一緒に帰る帰り道
そして翌日、朝から私は、昨日の帰り道に清水君と交わした約束のことを何度も思い出していた。
今日は学校が終わったら、一緒に帰る。
たったそれだけのことなのに、昨日からずっと落ち着かない。外で会って遊びに行くことなら、もう何度もしているし、二人きりで話すことにも少しずつ慣れてきた。それなのに、学校で一緒に帰るとなると話は別だった。
「……やっぱり、誰かに見られるよね」
学校では今まで、ほとんど恋人らしいことをしてこなかった。休み時間に少し話したり、廊下ですれ違った時に挨拶したりすることはあっても、二人で一緒に帰るとなれば、それだけで周りから「付き合っている二人」に見える気がする。
そう考えると、また頬が熱くなった。
教室に入って席に着いた私は、鞄を机の横に置いてから、何気なく廊下へ視線を向ける。すると、少し離れたところに清水君がいて、何人かの男子と話をしていた。
「……あの人たちが、清水君の友達なんだ」
私は教室から様子を眺めながら、そんなことを考えていた。
清水君が何かを話すと、男子の一人が笑い、それにつられるように清水君も笑っている。二人きりの時とは違う、少しくだけた表情だった。
昨日までの私は、その姿を見て胸の奥をざわつかせていた。でも今日は少し違う。
あの人たちは、どういう友達なんだろう。清水君は、普段どんな話をしているんだろう。
そんなことを考えていると、清水君がふとこちらを向いた。
「あ」
目が合う。
清水君は一瞬だけ驚いたような顔をしたものの、すぐに笑って軽く手を上げた。私も小さく手を振り返す。
それだけなのに、胸が少しだけ高鳴った。
「……やっぱり、嬉しいな」
昨日までなら、こんなふうに学校で目が合うだけで一日中気にしていたかもしれない。でも今は、今日の放課後が待ち遠しい。
授業が終わって、一緒に帰る。
そう思うだけで、自然と口元が緩んでしまった。
そして、あっという間に放課後になる。
終礼が終わると、教室では帰り支度をする音が一斉に広がった。私は机の上を片付けながら、何度も時計を見る。
「優里恵、今日なんかそわそわしてない?」
隣の席の友達にそう言われ、私は思わず肩を揺らした。
「え? そ、そうかな」
「うん。さっきから時計ばっかり見てるし」
「べ、別に……」
どう答えればいいのか分からず、私は鞄のファスナーを閉めるふりをして視線を逸らした。
「そういえば、今日このあと用事あるの?」
「うん。ちょっとね」
完全な嘘ではない。でも、付き合っていることをまだ友達には話していないから、それ以上は言えなかった。
私は鞄を持って立ち上がると、そのまま教室を出る。
昇降口へ向かう廊下を歩きながら、胸の鼓動が少しずつ速くなっていった。約束はしているから、清水君は来るはずだ。そう分かっているのに、実際に昇降口へ着いてみると、急に不安になってくる。
もしかして、先に帰ってしまったらどうしよう。
そんなわけがないと分かっているのに、どうしても変なことを考えてしまう。
すると、
「優里恵さん」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、清水君がこちらへ歩いてくる。
「ごめんなさい。待たせました?」
「ううん。今来たところ」
「よかった」
清水君は、ほっとしたように笑った。私も笑い返したものの、周囲に人が多いことが気になって、どうしても落ち着かない。
そんな私の様子を見て、清水君が首を傾げる。
「どうしました?」
「え?」
「なんだか、昨日より緊張してません?」
「……分かる?」
そう言われてしまうと、隠すのも恥ずかしくなってくる。
「だって……」
私は小さな声で答えた。
「学校で一緒に帰るの、初めてだから」
「ああ……なるほど」
清水君も周囲を見渡して、それから少し照れたように笑った。
「僕も、ちょっと緊張してます」
「清水君も?」
「はい。外で二人でいる時は慣れてきましたけど、学校だと知り合いも多いですから」
それを聞いて、私は少しだけ安心した。自分だけが緊張しているわけではないらしい。
「じゃあ……一緒に帰ろう」
「はい」
私たちは並んで昇降口を出た。
校門を抜けるまでの間、私は何となく周りを気にしてしまう。すれ違う生徒がこちらを見ていないか、誰かが何か言っていないか。そんなことばかり気になっていた。
けれど、学校を離れて少し歩くと、ようやく肩の力が抜けてくる。
「……ふぅ」
「やっぱり緊張してました?」
「うん。すごく」
私が正直に答えると、清水君は小さく笑った。
「僕もです」
「ほんと?」
「ほんとですよ」
「なんだか意外」
「そうですか?」
「うん。学校では、もっと普通にしてるから」
「あれはあれで、普通なんですけどね」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。
「昨日も見てたけど、友達といる時の清水君って、結構違うよね」
「そうですか?」
「うん。なんというか……楽しそう」
そう言うと、清水君は少し考えるように前を向いた。
「まあ、あいつらとは昔からの付き合いなので」
「そうなんだ」
「はい。ずっと一緒ってわけじゃないですけど、気楽に話せる友達です」
「いつも一緒にいるの?」
「昼休みは、だいたいあの辺で話してますね。あいつ、くだらないことばっかり言うんですけど、妙に話を広げるのが上手くて」
「ふふっ。だからみんな笑ってたんだ」
