せつなになる前のお話
俺は記憶力が異常に良い、だからこそ生まれた時もよく覚えてる。病院で生まれて、生まれながらにある俺の赤い左目を横断する焼けこげたような傷跡を見て母親になんて言われたのかも当時は理解できなかったが今はわかる。
「なにこの醜い顔は!本当に私とあの人の息子なの!」
その叫び声は病院中に響き渡った。
その叫び声を聞きつけた父親が病室へ入ってきた
「どうした!」
「みてこの子とても私たちの子とは思えないほど醜いわ」
「本当だなんだこの汚い顔の傷は」
とても生まれたての赤ちゃんの前で会話することではない、その会話を聞いていた介護士たちは唖然としていた。
俺は物心ついた時にはだから俺は味もわからないのに朝昼晩の料理や、やり方も教えてもらえずに洗濯の片付けなどの家事などを全部1人でさせられ、機嫌を少し損ねれば殴られるそんな毎日を過ごした。そして親は俺の4つ下の双子の姉弟をとても可愛がっていた。その双子は俺と違ってとても綺麗だった。けど双子は一応兄である俺の声など覚えていない、なぜなら双子が赤ん坊の頃に会話しようとしたら「醜いのがうつる」とか言ってめちゃくちゃ殴られたのを覚えているから、それ以降双子に話しかけたこともない、たとえ向こうから話しかけられたとしても無視し続けた。だからこそ俺のことを家族と思われているか怪しい、5人家族というより4人家族と召使いが1人といった方がいい家庭だった。それこそ児童相談所とかに通報すれば一発アウトレベルの虐待を俺は親から受けていたが俺は通報はしなかった。なぜなら双子の前では完璧な両親を演じていたから。俺が児童相談所というものを知った時には俺にとってはクズの親でも双子にとっては大切な両親だったため、そんな両親が裏ではグズだなんて人間不信になるだろ、だから通報はせずに黙々と毎日を過ごした。
たまに母親の所へ里帰りしても僕を召使いとして使っていたが祖父母は親と俺にも違って優しかった、というか俺の母親がその家族の中で特別やばいだけだった、(ちなみに父親の方の祖父母とは絶縁しているらしいから俺は会ったことがない)そんな祖父母は自腹で俺のスマホを買ってくれたり俺が虐待されているのも気づいてくれていたが俺が「見て見ぬふりをしてほしい」と言ったためだ。
そんな毎日を過ごしながら一応俺も学校に通っていた。もちろん俺の学費は祖父母が払ってくれていた。でも父親が昼前に帰ってくる火曜日は父親の昼飯を作るために学校は強制的に休まされた、と言っても一度でも見れば完全に覚える記憶力があるため勉強は問題なく、むしろ毎朝両親の昼弁当を早起きして作っていたため授業中は寝てばかりで俺の不気味な顔も相まってクラスメイトとまともに会話したこともない。その上先生に授業中に寝る不真面目な態度を毎度怒られていた
「どうして運無はいっつも真面目にやらないんだ!」
「眠たいからです」
「そんな言い訳はいい!そんなんだから毎回テストは70点前後なんだろ!お前なら真面目に授業を受ければ毎回90点以上も夢じゃないはずなのに」
(だって俺がテストで100点とったら「いい点とるな!」って言われてテスト用紙破られて殴られたから次20点とったら「こんな低脳だと思わなかった」って言われてテスト用紙はゴミ箱行きで殴られたし…)
「聞いてんのか!」
「はい…」
「お前ほんとにいつか「あの時真面目に授業を受けておけばよかった」って後悔するぞ」
「はーい…」
俺は目を逸らしながら返事をした
当時の俺は様々なことを思って生活していた
(あの双子がいなければここまで酷いことにはならなかった)(なんで俺は家族として接してくれないのにあいつらはどんなことでも褒められる)(なんで毎回あの双子だけ優遇するんだ)(あの親のせいでまた怒られた)(あんな親の教育で友達なんてできるわけない)(俺が不幸なのはなんでも俺のせいにしてくるあのクソ親が悪い)
(あんな親に生まれた俺はなんて不幸なんだ)
そんなことを思いながら毎日を過ごしていたが小4の時僕の中で革命が起きた




