清水君の好きな本、私の好きな本
清水君と次に出かける約束をしてから、私はずっとそわそわしていた。
今度は、清水君の好きな書店に連れていってもらうことになっている。
私の好きなカフェや雑貨屋には付き合ってもらったのだから、今度は私が清水君の好きなものを知る番だ。
……それに、清水君と二人きりで出かけられるのが、やっぱり嬉しい。
待ち合わせの時間より少し早く着いてしまい、スマホを確認しては、まだ時間があることに気づいて落ち着かなくなる。
そんなことを繰り返しているうちに、待ち合わせの時間になった。
「お待たせしました」
「ううん、私も今来たところ!」
清水君に笑顔で手を振る。
今日の清水君は、いつもと同じように落ち着いた服装だった。特別におしゃれをしているわけではないのに、清潔感があってよく似合っている。
……うん、やっぱりかっこいい。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ! 清水君のおすすめ、楽しみにしてたんだから」
「そんなに期待されると、少し緊張しますね」
「えっ、そんなにすごいところなの?」
「いえ、普通の書店ですよ。ただ、よく行くところなので」
清水君は少し困ったように笑った。
その表情がなんだか可愛くて、私は思わず頬を緩めてしまう。
いけない、いけない。
今日は清水君の好きなものを知る日なのだ。ちゃんと、彼の話を聞かなければ。
◇
連れてきてもらったのは、駅から少し歩いたところにある大きな書店だった。
新刊が並ぶ売り場だけでなく、文庫本や専門書のコーナーも充実している。
「へえ、こんなところに書店があったんだ」
「少し前に見つけて、それからよく来るようになったんです」
「清水君って、どんな本を読むの?」
「小説も読みますし、興味があることについて調べたりするのも好きですね」
「じゃあ、今日は清水君の好きな本をいっぱい教えてね!」
「いっぱい、ですか。では、まずは小説のコーナーから行きましょうか」
清水君の後についていく。
しばらくすると、彼は文庫本が並ぶ棚の前で足を止めた。
「あ、この作家さんの本は好きですね」
清水君が一冊の本を手に取った。
「どんなお話なの?」
「登場人物が、それぞれ違う考えを持っているところが面白いんです。同じ出来事でも、立場によって見え方が違うので」
「ふうん?」
「例えば、ある人物が誰かを助ける場面があるんですが、最初は親切心からの行動に見えるんですよ。でも、別の人物の視点から読むと、助けられた側にも事情があったことが分かってきて……」
そこまで話してから、清水君は本を見下ろした。
「すみません。少し説明が難しいですね」
「ううん、続きが気になる!」
「本当ですか?」
「うん! 清水君、すごく楽しそうに話すんだもん」
そう言うと、清水君は少しだけ目を丸くした。
「そうでしょうか」
「そうだよ。普段は私の話を聞いてくれることが多いから、ちょっと意外だった」
「……好きなものの話になると、つい話しすぎてしまうのかもしれません」
清水君は、ほんの少し照れたように視線を逸らした。
その顔を見て、私は嬉しくなった。
いつも落ち着いていて、私が慌てたり失敗したりしても、穏やかに受け止めてくれる清水君。
でも、彼にも夢中になれるものがあって、それについて話すときには、こんな表情をするんだ。
「ねえ、その本、私も読んでみたい!」
「では、今度貸しましょうか?」
「いいの?」
「もちろんです。気に入ってもらえると嬉しいです」
「絶対に読むね!」
思わず力を込めて答えると、清水君は安心したように笑った。
……よし。
まずは一冊、清水君の好きな本を教えてもらった。
次は、私の番だ。
◇
「じゃあ、今度は私の好きな本を紹介するね!」
私は清水君を連れて、別のコーナーへ向かった。
「優里恵さんは、どんな本が好きなんですか?」
「私は、読んでいて楽しくなるお話が好きなの。登場人物が魅力的だったり、先が気になってどんどん読み進めちゃったりするような本!」
「なるほど」
「あと、恋愛ものも読むよ。読んでいてドキドキするようなお話とか!」
言ってから、ちょっと恥ずかしくなった。
今、清水君の前で恋愛ものが好きだって言ったんだよね。
別に隠すようなことじゃないけれど、なんだか自分の恋愛観まで知られてしまったような気がする。
「そうなんですね」
「う、うん」
「優里恵さんらしいですね」
「えっ、私らしいってどういうこと?」
思わず聞き返すと、清水君は少し考えてから答えた。
「優里恵さんは、楽しいことがあると、すごく嬉しそうに話してくれるでしょう。そういうところが、好きなんです」
「…………っ!」
顔が熱くなった。
ちょっと待って。
今、さらっと好きって言わなかった?
