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『再現できない縫い方』


「ねえ、ソレイユ」


 ミルが、僕の机にスマホを置いた。


「もう一回、見てくれる?」


「うん」


 画面には、小さな白い家が映っていた。


 淡い青色の窓がひとつ。


 屋根も壁も、柔らかい布でできている。


 この間、病院のワークショップに来てくれた女性が

作ったものだ。


 ……。


 あの人。


 いったい、どうやって縫ったんだろう。


     *


 前回のワークショップで、あの女性は

約束どおり、縫い方を教えてくれた。


 僕たちがもう一度あの小さな家を見たいと言うと

女性はにっこり笑った。


「いいですよ。簡単ですから」


 簡単。


 そう言われて、僕たちは安心した。


 でも、実際には全然簡単じゃなかった。


 女性は白い布を二枚重ね、小さな針を持った。


 それから、何かを確かめるように布を折り

指先で押さえた。


 針が入った。


 出てきた。


 また入った。


 その繰り返し。


 別に、特別な針を使っているわけじゃない。


 糸だって、ごく普通の縫い糸だった。


 僕もミルも、その手元をじっと見ていた。


 やがて女性は糸を切り、布を広げて見せた。


「あれ?」


 僕は思わず声を上げた。


 さっきまで別々だった布が

きれいにつながっている。


 しかも縫い代が外に出ていない。


 表面には、縫い目らしいものも

ほとんど見えなかった。


「……今、どうやったんですか?」


「こうですよ」


 女性は、もう一度やってみせた。


 同じだった。


 針が入る。


 出る。


 糸を引く。


 それだけ。


「わかりました?」


「……」


 僕とミルは顔を見合わせた。


「もう一回、お願いしてもいいですか?」


 僕が言うと、女性は快くうなずいた。


「もちろん」


「動画を撮ってもいいですか?」


「ええ。手元だけなら」


 僕はスマホを構えた。


 今度こそ、見逃さない。


 女性はゆっくりと針を動かしてくれた。


 縫い始めから縫い終わりまで。


 画面には、ちゃんと全部映っている。


 なのに。


 出来上がったものを見た瞬間

僕はまた首をひねった。


 ……。


 そんなはず、ないよなあ。


     *


「だからさ」


 僕は動画を止めた。


「ここなんだよ」


 ミルが画面を覗き込む。


「うん」


「この時点で、布の内側になる部分を

縫ってるよね?」


「そうよね」


「でも、ここを縫っちゃったら

あとからひっくり返せないよ」


「そうなの」


「返し口がないんだよ」


「そうなのよ!」


 二人で顔を見合わせた。


 ……。


 何度見ても、そこがわからない。


「もう一回、スローにしてみようか」


「うん!」


 再生速度を落とした。


 針が、ゆっくり布へ入っていく。


 糸が引かれる。


 布が折り重なる。


 女性の指が少し動く。


「止めて!」


「ここ?」


「もうちょっと前!」


「これ?」


「そう!」


 僕たちは画面を覗き込んだ。


 ……。


 ……。


「わからないね」


「わからない」


 さらに遅くした。


 針の先が見える。


 布の表と裏も見える。


 指先も隠れていない。


 でも、どう考えても、縫い代が消える場所がない。


「もしかして、途中で別の布と入れ替えてる?」


「ずっと映ってるよ」


「そうだよね」


「手品?」


「……手品で縫い物する人っている?」


「さあ」


 僕たちは、また最初から再生した。


     *


 放課後、セイジにも見てもらった。


「これは……」


 セイジは、僕たちの説明を最後まで聞かず

動画を巻き戻した。


 そしてまた見た。


 もう一度見た。


「材料は?」


「普通の布と糸」


「針は?」


「普通の手縫い針」


「接着剤は?」


「使ってない」


「事前に縫った部分は?」


「僕らが用意した布だから、なかったはず」


 セイジは黙った。


 それから、机の上の布を手に取った。


「やってみる」


 ……。


 さすがセイジ。


 こういう時は、話が早い。


 セイジは動画と同じように布を折り

針を入れた。


 寸法も合わせた。


 糸の長さも、針を入れる位置も。


 慎重に、ひと針ずつ進めた。


「……よし」


 最後の糸を引いた。


 広げた。


 ……。


「……」


「……」


「……」


 縫い代が、外に出ていた。


「あれ?」


 セイジが言った。


「違うな」


