。


 いかにもセイジだよね。


 その日も、新しく手に入れたテープを

いつものように机に広げていた。


 赤い地に、白い花。


 緑色の葉っぱ。


 そして、青と黄色の小さな蝶が並んでいる。


 セイジは、模様の繰り返しを数えていた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 ……。


 その時。


 ふわり。


 何かが、机の上を横切った。


 ……。


 蝶だった。


 青と黄色の、小さな蝶。


「……?」


 セイジは顔を上げた。


 窓は閉まっている。


 部屋の扉も閉まっている。


 どこから入ってきたんだ?


 そう思った次の瞬間。


 蝶は、机の上のチロリアンテープに向かって

飛んだ。


 そして。


 すうっ。


 テープの中へ入ってしまった。


 ……。


 ……。


 セイジは、しばらく動けなかった。


     *


「……入った?」


 セイジは、恐る恐るテープを持ち上げた。


 赤い地。


 白い花。


 緑色の葉っぱ。


 青と黄色の蝶。


 ……。


 何も変わっていない。


 蝶の模様も、ちゃんとそこにある。


「……気のせいか」


 そう呟いた。


 きっと疲れているんだ。


 最近、いろいろ忙しかったし。


 チロリアンテープを眺めすぎたのかもしれない。


 セイジはテープを巻き直した。


 箱に入れた。


 蓋を閉めた。


 ……。


 そこで。


 箱の隙間から、小さなものが飛び出した。


 今度は、てんとう虫だった。


「うわっ!」


 セイジは椅子から飛び上がった。


 てんとう虫は、机の上を歩いた。


 赤い背中。


 黒い斑点。


 六本の脚。


 ちゃんとした、てんとう虫。


 ……。


 ちゃんとした?


 いや、そうじゃない!


 それは開けたばかりの箱へ向かい

蓋の隙間に潜り込んだ。


 セイジは急いで箱を開けた。


 ……。


 いない。


 どこにもいない。


 テープを全部取り出した。


 裏返した。


 巻き戻した。


 振ってみた。


 ……。


 何も出てこない。


 でも。


 よく見ると、そのうちの一本には

赤いてんとう虫の模様が並んでいた。


「……」


 セイジは、その夜、チロリアンテープの箱を

机から遠ざけて寝た。


     *


 翌日。


 今度は花びらだった。


 セイジが机で宿題をしていると

白いものがひらひらと落ちてきた。


 紙くず?


 いや。


 花びらだ。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 ……。


 どこから?


 セイジが見上げた時だった。


 チロリアンテープの箱から

白い花が顔を出していた。


 ……。


 花?


 テープから?