いや、恋人なんだから、好きだと言われること自体はおかしくない。おかしくないんだけど!
不意打ちはずるい。
「……清水君って、たまにすごいこと言うよね」
「そうですか?」
「そうだよ!」
私が抗議すると、清水君は不思議そうに首を傾げた。
どうやら、本当に自覚がないらしい。
……もう。
こういうところも、好きなんだけど。
私は気を取り直して、気になっていた本を一冊手に取った。
「これ、面白いんだよ。主人公がいろんな人と出会って、少しずつ変わっていくの」
「優里恵さんは、そういうお話が好きなんですね」
「うん。最初から完璧な人より、悩んだり失敗したりしながら頑張る人のほうが応援したくなるの」
「その気持ちは、少し分かる気がします」
「本当?」
「ええ。最初から何でもできる人より、迷いながらも自分で考えて行動する人のほうが、どうしてそうしたのか気になりますから」
「……あっ、それは分かる!」
思わず声が大きくなった。
清水君が少し笑う。
「優里恵さんも、そういうところがありますよね」
「えっ、私?」
「はい。迷うことがあっても、自分で考えて、ちゃんと伝えようとしてくれるところです」
胸の奥が、きゅっとなった。
以前の私は、嫌われるのが怖くて、自分の気持ちを伝えることさえためらっていた。
今だって、何もかも平気になったわけではない。
でも、清水君は、そんな私の変化をちゃんと見てくれているらしい。
「……ありがとう、清水君」
「いえ。僕が思ったことを言っただけですよ」
清水君はそう言って、私が持っている本の表紙を見た。
「ところで、この本はどんなお話なんですか?」
「あっ、そうだった!」
私は慌てて本を開いた。
「主人公がね、最初は自分に自信がなくて、なかなか行動できないんだけど……」
説明を始めたものの、好きな場面を思い出すたびに話したくなってしまう。
「それで、途中で大きな失敗をするんだけど、そこで出会った人が……あっ、でも、そこは言わないほうがいいかな。すごく大事な場面だから!」
「ふふっ」
「えっ、な、何?」
「いえ。優里恵さんも、好きな本の話になると楽しそうだなと思いまして」
「……そ、そう?」
「はい」
清水君に笑われて、私は少し恥ずかしくなった。
でも、話すのをやめようとは思わなかった。
「じゃあ、これは実際に読んでみて! 私が好きな理由、きっと分かると思うから!」
「分かりました。読んでみます」
清水君は、私が差し出した本を手に取った。
そのまま、あらすじを確認するようにページをめくっている。
……そっか。
清水君は、私の好きなものにも興味を持ってくれるんだ。
それが嬉しくて、私は自然と笑顔になった。
◇
ところが、そこからが意外と難しかった。
「清水君には、こっちの本もおすすめなんだけど……」
私は別の一冊を手に取り、表紙を見つめた。
こちらも、ぜひ読んでほしい作品だ。
ただ、さっきの本と比べると、ちょっと好みが分かれるかもしれない。
清水君は、どちらが好きだろう。
いや、そもそも、どんな本を面白いと思うんだろう。
あれこれ考えているうちに、私は二冊を交互に見比べていた。
「……優里恵さん?」
「えっ、あっ、ごめんね。ちょっと迷っちゃって」
「何をですか?」
「どっちを清水君におすすめしようかなって」
正直に答えると、清水君は少し驚いたようだった。
「両方でも構いませんよ?」
「えっ、でも、いきなり二冊も読むのは大変じゃない?」
「そうですね。すぐには読めないかもしれませんが、時間をかけて読めばいいと思います」
「……そっか」
私は二冊を見下ろした。
気に入ってもらえる本を選びたい。
でも、それを気にしすぎていたら、せっかく好きなものを紹介する機会なのに、何も決められなくなってしまう。
