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トーシローの睡眠作戦

 茶蔵トーシローは、困っていた。


 困っているというより、腹を立てていた。


 机の上に置いておいた水饅頭の向きが

また変わっている。


 もちろん、食べる方の水饅頭じゃない。


 イユルからもらった、透明な小さな模型の方だ。


 インセクトアート・コレクションⅢの

モデルにもなった、DOCONANI3号機。


 その小さな水饅頭を、トーシローは机の上の

いちばん目立つところに飾っていた。


 昨日の夜は、窓の方を向いていた。


 今朝は、ドアの方を向いている。


「……またかよ」


 トーシローは腕を組んだ。


 最初に気づいた時は、気のせいだと思った。


 二度目は、掃除の時に誰かが触ったんだと思った。


 三度目には、母親に尋ねた。


「母さん、俺の部屋入った?」


「入ってないわよ」


「机の上のやつ、動かした?」


「何のこと?」


「水饅頭」


「冷蔵庫にあるんじゃない?」


「そっちじゃない!」


 ……話が通じない。


 姉にも聞いた。


「姉ちゃん、俺の部屋入った?」


「何で?」


「机の上の水饅頭、動かした?」


「食べたの?」


「だから、食べるやつじゃない!」


「知らないわよ。あんたの部屋なんか入らないし」


 ……誰も認めない。


 トーシローは、水饅頭の向きを元に戻した。


 そして、机の上に鉛筆で小さな印をつけた。


 これで、次に動いたら絶対にわかる。


     *


 翌日。


 学校から帰ってきたトーシローは

鞄を置くより先に机を見た。


 水饅頭は、印から少しずれていた。


「……やっぱり!」


 トーシローは、しばらく考えた。


 イユルが作ったインセクトアートには

虫たちが入っていた。


 しかも、虫がポーズを変えるという噂まである。


 あの作品の名前を考えたのは、自分だ。


 だから、よく覚えている。


 でも、自分がもらった水饅頭には虫がいない。


 最初は、少し物足りないと思った。


 ……もしかして。


「虫がいないから、勝手に動くのか?」


 トーシローは、ひとりで納得しかけた。


 ……いや、待て。


 それは、どういう理屈だ?


 自分でもよくわからなかった。


     *


 それから数日間、トーシローは水饅頭を観察した。


 学校へ行く前に向きを確かめる。


 帰ってきたら、もう一度確かめる。


 夜寝る前にも確かめる。


 朝起きたら、また確かめる。


 そして、わかったことがある。


 水饅頭は、動く日と動かない日がある。


 動く時も、ほんの少ししか動かない。


 だから、よほど注意していなければ気づかない。


 ……何なんだ、これ。


 トーシローは

とうとう水饅頭を机の真ん中に置いた。


 椅子に座って、じっと見つめた。


 五分。


 十分。


 二十分。


 ……動かない。


「動けよ」


 もちろん、動かない。


「……俺が見てると動かないのか?」


 トーシローは、後ろを向いた。


 十秒数えて、振り返る。


 動いていない。


 今度は目をつぶった。


 三十秒数えて、目を開ける。


 やっぱり動いていない。


「……お前、結構頑固だな」


 水饅頭は、何も答えなかった。


     *


 ある日の夕方。


 トーシローは、部屋に忘れ物を取りに戻った。


 ドアを開けた瞬間。


 机の上の水饅頭から

小さなものが降りてくるのが見えた。


 ……虫?


 一匹。


 二匹。


 三匹。


 小さな虫たちが、水饅頭の縁を伝って

机の上へ降りてくる。


 トーシローは、その場に立ち尽くした。


 虫たちも、動きを止めた。


 ……目が合った。


 少なくとも、トーシローにはそう思えた。


「……お前ら」


 虫たちは、じっとしている。


「……いたのかよ」


 虫たちは、何も答えない。


 トーシローは、ゆっくり机に近づいた。


 すると、虫たちは一斉に動き始めた。


 逃げるのかと思った。


 ところが。


 一匹は、水饅頭の下へ潜り込んだ。


 一匹は、机の端を歩いていった。


 もう一匹は

何事もなかったように水饅頭へ戻った。


 ……何だよ。


 普通に仕事してるみたいじゃないか。


「お前ら、何してんの?」


 返事はない。


「ここ、俺の部屋なんだけど」


 やっぱり返事はない。


 トーシローは、しばらく考えた。


 そして、ひとつだけ確信した。


 ……母さんでも姉ちゃんでもなかったんだ。


     *


 翌朝。


「イユル!」


 登校してきた僕は、トーシローに呼び止められた。


「何?」


「ちょっと来い」


「何だよ、朝から」


「お前、俺にくれた水饅頭のこと

何か隠してるだろ」


 ……え?


「隠してるって?」


「虫だよ、虫!」


 ……虫?