「うん」


「もう一回」


 もう一回やった。


 また違った。


 三回目。


 四回目。


 五回目。


 ……。


 セイジの机に、失敗した白い布が積み上がった。


「おかしい」


 セイジが呟いた。


「絶対におかしい」


「何が?」


「針を入れる順番は合ってる」


「うん」


「布の折り方も合ってる」


「うん」


「だったら、同じものができるはずだろ!」


 ……。


 そのとおり。


 だから困ってるんだよ。


「イユル」


「何?」


「この女性、本当に人間か?」


 ……。


 セイジ。


 とうとう、そこまで言い出したか。


     *


 僕は動画をママにも見てもらうことにした。


「へえ、かわいいお家ね」


 ママは、まず出来上がった作品を褒めた。


「青い窓がいいわねえ」


「うん。でも、見てほしいのはそこじゃないんだ」


「あら、そうなの?」


「この縫い方」


 僕は動画を再生した。


 ママは黙って見ていた。


 一度。


 二度。


 三度。


「……ちょっと止めて」


 僕が画面を止める。


「この布、最初は開いているのよね?」


「うん」


「それで、この順番で縫うの?」


「そう」


「……」


 ママは首を傾げた。


「変ねえ」


「やっぱり?」


「これじゃ、返せないわよ」


「そうなんだ!」


「どこかに返し口を作るか

縫う順番を変えるかしないと」


「でも、動画では作ってないでしょう?」


「そうねえ」


 ママは、もう一度見た。


 今度は、途中で何度も止めながら。


「……イユル」


「何?」


「この縫い方では、縫えるはずがないわ」


 ……。


 ……。


 ママが言った。


 僕のママが。


 ずっと布を扱ってきたママが

縫えるはずがないと言った。


「じゃあ、あの人、何をしたんだろう」


「それは、わからないわねえ」


 ママは困ったように笑った。


「でも、完成したものはとてもきれいね」


「うん」


「よほど面白いことを知っている人なのかしら」


 ……。


 そうなのかな。


 面白いこと。


 それだけで済むんだろうか。


     *


「温室、行かない?」


 翌日、ミルが言った。


「巣空さんのところ?」


「うん。ちょっと、頭を整理したいの」


「僕も」


 僕たちは、放課後に巣空邸へ向かった。


 あの透明な温室。


 もともとは、空から落ちてきた

DOCONANI1号機だった。


 今では、蝶が飛び交う不思議な温室になっている。


 シフがここにいた頃は、もっと頻繁に訪ねていた。


 ……。


 シフ。


 どうしてるかな。


 コレーと一緒に帰ってから、もう会っていない。


 僕たちは覚えているけれど

巣空さんの記憶からは

シフのことが消えてしまっていた。


 それでも、温室は前と変わらず、そこにあった。


 ミルが先に扉を開けた。


 ふわり。


 懐かしい花の香りがした。


「あっ」


 ミルが立ち止まった。


「どうしたの?」


 僕は、ミルの肩越しに温室の奥を見た。


 ……。


 ……え?


 花の向こうに、見覚えのある人影があった。


 僕は思わず目をこすった。


 ……。


 そんなはず、ないよね。


 でも。


「……シフ?」


 小さく呼ぶと、その人はこちらを振り向いた。


 そして、にっこり笑った。


 ……。


 本物だ。


 間違いない。


 シフは、唇に人差し指を当てた。


「しーっ」


 ……。


 ……。


 ミルが僕の袖を引っ張った。


「ソレイユ! どうしてシフがいるの?」


「僕が聞きたいよ!」


 僕たちは声を潜めて、そろそろと近づいた。


「シフ、帰ったんじゃなかったの?」


「帰ったわよ」


「じゃあ、どうしてここに?」


「来ちゃった」


 ……。


 来ちゃった?


 そんな簡単な話なの?


「コレーは?」


「向こうにいるわ」


「シフだけ?」


「今はね」


 ……。


 ……。


 聞きたいことが山ほどある。


 だけどシフは、いつもの穏やかな顔をしていた。


 ミルが、さらに声を落とした。


「巣空さんは、シフのこと覚えてないのよね?」


「ええ」


「じゃあ、どうやってここに入ったの?」


 シフは、いたずらっぽく微笑んだ。


「それは、ちょっと秘密」


 ……。


 秘密ばっかりじゃないか。


 僕は、温室の入口を振り返った。


「それで、何しに来たの?」


 シフは、少しだけ周囲を見回した。


 それから、僕たちに顔を寄せた。


「実はね、調査に来たのよ」


 ……。


 ……調査?