「じゃあ、まずはこっち! こっちは絶対に読んでほしい!」
「分かりました」
「もう一冊は、そのあとでいいからね!」
「はい。楽しみにしています」
清水君は、私が選んだ本を大切そうに受け取った。
その様子を見て、ようやく肩の力が抜けた。
私が好きなものを、清水君も同じように好きになってくれるとは限らない。
でも、最初から相手の好みにぴったり合うものを選ぼうとしなくてもいいのだ。
まずは、私が好きだと思ったものを紹介すればいい。
清水君がどう感じるのかは、読んでからのお楽しみ。
そう考えたら、なんだか次の約束が待ち遠しくなってきた。
◇
書店を出る頃には、すっかり時間が経っていた。
「今日は楽しかったね!」
「そうですね。優里恵さんの好きな本も知ることができて、よかったです」
「私も! 清水君があんなに楽しそうに本の話をするなんて、知らなかったもん」
「少し話しすぎてしまったかもしれません」
「そんなことないよ! もっと聞きたかったくらい!」
そう言うと、清水君はほっとしたように笑った。
私はその笑顔を見ながら、ふと思いついた。
「ねえ、清水君。今度は一緒に本を読んでみない?」
「一緒に、ですか?」
「うん! 今日買った本でもいいし、清水君のおすすめの本でもいいし。読んだあとで、お互いに感想を話すの!」
「それは楽しそうですね」
「でしょ?」
同じ本を読んでも、面白いと思うところは違うかもしれない。
私が好きな場面を、清水君も好きになってくれるとは限らない。
でも、どんな感想を聞かせてくれるのか、今から楽しみだった。
「じゃあ、次はその約束ですね」
「うん! 約束!」
私は小指を差し出しかけて、途中で手を止めた。
……いや、さすがに子どもっぽいかな?
そう思って引っ込めようとした、そのとき。
「……指切りですか?」
「えっ?」
清水君が、私の手を見ていた。
「したいんですか?」
「そ、それは……」
恥ずかしい。
でも、ここで誤魔化すのも違う気がした。
「……したい」
小さな声で答えると、清水君は微笑んで、小指を差し出してくれた。
「では、約束しましょう」
私たちは小指を絡めた。
「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本のーます……」
歌い終わると、清水君が私の顔を見た。
「そんなに嬉しいですか?」
「えっ?」
「さっきから、ずっと笑っていますから」
「だ、だって……」
私は絡めていた指を離し、慌てて両手を後ろに隠した。
「清水君と、また会う約束ができたんだもん!」
言ってから、しまったと思った。
ちょっと素直すぎたかもしれない。
けれど、清水君は笑わなかった。
「僕も、楽しみにしています」
そう言ってくれた。
……もう!
そんなことを言われたら、次の約束がもっと楽しみになっちゃうじゃない!
私は清水君の隣を歩きながら、今日紹介してもらった本のことを考えた。
次に会うときには、きっと感想を話せる。
清水君がどんなところを面白いと思ったのか、どんな登場人物が好きだったのか、たくさん聞いてみたい。
そして、私が紹介した本も、気に入ってくれたら嬉しい。
もし感想が違っていたとしても、それはそれで面白そうだ。
だって、まだ知らない清水君の一面を知ることができるのだから。
そんなことを考えていたら、自然と笑みがこぼれた。
「優里恵さん、何かいいことでもありましたか?」
「うん!」
「何ですか?」
「……次のデートが楽しみだなって!」
清水君は少し驚いて、それから優しく笑った。
「僕もですよ」
その言葉を聞いて、私はまた、どうしようもなく嬉しくなってしまった。




