恋人なのに、いつもどおり?
休日の午後。
私はリビングで本を読んでいた。
昨日、清水君と一緒に選んだ本だ。
主人公が失敗するたびに、私まで落ち込んだり、うまくいったときには嬉しくなったりする。
気づけば、すっかり物語に夢中になっていた。
「……あっ、もうこんな時間?」
時計を見て、私は慌てて本を閉じた。
少し休憩しよう。
そう思ったところで、玄関から聞き慣れた声がした。
「お邪魔します」
「あれ?」
清水君の声だ。
今日は良ちゃんと会う約束をしていたんだっけ。
「姉ちゃん、清水が来たぞー!」
「聞こえてるよ、良ちゃん!」
私はリビングを出て、玄関のほうへ向かった。
「こんにちは、優里恵さん」
「こんにちは、清水君。いらっしゃい」
清水君は丁寧に頭を下げた。
その姿を見るだけで、自然と笑顔になってしまう。
「……姉ちゃん」
「なあに?」
「清水が来た途端、嬉しそうだな」
「えっ!?」
いきなり言われて、私は頬を押さえた。
「そ、そんなことないよ!」
「いや、さっきまで本を読んでたのに、今はすごい笑顔じゃん」
「そ、それは……清水君が来たから……」
そこまで言って、私は自分の言葉に気づいた。
しまった。
良ちゃんが、にやりと笑う。
「へえー。清水が来たから、ねえ?」
「良ちゃん!」
「はいはい。からかいすぎると怒られるから、この辺にしとくわ」
「もう!」
私が抗議すると、清水君が困ったように笑った。
「良助、あまり優里恵さんをからかわないでください」
「分かってるって。じゃあ、俺たちは部屋に行くから」
良ちゃんは清水君を連れて、二階へ上がっていった。
私は二人の背中を見送った。
……恋人なのに、いつもどおり。
清水君と二人でいるときには、つい恋人らしい雰囲気を意識してしまう。
でも、良ちゃんと一緒にいる清水君は、いつもどおりの友達だ。
その様子を見ると、なんだか不思議な気持ちになる。
私の知らない清水君を、良ちゃんはたくさん知っているのだろう。
少しだけ羨ましい。
でも、私だって、これからもっと知っていけばいい。
そう思いながら、私はリビングへ戻った。
◇
しばらくして、二人に飲み物を持っていこうと、私はキッチンに立った。
そのとき、二階から良ちゃんの声が聞こえてきた。
「だから、そこは自分で決めないと意味ないだろ」
「分かってるよ。ただ、どう説明すればいいか迷ってるんだ」
清水君の声も聞こえる。
私は飲み物を用意しながら、少しだけ耳を傾けた。
どうやら、学校の課題について話しているらしい。
「姉ちゃんに聞けば、文章くらい考えてくれるんじゃない?」
「いや、それは自分でやるよ。優里恵さんに頼りすぎるのもよくないですし」
「……そっか」
良ちゃんの声が、少しだけ小さくなった。
「まあ、俺も自分で考えてみるけどさ。清水の意見も聞いておきたかったんだよ」
「うん。僕でよければ、一緒に考えよう」
その言葉に、私は手を止めた。
良ちゃんが清水君に相談している。
それ自体は、何も不思議なことではない。
二人は仲のいい友達なのだから、学校のことを相談するのも当然だ。
それでも、私は少し驚いていた。
良ちゃんは、家では何でもないような顔をしていることが多い。
困ったことがあっても、自分でなんとかしようとする。
私が心配して尋ねても、「大丈夫」と言って終わりにすることだってある。
でも、清水君には、こうして自分の迷いを話せるのかもしれない。
私は飲み物をトレーに載せ、階段を上がった。
◇
「二人とも、飲み物を持ってきたよ」
部屋に入ると、良ちゃんが机に向かい、清水君がその隣で資料を見ていた。
「おっ、ありがと」
「ありがとうございます、優里恵さん」
私はそれぞれの前に飲み物を置いた。
「何の話をしてたの?」
そう尋ねると、良ちゃんが少しだけ顔をしかめた。
「学校の課題。発表するときの説明をどうするか考えてたんだよ」
「そうなんだ」
「別に大したことじゃないけどな」
良ちゃんは、いつもの調子で言った。
私は思わず、何か手伝おうかと言いそうになった。
でも、さっきの二人の会話を思い出して、言葉を止めた。
良ちゃんは、自分で考えてみたいのだ。
清水君に相談しているのも、答えを代わりに出してほしいからではないのだろう。
「そっか。じゃあ、頑張ってね」
私は、それだけを伝えた。
「おう」
良ちゃんは少し意外そうな顔をしたけれど、すぐに机へ視線を戻した。
その横で、清水君が私を見て微笑んだ。
私は軽く頷いてから、部屋を出ようとした。
「優里恵さん」
呼び止められて振り返る。
「はい?」
「この本、もうどこまで読みましたか?」
清水君が、机の端に置いてあった本を指さした。
私が先日買った本だった。
「あっ、まだ途中なの。でも、主人公が失敗したところで、すっごく続きが気になってるんだよね」
「なるほど。そこから、もう少し悩むことになると思います」
「ええっ! まだ悩むの?」
「はい」
「うう……。でも、どうなるか気になるから、早く読みたい!」
思わず声が大きくなった。
良ちゃんが呆れたようにこちらを見る。
「姉ちゃん、今は俺たちが課題やってるんだけど」
「ご、ごめん!」
私は慌てて口を押さえた。
清水君が、くすりと笑った。
「続きが気になっているんですね」
「うん……。でも、二人の邪魔をしちゃいけないから、もう戻るね」
「いえ、邪魔ではありませんよ」
清水君はそう言ってくれたけれど、私は二人の作業を優先することにした。
「ありがとう。二人とも、頑張ってね」
そう言って部屋を出た。
◇
リビングへ戻る途中、私は少しだけ考えていた。
良ちゃんは、私には見せない顔を清水君に見せている。
清水君だって、良ちゃんと一緒にいるときには、私と二人でいるときとは違う表情をする。
それは、少し寂しいことではない。
むしろ、二人がそれだけ仲のいい友達なのだと思うと、嬉しくなった。
私は良ちゃんのお姉さんだけれど、何でも知っているわけではない。
良ちゃんには良ちゃんの学校生活があって、友達がいて、自分で考えたいことだってある。
私がいつも手を差し伸べればいいわけではないのだ。
「……そっか」
私は小さく呟いた。
恋人になったからといって、清水君のすべてを知っているわけでもない。
これから少しずつ、知らなかった一面を知っていけばいい。
それは良ちゃんも同じなのだろう。
私が知らないところで、二人は二人なりの関係を築いている。
「姉ちゃん、何一人で笑ってんの?」
いつの間にか階段を下りてきた良ちゃんに声をかけられ、私はびくりとした。
「えっ!? べ、別に笑ってないよ?」
「いや、笑ってたって」
良ちゃんが呆れたように言う。
「まあ、清水と一緒にいられて嬉しいのは分かったけどさ」
「良ちゃん!」
「はいはい。じゃ、ちょっと飲み物のおかわりもらってくるわ」
良ちゃんはキッチンへ向かった。
私はその背中を見ながら、思わず笑ってしまった。
からかわれるのは恥ずかしい。
でも、こうして良ちゃんと清水君が、これまでと変わらず仲良くしていることも嬉しい。
恋人としての清水君も、友達としての清水君も、これからもっと知っていきたい。
そして、良ちゃんのことも。
今までと同じ日常の中にも、まだ知らないことがたくさんあるのだと、私は改めて思った。