「何の?」


 僕が聞くと、シフは答えずに微笑んだ。


「まだ、詳しいことは話せないの」


「ええっ!」


「でもね」


 シフは、花の間をゆっくり見渡した。


「ここに来られて、嬉しいわ」


 その声は、さっきまでとは少し違っていた。


「私にとって

ここは第二の故郷みたいな場所だから」


 ……。


 僕は、何も言えなかった。


 シフがここで過ごしていた日々を思い出した。


 蝶たち。


 花の香り。


 透明な天井。


 あの頃は

いつでも会えるような気がしていたのに。


 ……。


 シフも、この場所が懐かしかったんだ。


 その時だった。


「こんにちはー!」


 温室の入口から、誰かの声がした。


 別のお客さんが来たらしい。


 シフが、さっと顔を上げた。


「あら、いけない」


「え?」


「じゃあ、また今度ね!」


「ちょっと、シフ!」


 僕が呼び止めるより早く

シフは花の向こうへ歩いていった。


 そのまま、背の高い葉の陰に隠れてしまった。


 ……。


 ……。


 ミルが、僕の顔を見た。


「ソレイユ」


「何?」


「今の、本当にシフだったよね?」


「……うん」


「調査って、何の?」


「さあ……」


「帰ってきたこと、コレーは知ってるのかな」


「……さあ」


 ミルは、しばらく黙っていた。


 そして、ぽつりと言った。


「なんだか、考えることがひとつ増えちゃったね」


 ……。


 ひとつどころじゃない気がする。


     *


 僕とミルは、温室のベンチに座った。


 さっきのお客さんの声は、もう聞こえなかった。


 シフも戻ってこない。


「ねえ、ソレイユ」


「何?」


「私たち、縫い方のことを考えに来たのよね?」


「そうだった」


「シフのことばかり考えちゃいそう」


「うん。僕も」


 二人で笑った。


 ……。


 でも、せっかく来たんだから

少しは考えよう。


 僕はスマホを出して、もう一度動画を再生した。


「ねえ、ソレイユ」


「何?」


「私、あの人の手をずっと見てたの」


「うん」


「本当に普通に縫ってるようにしか見えなかった」


「そうだね」


「でも、できない」


「うん」


「セイジにもできなかった」


「うん」


「お母さんにも、縫えるはずがないって言われた」


「うん」


 ミルは、少し考え込んだ。


「じゃあ、どうして、できたの?」


 ……。


 僕は答えられなかった。


 温室の中では、蝶がゆっくり飛んでいる。


 その時。


「あれ?」


 僕は、ふと顔を上げた。


「どうしたの?」


「蝶」


「蝶?」


「……また増えてない?」


 ミルが数え始めた。


 僕も数えた。


 一匹。


 二匹。


 三匹。


 ……。


 葉の陰に隠れたり

花から花へ飛んだりするので、なかなか数えにくい。


 でも。


「……一匹、多いよね?」


「うん。前より増えてると思う」


 ……。


 まただ。


 前に来た時も、増えていた。


 この温室の蝶は、いつの間に増えるんだろう。


 普通の温室なんだから

蝶が増えても不思議じゃない。


 ……普通?


 いや。


 この温室そのものが、もともと普通じゃなかった。


     *


「ねえ」


 ミルが、ふと顔を上げた。


「あの人、どうしてあんな縫い方を

知ってたんだろう」


「……」


「普通に縫った方が簡単なのに」


 ……。


 そうだ。


 そこなんだ。


 僕たちは、できない理由ばかり考えていた。


 でも。


 そもそも、どうしてあの女性は

わざわざそんな縫い方をしたんだろう。


 普通に縫えば、きれいな小さな家は作れる。


 特別な方法なんて、必要ない。


 なのに。


 あの人は、あの縫い方を見せた。


 僕たちに。


「……ミル」


「何?」


「あの人、僕たちに何か見せたかったのかな」


「何かって?」


「……わからない」


 その時。


 ふわり。


 一匹の蝶が飛んできた。


 黄色い蝶だった。


 僕の肩の近くまで来て、しばらく宙にとどまった。


「……」


 ミルが、小さな声を出した。


「ソレイユ」


「うん?」


「この子、前にも……」


「うん」


 そうだ。


 あの時も、この蝶だった気がする。


 黄色い蝶は、僕たちの間をひと回りした。


 そして、ベンチの端にとまった。


 僕は、何となくスマホの画面を蝶の方へ向けた。


 動画は、ちょうど女性が糸を引くところで

止まっていた。


 蝶が羽を開いた。


 閉じた。


 もう一度、開いた。


 ……。


 その時、温室の奥で、透明な飾りが鳴った。


 ちりん。


 小さな音だった。


「……」


「……」


 僕とミルは顔を見合わせた。


「今の……」


「うん」


 何か、関係があるのかな。


 いや。


 そんなわけ、ないよね。


 縫い物と蝶なんて。


 ……。


 僕は、もう一度スマホを見た。


 画面の中では、白い服の女性が

針を持ったまま微笑んでいる。


 まるで、僕たちが何度見てもわからないことを

最初から知っていたみたいに。


 ……。


 あのおばさん。


 一体、何者なんだろう。


 僕は再生ボタンを押した。


 女性の指先が動き出す。


 糸が、すうっと引かれる。


 何も隠れていない。


 何も変わっていない。


 なのに。


 やっぱり、わからない。


 ……。


 黄色い蝶が、また羽を開いた。

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