「俺の水饅頭から、虫が出てきたんだよ!」


 僕は、トーシローの顔を見た。


「……えっ?」


「えっ、じゃねえよ!」


「何匹?」


「三匹見た」


「どんな虫?」


「小さいやつ」


「それじゃわかんないよ」


「俺だってわかんねえよ!」


 ……それもそうか。


 僕は、しばらく考えた。


 コレーたちが帰ってから

虫たちはどうしているんだろう。


 以前みたいに、誰かの指示で動いているのかな。


 それとも、まだ何か仕事が残っているんだろうか。


「トーシロー、その虫たち、何かしてた?」


「水饅頭から降りてきた」


「それから?」


「俺と目が合った」


「……目が?」


「合ったんだよ!」


 ……へえ。


「お仕事中だったのかな」


「は?」


「いや、こっちの話」


「お前、何か知ってるだろ」


 ……うん。


 知ってることもあるけど

知らないことも多いんだよ。


     *


 昼休み。


 僕は、トーシローに夏休みの出来事を話した。


 もちろん、全部を話すには時間が足りない。


 洋服ダンス研究所。


 コレー。


 シフとシノン。


 DOCONANI3号機。


 虫たちのこと。


 話しているうちに

トーシローは何度も口を開けた。


「……お前、夏休みにそんなことしてたの?」


「うん」


「俺、何も知らなかったぞ」


「うん」


「幼なじみなのに?」


「……ごめん」


 トーシローは、しばらく黙っていた。


 それから、言った。


「で、お前の別次元のやつが来たんだな?」


「そう」


「寝てる間に願ったら?」


「まあ、きっかけはそうだけど」


「わかった」


 ……何が?


「俺もやる」


「……何を?」


「寝る」


 ……え?


「別次元の俺に来てもらう」


「いや、トーシロー、それは……」


「何時間寝ればいい?」


「時間の問題じゃないと思うよ」


「八時間?」


「だから」


「九時間?」


「いや」


「十時間?」


「……寝すぎじゃない?」


 トーシローは、真剣だった。


「お前が出来たんだから、俺にも出来るだろ」


 ……そういうものなのかな。


 僕にも、よくわからない。


     *


 その日の放課後。


 僕は、セイジに

病院のワークショップの写真を見せていた。


「この白い家なんだけどさ」


「何?」


「縫い方が、ちょっと変わってるんだよ」


 セイジは、写真を拡大した。


「……変わってるって?」


「縫い代が見えないんだ」


「それだけ?」


「それだけって……」


「裏は?」


「見てない」


「作ってるところは?」


「少しだけ」


「針の動きは?」


「……よく覚えてない」


 セイジは、僕を見た。


「お前、何を見てたんだよ」


「……顔?」


「顔じゃなくて、手元を見ろよ!」


 ……ごもっとも。


 セイジは、写真をもう一度見た。


「これ、実物を見ないとわからないな」


「そうだよね」


「次に会ったら、裏も見せてもらえよ」


「うん」


「あと、縫い始めと縫い終わりも」


「うん」


「糸の種類も」


「うん」


「針も」


「……はい」


 セイジは、しばらく写真を眺めていた。


「でも、きれいだな」


「でしょ?」


「うん。これは、ちゃんと見たい」


 ……お。


 セイジも興味を持ったらしい。


 僕は、少し嬉しくなった。


     *


 その夜。


 トーシローは、早々と布団に入った。


 時計は、まだ午後九時だった。


 いつもなら、まだ起きている時間だ。


 でも今日は違う。


 別次元の自分に会うためには

まず寝なければならない。


 トーシローは、目を閉じた。


『別次元の俺、来い』


 ……。


『来い』


 ……。


『頼むから来い』


 ……。


 五分。


 十分。


 二十分。


 眠れない。


 トーシローは、寝返りを打った。


 もう一度、目を閉じる。


『別次元の俺、来い』


 ……。


 ……。


 ……。


 気がつくと、朝だった。


「……寝た」


 トーシローは、時計を見た。


 九時間以上寝ていた。


 さっそく机の上の水饅頭を確かめる。


 向きは、昨日と同じだった。


 虫もいない。


「……何も起こってないじゃん」


 トーシローは、がっかりした。


 でも、すぐに考え直した。


 ……一日じゃ足りないのかもしれない。


     *


 翌朝。


「イユル!」


「何?」


「昨日、九時間寝た」


「へえ」


「何も起こらなかった」


「そりゃそうだろ」


「今夜は十時間にする」


「時間の問題じゃないと思うよ」


「じゃあ、何の問題なんだよ」


 ……それがわかったら、僕だって苦労しない。


 トーシローは、真剣な顔で続けた。


「俺、しばらく続けるから」


「……何を?」


「寝る努力」


 ……。


 ……努力?


 僕は、何も言えなかった。


     *


 その日の夕方。


 ミルから連絡が来た。


『イユル、この間のワークショップの女性のこと

少しわかったよ』


 ……えっ。


『名前は?』


『それがね、名前より先に

ちょっと気になることがあって』


『何?』


『あの人

次のワークショップにも参加したいんだって』


 ……それは嬉しい。


『それでね』


『うん?』


『今度は、自分が何か教えてあげたいって』


 ……へえ。


『何を?』


『それが、まだ聞いてないの』


 ……何だろう。


 あの縫い方かな。


 それとも、別の何かかな。


 僕は、机の上に置いた写真を見た。


 白い小さな家。


 窓が、ひとつ。


 窓の内側に、薄い青色の布。


 そして、何なのかわからない小さな刺繍。


 ……楽しみだな。


 その時。


 窓の外を、一匹の小さな虫が横切った。


 僕は、思わず声をかけた。


「お仕事中ですか?」


 虫は、何も答えずに飛んでいった。


 ……そりゃそうか。


 僕は、ミルへの返事を打ち始めた。


 ところで。


 トーシローは今夜、十時間寝るつもりらしい。


 ……あいつ、本当にやるんだろうな。


 まあ、いいか。


 寝るのは、悪いことじゃないし。


 でも。


 もし本当に、別次元のトーシローが来ちゃったら。


 ……。


 ……。


 ちょっと、面白いかもしれない。




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