清水君と、これからのこと
放課後。
私は教室の机に向かい、進路希望調査票を前にしていた。
用紙には、卒業後の進路や、その理由を書く欄がある。
進学か、就職か。
興味のある分野は何か。
そのために、これから何をしたいのか。
項目を一つずつ眺めていると、鉛筆を持つ手が止まってしまった。
「……どうしよう」
進路のことを考えていないわけではない。
でも、これだと思えるものが、まだ見つかっていなかった。
興味のあることはいくつかある。
もっと勉強してみたいこともあるし、実際に働くようになったら、どんな毎日になるのだろうと考えることもある。
ただ、それらを将来の進路として選んでいいのか、自信が持てないのだ。
友達と進路の話をすると、すでに具体的な学校や職業を考えている子もいる。
そういう話を聞くたびに、私だけが遅れているような気持ちになる。
みんなは、どうして自分の進みたい道を決められるんだろう。
私は、自分のことなのに、まだよく分からない。
「……はあ」
ため息をついて、調査票を机の中にしまおうとした。
でも、明日には提出しなければならない。
このまま何も書かずに出すわけにはいかなかった。
私はもう一度、用紙を取り出した。
進路希望の欄に、ひとまず「進学」と書いてみる。
けれど、その下の理由を書く欄には、何も書けなかった。
どうして進学したいのか。
何を学びたいのか。
改めて尋ねられると、うまく答えられない。
私は鉛筆を置いた。
「……清水君に、話してみようかな」
そんな言葉が、自然と口から出ていた。
◇
翌日、放課後。
私は清水君と駅へ向かって歩いていた。
彼はいつものように、学校であったことを話してくれていた。
私は相槌を打ちながら、昨日の調査票のことを考えていた。
話してみたい。
でも、こんなことで悩んでいるなんて、頼りないと思われないだろうか。
そんな気持ちが、まだ少し残っている。
それでも、私は思い切って口を開いた。
「ねえ、清水君」
「はい?」
「進路のことなんだけど……」
そう言うと、清水君は歩く速度を少し落とした。
「進路ですか?」
「うん。私、まだ卒業したあとのことが、はっきり決まってないんだ」
私は、昨日書いた進路希望調査票のことを話した。
進学と書いてみたけれど、その理由がうまく書けなかったこと。
興味のあることはあるけれど、それを将来につなげられるのか分からないこと。
そして、周りの友達が少しずつ進路を決めているように見えて、焦ってしまうこと。
清水君は、途中で口を挟まずに聞いてくれた。
「……というわけで、ちょっと困ってるんだよね」
私は最後に、苦笑いを浮かべた。
「三年生なのに、まだこんなことで悩んでるなんて、情けないかな?」
「そんなことはないと思います」
清水君は、すぐに答えた。
「自分の進路だからこそ、簡単には決められないんじゃないでしょうか」
「……そうかな」
「はい。周りの人が決めているように見えると、焦ることもあると思います。でも、その人たちが何を考えて決めたのかまでは、分かりませんよね」
私は、はっとした。
確かに、そうだ。
友達が進路を決めたと言っていても、何も迷わずに決められたとは限らない。
私が知らないところで、悩んでいたのかもしれない。
「それに、優里恵さんが進路を選ぶ理由は、優里恵さん自身が納得できるものにしたほうがいいと思います」
清水君は、私を見て言った。
「周りの人と同じだからとか、そうしたほうがよさそうだからという理由だけでは、あとで迷うこともあると思いますから」
「……うん」
私は頷いた。
私はいつも、周りからどう見られるかを気にしてしまう。
しっかりしたお姉さんだと思われたい。
頼りない人だと思われたくない。
だから、自分の進路についても、きちんとした答えを出さなければいけないと思っていた。
けれど、今の私は、まだ分からないことがたくさんある。
分からないのに、分かったふりをして答えを書く必要はないのかもしれない。
「……ねえ、清水君は、将来のことを考えてる?」
「僕も、まだ決めきれていません」
「そうなんだ」
「興味のあることはいろいろあります。でも、それを仕事にしたいのか、もっと勉強したいのかは、まだ考えているところです」
清水君も、同じように迷っている。
そのことが、少し嬉しかった。
もちろん、清水君も悩んでいるからといって、私の悩みがなくなるわけではない。
でも、まだ決まっていないのは私だけではないのだと思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。
「……そっか。清水君も、これからなんだね」
「そうですね」
清水君は穏やかに頷いた。
「だから、今のうちにいろいろ調べてみようと思っています。実際に話を聞いてみないと分からないこともありますから」
「……あっ、そうだね」
私は顔を上げた。
進路について考えるというと、机に向かって一人で悩むことばかりを想像していた。
でも、学校の先生に相談してみてもいい。
興味のある分野について、詳しい話を聞いてみてもいい。
調べてみて違うと思ったら、別の道を考えればいいのだ。
「私も、先生に相談してみようかな」
「いいと思います」
「うん。今はまだ決められないけど、何が分からないのかを整理するところから始めてみるね」
そう言うと、清水君は嬉しそうに頷いた。
◇
駅に着くころには、私は少しだけ前向きな気持ちになっていた。
進路が決まったわけではない。
明日になれば、また迷ってしまうかもしれない。
でも、何をすればいいのか、少しだけ分かった気がした。
「清水君、話を聞いてくれてありがとう」
「いえ。僕も、優里恵さんの話を聞いて、考えることができました」
「えっ?」
「進路について、僕ももう少し具体的に調べてみようと思います。考えているだけでは分からないこともありますから」
私は笑顔になった。
「そっか。じゃあ、お互いに頑張ろうね」
「はい」
それから、少し歩いたところで、私はふと思い出した。
「……でもね」
「はい?」
「私、卒業したあとも、清水君と一緒にいろんなところへ行きたいな」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
進路の話から、急にこんな話をしてしまった。
でも、これも私の本当の気持ちだった。
私たちは、これから別々の道を考えることになるかもしれない。
清水君がどんな進路を選ぶのかも、私がどんな道へ進むのかも、まだ決まっていない。
それでも、一緒に本を読んだり、知らない場所へ出かけたり、いろんな話をしたりしたい。
そんな時間が、これからも続いてほしいと思っている。
清水君は、少しだけ驚いたような顔をしたあと、微笑んでくれた。
「僕も、そうしたいです」
「……本当?」
「はい。これからも、一緒にいろいろなことをしましょう」
私は嬉しくなって、思わず笑顔になった。
「えへへ……ありがとう」
進路のことは、まだ分からない。
でも、分からないことを一つずつ考えていけばいい。
そして、これから先のことを、清水君と話し合える関係でいたい。
そのためにも、まずは自分がどうしたいのかを、少しずつ見つけていこう。
私は、そう心に決めた。