「そうなんですよ。それで、もう一人はあまり喋らないんですけど、誰かが困ってると一番先に動くタイプで」
「へえ……」
「この前も、体育の後に忘れ物したやつがいて、何も言わずに一緒に探してました」
清水君がそんな友達の話をしているのを聞いていると、私は何だか嬉しくなってきた。
「清水君って、そういうところまでちゃんと見てるんだね」
「友達ですから」
少し照れたように答える清水君を見て、私はまた笑った。
昨日まで、私は清水君のそういう部分をほとんど知らなかった。でも今は、一つずつ知っていける。
「なんだか、清水君のことを少し知れた気がする」
私がそう言うと、清水君は嬉しそうに笑った。
「それならよかったです」
「まだまだ知らないこと、いっぱいありそうだけど」
「そうですね」
「……もっと知りたい」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。でも、今度は隠さなかった。
「僕も、優里恵さんのことをもっと知りたいです」
「そう?」
「はい」
そんなふうに言われると、胸の奥がじんわり温かくなる。
昨日までなら、こんな言葉を言われただけでどう返せばいいのか分からなくなっていたと思う。でも今日は、不思議と嬉しい気持ちのほうが大きかった。
そのまま話しながら歩いていると、前から誰かが歩いてくるのが見えた。
「あれ?」
私は目を細める。
見覚えのある制服。近づいてくるにつれて、その正体が分かった。
同じクラスの子だった。
「あ……」
向こうもこちらに気づいたらしい。そして、私と清水君を交互に見た。
「……えっ?」
その顔が、見る見るうちに驚いた表情へ変わっていく。
「優里恵?」
「う、うん」
「え、待って。清水君と一緒に帰ってるの?」
聞かれた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
昨日までの私なら、きっと慌てて誤魔化していただろう。「ち、違うの」とか、「たまたま一緒になっただけ」とか、そんな言葉を口にしていたと思う。
でも。
昨日、私は清水君が学校で誰と話しているのかを気にした。自分が知らない清水君のことを、もっと知りたいと思った。そして今日、こうして一緒に帰ることを自分で選んだ。
だったら、もう隠す必要はない。
私は一度だけ深く息を吸った。
「……うん」
「え?」
「一緒に帰ってる」
友達が目を丸くする。
私は頬が熱くなるのを感じながら、それでも続けた。
「私たち、付き合ってるから」
一瞬、周囲の音が遠くなったような気がした。
自分の声が、思ったよりはっきり聞こえる。
言ってしまった。
学校で。
友達に。
自分から。
「ええっ!?」
友達が大きな声を上げる。
思わず私は肩をすくめた。
「ちょ、ちょっと……声、大きいよ」
「だって、いつから!?」
「えっと……少し前から」
「全然知らなかった!」
友達は驚いたまま私を見る。
恥ずかしさで顔が熱くなっていく。すると、隣にいた清水君が少し困ったように笑った。
「すみません。僕たちも、あまり学校では話してなかったので」
「そういうことだったの!?」
友達が今度は清水君を見る。
私はもう恥ずかしくて、まともに顔を上げられない。
「じゃあ……邪魔しちゃ悪いね」
「そんな……」
「また明日、詳しく聞かせてね」
そう言って友達は楽しそうに笑いながら、そのまま歩いていった。
姿が見えなくなったところで、私はようやく息を吐いた。
「……つ、疲れた」
その言葉に、清水君が笑う。
「お疲れさまでした」
「清水君、笑わないでよ」
「すみません。でも……」
「でも?」
「嬉しかったです」
私は顔を上げた。
「自分から、付き合ってるって言ってくれたこと」
そう言われて、私は少しだけ目を伏せる。
「……私も」
「何がですか?」
「言えたことが」
前の私だったら、きっと言えなかった。人にどう思われるかを気にして、自分の本当の気持ちを隠していたと思う。
でも今は違う。
恥ずかしいし、緊張もする。それでも、自分が大切だと思っていることを、自分で認められるようになった。
「清水君と付き合ってるって言うの……ちょっと恥ずかしかったけど」
私は少しだけ笑った。
「嫌じゃなかった」
「僕もです」
それから私たちは、また並んで歩き始めた。
さっきまで少しぎこちなかった距離も、今はそれほど気にならない。学校では、これから今日みたいに誰かに見られることもあるだろうし、友達にいろいろ聞かれることもあるだろう。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
昨日まで知らなかった清水君のことを、これから少しずつ知っていけばいい。
今日こうして知ったことも、これから知ることも、一つずつ増えていけばいい。
「ねえ、清水君」
「はい?」
「今度、学校の友達の話……もっと聞かせて」
「いいですよ」
「それと……」
私は少しだけ迷ってから、続けた。
「清水君が学校でどう過ごしてるのかも、もっと知りたい」
清水君は優しく笑った。
「じゃあ、少しずつ教えます」
「うん」
私は頷いた。
そうして隣を歩く清水君を見ながら、ふと思う。
昨日まで知らなかったことを、今日ひとつ知ることができた。
たぶん、これからもこんなふうに、少しずつ増えていくのだろう。
そう考えると、明日が来るのが少し楽しみになった。
昨日までより、ほんの少しだけ、清水君との距離が近くなった気がした。




