窓のある小さな家
コレーが帰ってから、一週間が過ぎた。
僕の頭の中は、すっかり静かになった。
静かになったというより、元に戻ったんだけど。
それにしても
誰にも聞こえないはずの声が聞こえなくなる
というのは、思っていた以上に寂しいものだ。
『ねえ、コレー』
つい、頭の中で呼びかけてしまう。
もちろん、返事はない。
代わりに聞こえるのは
階下から響いてくるママの声だ。
「イユルー!
出かけるなら、そろそろ支度しなさい!」
「はーい!」
……こっちは相変わらず、よく聞こえる。
今日は、病院で
初めての手芸ワークショップを開催する日だ。
ミルが以前から続けているボランティア活動に
僕も参加することになった。
もちろん、リラクゼーションクラブの
校外活動ということになっている。
今日作るのは、余り布を使った小さな家だ。
屋根があって、壁があって、窓がひとつ。
壁には好きな色の布を使い
屋根には刺繍やボタンをつけてもいい。
中に綿を詰めれば
手のひらに乗る柔らかい家になる。
ただし、僕はひとつだけ、妙な決まりを作った。
窓は、必ずひとつつけること。
窓の形も、大きさも、場所も自由。
開いていても、閉じていてもいい。
どうしてそんな決まりを作ったのかって?
……なんとなく。
だって、窓がなかったら息苦しいじゃないか。
*
病院へ向かう途中
茶蔵トーシローと待ち合わせた。
トーシローには
ずっと渡しそびれていたものがある。
「おーい、トーシロー!」
「おう。何だよ、朝から」
「これ、やっと渡せる」
僕は鞄から、小さな包みを取り出した。
「何だ?」
「水饅頭」
「……は?」
「水饅頭」
「食えるのか?」
「食べられないよ」
「じゃあ、水饅頭じゃないだろ」
……ごもっとも。
包みを開けると、透明な小さな機体が現れた。
DOCONANI3号機を模した、あの水饅頭だ。
「ほら、前に約束してたやつ」
「ああ! あれか!」
トーシローは、手のひらに載せて
しげしげと眺めた。
「すげえな。これ、どうやって作ったんだ?」
「それは、いろいろ」
「いろいろって何だよ」
「いろいろは、いろいろだよ」
「お前、説明する気ないだろ」
……あるけど、出来ないんだよ。
トーシローは、水饅頭を目の高さまで持ち上げた。
「これ、光に透かすと面白いな」
「そう?」
「うん。見る角度で、中の見え方が変わる」
トーシローは、何度も向きを変えていた。
僕は、ちょっと嬉しくなった。
「気に入った?」
「もちろん。ありがとな」
それからトーシローは
何かを思いついたように言った。
「なあ、これ、今度もっと詳しく見せてくれよ」
「いいよ」
「絶対だぞ」
「うん」
……絶対、ね。
僕は少しだけ、返事をしたことを後悔した。
*
病院の多目的室には
十数人の参加者が集まっていた。
入院患者さんもいれば、付き添いの家族もいる。
ミルが受付を担当し、僕は材料を並べた。
セイジも、すでに来ていた。
というより、僕たちより早く来ていた。
「イユル、遅い」
「え? まだ開始まで三十分あるよ」
「三十分しかない、だろ」
……ああ、そうですか。
セイジの前には、材料がきれいに並んでいた。
布は色別、柄別。
ボタンは大きさ別。
糸は太さと色ごとに分類され
針は人数分に予備まで揃っている。
さらに、参加者ごとの材料セットが
袋に分けられていた。
「すごいね」
「普通だろ」
……普通?
