恋人になったら、知らないことが増えていく
そして――。
私はもう一つ、気になっていることがあった。
清水君は、服だけじゃない。
髪型についても、妙に詳しいのだ。
以前から、私が髪を少し変えたときなんかにも、
『今日はいつもより前髪の分け目が違いますね』
なんて、すぐに気づいていた。
最初は単純に、女の子の髪型に詳しい人なのかなと思っていた。
でも。
どう考えても、知識が具体的すぎる。
「そういえば、清水君って髪型についても結構詳しいよね?」
私が聞くと、清水君は少し考えるような顔をした。
「……まあ、それも家の影響でしょうね」
「やっぱり?」
「はい」
清水君は少し苦笑した。
「父の会社やモデル事務所には、ヘアメイクアーティストの方も出入りしていましたから」
「ヘアメイクアーティスト?」
「ええ。それと……うちはモデル専門の美容室も経営しているんです」
「えっ?」
思わず声が出た。
「美容室まで?」
「はい」
「知らなかった……」
「表に出している事業とは少し違いますから」
清水君はそう言ってから、少し説明を続けた。
「一般のお客様を相手にする美容室とは違って、モデルさんや撮影関係者が利用することを前提にした店です」
「じゃあ、モデルさん専用ってこと?」
「完全に専用というわけではありませんが、基本的には撮影やショー、広告などの仕事に合わせたヘアメイクが中心ですね」
「なるほど……」
私は少し驚いた。
モデル事務所だけでも十分に特殊なのに。
その上、美容室まで持っている。
「モデルさんって、服だけ着れば完成ってわけじゃないでしょう?」
「まあ、そうだよね」
「髪型やメイクも含めて、全体のイメージを作りますから」
「なるほど」
言われてみれば当たり前の話だった。
どんなに綺麗な服を着ても、髪型が合っていなければ印象は変わる。
逆に、髪型やメイクまできちんと合わせれば、同じ服でも見え方は大きく変わる。
「俺、子供の頃から、そういう人たちを見て育ったんですよ」
「子供の頃から?」
「はい」
「じゃあ、美容師さんとも昔から知り合いだったの?」
「そうですね」
清水君は少し懐かしそうに笑った。
「母が仕事をしている間、事務所や美容室にいることもありましたから」
「美容室にも?」
「ええ」
「それって……子供がいて大丈夫だったの?」
「店舗の奥にスタッフ用のスペースがあったので。そこで遊んでいました」
「へえ……」
その光景を想像してみる。
小さな清水君が、美容室の片隅で遊んでいる。
その周りでは、美容師さんたちがモデルさんの髪をセットしている。
なんだか少し可愛い。
「最初の頃は、ただ遊んでもらっていただけですけどね」
「遊んでもらってたの?」
「はい」
「美容師さんに?」
「そうです」
清水君は少し笑った。
「仕事の合間に、髪を触らせてもらったりもしました」
「髪を?」
「はい。『ここを持ってみる?』とか、『このブラシ使ってみる?』とか」
「それ、普通の子供じゃなかなか経験しないよ……」
「まあ、そうでしょうね」
清水君は苦笑する。
「でも、そこでいろいろ話を聞いているうちに、自然と覚えていったんです」
「例えば?」
「髪質によって使う整髪料を変えるとか」
「うん」
「顔の形によって、似合う髪型が違うとか」
「うんうん」
「服の雰囲気によって、髪型も変えたほうがいいとか」
「……なるほど」
それなら確かに、清水君が髪型に詳しい理由もわかる。
「それに、撮影のときは照明のことも考えるんですよ」
「照明まで?」
「はい」
「髪のボリュームとか、ツヤの出し方とかも、照明によって見え方が変わりますから」
「…………」
私は思わず黙ってしまった。
「どうしました?」
「いや……」
私は清水君を見る。
「やっぱり普通じゃないよね」
「そうですか?」
「そうだよ!」
思わず笑ってしまった。
「普通の高校生は、そこまで知らないと思う」
「まあ……そうかもしれませんね」
清水君も苦笑した。
「俺にとっては、昔から身近なものだったので」
「そっか」
なんとなく納得する。
清水君にとっては、特別な知識ではないのだ。
私にとっては驚くようなことでも、彼にとっては子供の頃から見てきた日常の一部。
そう考えると、少し面白かった。
「そういえば、モデル専門の美容室なら、清水君の髪もそこで?」
「そうですね。子供の頃から何度もやってもらいました」
「えっ」
「撮影の予定がなくても、スタッフの方に遊び半分でセットしてもらったりしていました」
「なにそれ」
思わず笑ってしまう。
「小さい頃の清水君、絶対かわいかったでしょ」
「……どうでしょう」
「写真ないの?」
「ありますけど」
「見たい!」
「嫌です」
「なんで!?」
「恥ずかしいので」
「そこをなんとか!」
「ダメです」
「けち」
「そう言われても……」
清水君が苦笑する。
そんなやり取りをしていると、ふと気づいた。
以前までの私は、清水君の家庭のことを何も知らなかった。
服に詳しい理由も。
髪に詳しい理由も。
どうしてそんな知識を持っているのかも。
でも。
今は少しずつ、それが繋がってきている。
モデル事務所。
ヘアメイクアーティスト。
そして、モデル専門の美容室。
清水君が身につけてきた知識は、全部、彼にとっては幼い頃からの日常だったのだ。
そして何より。
清水君が、それを私に話してくれた。
それがなんだか嬉しかった。
「じゃあ……」
「はい?」
「夏服を買いに行くとき、髪型も一緒に考えてくれる?」
「もちろん」
「本当に?」
「ええ」
清水君は私の髪を見た。
「ただ、今の髪型も似合っていますよ」
「…………」
不意打ちだった。
「でも、少し雰囲気を変えてみたいなら、服に合わせて考えてみてもいいと思います」
「……それ、清水君が選んでくれる?」
「もちろん」
「じゃあ……お願い」
私は思わず笑顔になった。
夏服。
新しい髪型。
そして、清水君とのデート。
考えただけで胸が高鳴る。
「楽しみだなぁ……」
「そのためにも、次のテストも頑張ってくださいね」
「え?」
「大学受験はまだ続きますから」
「…………」
夢見心地だった私の気持ちが、一瞬で現実に引き戻された。
「清水君……」
「はい?」
「今、いいところだったのに……」
「だからこそ、ですよ」
清水君は笑った。
「頑張った後の楽しみがあるほうが、勉強も頑張れるでしょう?」
「……まあ、そうだけど」
「それに――」
「それに?」
「俺も、優里恵さんがどんな服を選ぶのか楽しみにしています」
「…………」
まただ。
また、そういうことを言う。
「清水君って、ずるい」
「何がですか?」
「そういうことを普通の顔で言うところ!」
「……よくわかりません」
「もう!」
私は頬を膨らませる。
でも。
そんな私を見て、清水君は楽しそうに笑っていた。
――夏服を買いに行く日が、待ち遠しい。
今までなら、ただ新しい服を買うだけだった。
でも今度は違う。
清水君が私のために服を選んでくれる。
髪型まで考えてくれる。
もしかしたら、家の美容室で働いている人たちから教わった知識を使って、私に似合う髪型を考えてくれるのかもしれない。
そして何より。
私が知らなかった清水君の一面を、少しずつ知っていくことができる。
付き合うというのは。
こうやって、相手の知らなかった部分を一つずつ知っていくことなのかもしれない。
「……早く夏にならないかな」
「まだ五月ですよ?」
「わかってるよ」
私は笑った。
でも。
私にとってはもう、夏が待ち遠しくて仕方なかった。