 セイジは、目をこすった。


 すると。


 花は、何事もなかったように

テープの模様へ戻った。


 机の上の花びらも、いつの間にか消えていた。


 ……。


「……僕は、おかしくなったのか?」


 セイジは立ち上がった。


 洗面所へ行った。


 顔を洗った。


 鏡を見た。


 ……。


 いつもの自分だった。


 眼鏡をかけ直して、部屋へ戻った。


 恐る恐る、箱を覗いた。


 ……。


 今度は、緑色の葉っぱが一枚

テープから立ち上がった。


「……!」


 葉っぱは、ふわりと宙に浮いた。


 それから、ひらひらと机の上を舞い。


 元のテープへ戻っていった。


 ……。


 セイジは、椅子に座った。


 しばらく考えた。


 そして、定規を取り出した。


     *


「測ったんだ」


 セイジが言った。


「……何を?」


 僕は尋ねた。


「模様」


「模様?」


「蝶が飛び出す前と後で

何か変わってるかもしれないだろ」


「……うん」


「花びらが散った後も、葉っぱが抜けた後も

全部調べた」


「へえ」


「写真も撮った。拡大もした。糸の本数も数えた」


「……」


「でも」


「でも?」


「何も変わってないんだ!」


 セイジは、両手で頭を抱えた。


「模様の位置も、形も、全部同じなんだよ!」


「……」


「なのに、出てくるんだ!」


 ……。


 僕は、ちょっと驚いた。


 あのセイジが、こんなに取り乱すなんて。


「虫も?」


「虫も!」


「蝶も?」


「蝶も!」


「花びらも?」


「花びらも!」


「……すごいね」


「すごくない!」


 ……。


 怒られた。


「イユル」


「何?」


「僕、チロリアンテープが怖くなった」


「……え?」


「もう、箱を開けたくない」


 ……。


 セイジ。


 あんなに大事にしていたのに。


「どうしたらいいと思う?」


 僕は、少し考えた。


「……ママに見てもらおうか」


 セイジは、僕の顔を見た。


「お前のお母さん?」


「うん。あの時、チロリアンテープ

褒めてたでしょう?」


「……」


「一度、相談してみようよ」


 セイジは、しばらく黙っていた。


 それから、小さくうなずいた。


     *


 その日の放課後。


 セイジは、大きな箱を抱えて僕の家にやってきた。


「こんにちは」


「あら、セイジくん!」


 ママは、いつものように笑顔で迎えた。


「いらっしゃい。どうしたの?」


「……あの」


「なあに?」


 セイジは箱を差し出した。


「これ、もらっていただけませんか」


「え?」


「僕のチロリアンテープです」


 ママは、驚いた顔をした。


「まあ!」


「全部、入っています」


「でも、あなたの大切なコレクションでしょう?」


「……はい」


「どうして?」


 セイジは、うつむいた。


「……ちょっと、怖くなってしまって」


 ママは、すぐには何も言わなかった。


 それから、セイジの顔を覗き込むようにして

言った。


「怖いことがあったのね?」


「……はい」


「だったら

無理に手元に置いておかなくてもいいわ」


「……」


「でもね、セイジくん」


「はい」


「そんなに大切に集めたものを

怖いからって手放してしまうのは

もったいないと思うの」


 セイジは、黙って聞いていた。


「よかったら、しばらく私が預かりましょうか」


「……え?」


「あなたが、また見たくなるまで」


 ……。


 セイジは顔を上げた。


「……いいんですか?」


「もちろん」


「いつまででも?」


「ええ。ちゃんと保管しておくわ」


 セイジは、ほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます」


 ……。


 僕も、ほっとした。


 だって。


 あのセイジが、チロリアンテープを

全部手放すなんて。


 そんなの、ちょっと寂しいじゃないか。


     *


 セイジが帰ったあと。


 僕は、ママに話した。


 蝶が飛び出したこと。


 てんとう虫が箱へ戻ったこと。


 花びらが散ったこと。


 葉っぱが宙を舞ったこと。


 そして、テープの模様には

何の異常もなかったこと。


「まあ、不思議ねえ」


 ママは、箱を開けながら言った。


「本当にきれいなテープばかり」


「うん。セイジ、すごく大事にしてたんだ」


「そうでしょうねえ」


 ママは、一本をそっと手に取った。


 深い青色の地に

細かな花模様が織り込まれている。


「ほら、イユル。これなんか

とても細かいでしょう?」


「うん」


「よくできているわねえ」


 ママは感心したように眺めていた。


 ……。


 今のところ、蝶も虫も出てこない。


 僕は、少し安心した。


「でも、セイジが嘘をついてるとは思えないんだ」


「ええ。私もそう思うわ」


「じゃあ、何なんだろう?」


「さあ……」


 ママは、困ったように笑った。


 その時、パパが部屋に入ってきた。


「何を見てるんだ?」


「あら、ちょうどいいところに」


 ママは、セイジの話をした。


 パパは、面白そうに聞いていた。


 蝶が飛び出した。


 虫が歩いた。


 花びらが散った。


 でも模様は変わらない。


「ふうん」


 パパは箱の中を覗き込んだ。


「これが、そのテープ?」


「そうよ」


「細かい模様だなあ」


 パパは、一本を手に取った。


 くるくると裏返して眺めた。


 しばらく、何も言わなかった。


 ……。


 それから。


 まるで独り言のように、ぽつりと呟いた。


「チロリアンテープって

ドットマトリクスみたいだな」

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