「イユル、見本は?」
「持ってきたよ」
「完成品だけ?」
「うん」
「途中工程の見本は?」
「……ない」
「説明用の図は?」
「……ない」
「時間配分は?」
「……だいたい」
セイジは、僕をじっと見た。
「お前、よくそれで講師やろうと思ったな」
……返す言葉もございません。
でも、セイジは怒っているわけではなかった。
さっさと紙を取り出して、工程を描き始めた。
線が細かくて、正確だ。
屋根と壁の縫い合わせ方まで、ひと目でわかる。
「これ、使えよ」
「ありがとう!」
「次から自分で作れよ」
「……はい」
ミルが、受付の向こうで笑っていた。
*
ワークショップが始まった。
最初は、みんな遠慮がちだった。
でも、好きな布を選び始めると
急に賑やかになる。
「屋根を赤くしてもいいの?」
「もちろん」
「窓を丸くしたいんだけど」
「いいですよ」
「窓をふたつつけちゃダメ?」
「……ひとつって言ったけど、まあ、いいか」
僕の決まりは、開始十分で崩壊した。
「イユル!」
セイジが呼んだ。
「何?」
「窓はひとつって説明しただろ」
「うん」
「じゃあ、何でふたつでもいいんだよ」
「だって、つけたいんだって」
「……そういうことじゃなくて」
セイジは、少し考えた。
「だったら最初から
窓はいくつでもいいって言えばいいだろ」
「そうだね」
「次からそうしろよ」
「はい」
……今日、何回「はい」って言ったかな。
そのうち、窓を三つも四つもつける人が現れた。
家というより、穴だらけの箱になっている。
でも、みんな楽しそうだ。
セイジも、なんだかんだ言いながら
窓の縫い方を丁寧に教えていた。
*
部屋の隅に、ひとりだけ
なかなか作業を始めない人がいた。
年齢のわからない、細身の女性だった。
白い布を手に取り、何度も裏返している。
「何かお困りですか?」
僕が声をかけると
女性は布から目を離さずに言った。
「窓は、外を見るためにつけるものなの?」
「え?」
「それとも、外から見つけてもらうため?」
……どっちだろう。
考えたこともなかった。
「両方じゃないですか?」
僕が答えると、女性は少し笑った。
「そうね。両方だったわね」
そして、白い布を二枚重ねて縫い始めた。
針の運び方が、妙に正確だった。
迷いがない。
それでいて、僕が知っている縫い方とは少し違う。
布の端を折り込んでいるのに、縫い代が見えない。
……どうやってるんだろう。
「それ、面白い縫い方ですね」
「そう?」
「教えてもらってもいいですか?」
女性は針を止めた。
それから、僕の顔をじっと見た。
「あなた、知らないの?」
「はい」
「……そう」
なんだか、がっかりされたような気がした。
でも女性は、すぐに笑顔に戻った。
「じゃあ、今度ね」
今度。
……今度って、いつだろう。
*
ワークショップの終わり頃。
参加者たちの作品が、机の上にずらりと並んだ。
赤い屋根。
青い壁。
花柄の煙突。
窓が五つもある家。
屋根のない家。
家の形をしていない家。
……最後のは、もう何なのかわからない。
でも、どれも面白い。
ミルが写真を撮ってくれた。
「みんな違って、かわいいね」
「うん」
「イユルのは?」
「僕の?」
そういえば、見本を作ったきり
自分の分は作っていなかった。
ミルが、机の隅を指差した。
「あれは?」
そこには、白い小さな家が置かれていた。
さっきの女性が作っていたものだ。
窓は、ひとつ。
屋根も壁も、全部白い。
ただ、窓の内側だけに
薄い青色の布が使われていた。
「きれいだね」
ミルが言った。
「うん」
僕は、その家を手に取った。
すると。
ふと、懐かしい匂いがした。
焼きたてのケーキのような。
それとも、洗いたての布のような。
……どこかで。
どこかで、こんな窓を見たことがある気がする。
白いカーテン。
柔らかい光。
窓辺に座っている誰か。
男の子だったような。
……いや。
そんな記憶、僕にはない。
「イユル?」
ミルの声で、我に返った。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
僕は家を机に戻した。
もう一度見ても、ただの布の家だった。
*
片付けを終えて、ミルと病院を出た。
セイジは
次のワークショップの材料を買いに行くと言って
先に帰った。
「今日、楽しかったね」
ミルが言った。
「うん。思ってたより、ずっと」
「またやろうね」
「もちろん」
僕たちは並んで歩いた。
途中、道端に工事中の看板が立っていた。
道路は、片側通行になっている。
「……半分だ」
「え?」
「道路が」
「そうね」
「……もしかしてコレ?」
「何が?」
「いや、なんでもない」
ミルが、不思議そうに僕を見た。
僕は、工事中の道路をもう一度眺めた。
……まさかね。
だって、道路を半分にしてどうするんだよ。
……いや、でも。
コレーなら、何をやっててもおかしくないし。
「イユル?」
「うん?」
「何か考え事?」
「ちょっとね」
「ふうん」
ミルは、それ以上聞かなかった。
……ありがたい。
しばらくして、ミルが思い出したように言った。
「そういえば、イユル」
「うん?」
「巣空さんのお家の温室、見に行ってみない?」
……温室?
「句義博士が話してた、あの?」
「そう。巣空さんのお家の庭園
今度、一般公開の日があるんだって」
「へえ」
「植物もきれいらしいし
蝶もたくさんいるんだって」
蝶。
僕は、なんとなく空を見上げた。
コレーが帰ってから
虫を見ても以前ほど驚かなくなった。
……いや。
ゴキブリは、まだちょっと驚くけど。
「行こうよ」
「うん!」
ミルが笑った。
僕も笑った。
その時。
道端の花に、一匹の蝶が止まった。
黄色い、小さな蝶だった。
羽を開いて、閉じて。
また開いて。
それから、僕たちの方へ飛んできた。
僕は思わず立ち止まった。
蝶は僕の目の前を一度だけ横切り
そのまま飛び去ろうとした。
「あ、ちょっと」
思わず声をかけてしまった。
「お仕事中ですか?」
蝶は、答えなかった。
ただ、ふわりと向きを変えて
また花の方へ戻っていった。
「……そりゃ、仕事中だよね」
「イユル?」
ミルが笑っている。
「蝶に何聞いてるの?」
「いや、ちょっと」
「お仕事中ですか、って?」
「うん」
「ふふ。蝶だって忙しいんじゃない?」
「そうだよね」
僕は、もう一度蝶を見た。
蝶は、花に止まっていた。
ただの蝶かもしれない。
……ただの蝶って、何だろう。
*
家に帰ってから、僕は今日撮った写真を眺めた。
みんなの小さな家が並んでいる。
窓がひとつの家。
窓が五つの家。
窓のない家。
そして、白い家。
あの女性が作った家だ。
そういえば、名前を聞かなかった。
受付名簿を見ればわかるだろうけど
今日はもう遅い。
今度ミルに聞いてみよう。
僕は写真を拡大した。
白い家の窓の内側。
薄い青色の布。
そこに、小さな刺繍があった。
……あれ?
こんなの、あったっけ?
拡大しても、何の模様なのかよくわからない。
文字のようにも見える。
羽のようにも見える。
それとも、ただの糸くず?
僕は、しばらく画面を眺めていた。
『ねえ、コレー』
また、頭の中で呼びかけてしまった。
もちろん、返事はない。
でも。
なんだか、ちょっと楽しくなってきた。
明日、ミルに聞いてみよう。
それから、あの女性にも
あの縫い方を教えてもらおう。
窓の内側の刺繍についても。
……そうだ。
今度の自由研究は
こういう小さなものを集めてみるのも
面白いかもしれない。
誰かが作った、小さなもの。
誰かが覚えている、小さなこと。
誰かが忘れてしまった、小さなこと。
それらを集めていったら。
何か、面白いものが出来るんじゃないかな。
僕は写真を閉じた。
窓の外では、夜の虫が鳴いていた。
……ところで。
あの白い家。
窓は、外を見るためのものなのか。
それとも
外から見つけてもらうためのものなのか。
僕には、まだわからない。




