secret.4 感情
俺は部下達に一目惚れを指摘されたあの日から、すぐにでも少女の事を忘れようと努力した。
だが、己があの少女に好意を抱いているという事実を衝撃と共に自覚し、受け入れてしまったせいか、記憶の中の彼女は薄れるどころか益々色鮮やかになっていく。
油断すると一目でもいいからまたあの少女をこの目で見たいと願ってしまう自分に心底うんざりした。
そして相変わらず、勝手に図書館に向かってしまう自分の足と、意識。
それでも辛うじて図書館に辿り着く前に気付き、慌てて引き返す事を繰り返していた俺は、正直、限界だった。
心労で疲れ果てた脳よりも。
眠れずに安息の取れていない肉体よりも。
無意識に図書館へ向かう己に対する恐怖よりも。
彼女を見ることが出来ない日々の辛さに、限界を感じていた。
そんな俺は、彼女を見れもしないのに国内にいるという事が辛すぎて、部下に割り当てるはずだった国外での任務をぶん取り、目的の国についた日の夜。
野営の支度を終えたゼクスが突然問い掛けてきた。
「長、長は何故そんなにも、頑なに自分が幸せになる事を否定するんです?」
「何故って…俺はシュヴァリエの当主だ」
「ええ、そうですね。それで?」
「…それで、とは?」
『だから何なんですか?』とでも言いたげなゼクスに、俺は訝しげに問いかけ返した。
「シュヴァリエ家の当主は、幸せになったらダメなんですか?」
「それはそうだろう。俺はお前達に散々汚れ仕事を押し付けているんだぞ?そんな俺が幸せなど、求めれる訳が無いだろ」
何を当たり前の事を、と考えながらも答えれば、ゼクスが深い溜息を吐いた。
「長、あのですね、俺たちは長が幸せになっても、全く恨んだりしません。むしろ、長には誰よりも幸せになって欲しいと思ってますよ」
「…俺が、幸せにだと?」
「ええ。長は基本的に自らが率先して難しい任務をこなしてくれていますが、その中でも特に暗殺任務に関しては、どれだけ強行スケジュールになろうと、滅多に俺達には割り振らず、ご自分でこなしてますよね。それって、俺達に出来るだけ殺させたくないからでしょう?」
俺はゼクスの言葉が図星過ぎて、何も返せずに口を噤んだ。
「俺達は、長が厳しいだけでは無いって知ってます。いや、まぁ、訓練の時の長は鬼だと思いますけど。長は任務であれ人を殺め、それを俺達にも強いているから、そんな自分は誰かを想ってはいけないと思ってるんですよね?」
「…そう、だな」
「なら、この間結婚したマクシムはどうなんです?あいつもかなりの数の暗殺任務をこなしてましたよね。マクシムも幸せになったらダメなんですか?」
「そんなわけないだろ。それにあいつが殺めたのは俺が割り振った任務で仕方なく」
「そうです、任務です。で、マクシムはその任務を長から受けたわけですが、長は誰から受けたんです?」
「そんなの陛下に決まって…」
俺はそこまで言いかけて、気付いた。
あぁ、そうか。
俺も陛下から任務を受けている以上、マクシムと同じだと、ゼクスは言いたいのか。
「長、俺は陛下から直接暗殺の任務を命じられても、多分素直に受けようとは思いません」
「おまっ、何を言って」
「陛下なんて任務で見守るだけで喋ったことも無いですし、そんな陛下に『こいつを殺してこい』なんて言われても、受け入れられません。でも長は、俺達が任務であれ誰かの命を奪う事に責任を感じてくれます。そんな長からの命だから、俺達は任務を受け、こなせるんです。本来長の、影の頭領という立場は、部下である俺達に長がやりたくない仕事を割り振れる立場です。それなのに長が自分から汚れ仕事を引き受けてくれてる事、俺だけじゃなく、シュヴァリエの影は全員知ってますよ」
確かにゼクスの言う通り、影という職に就いてしまった、或いは特殊な才能故に就くしか無かった部下達に、出来るだけこの先の人生の重荷になりそうな事を背負わせたくなくて、自らが率先して汚れ仕事をこなして来た自覚はある。
それがシュヴァリエの影の頭領という俺の責務だと思っていた。
ゼクスの思いもよらない言葉に、俺はなんと答えていいのか分からず、また口を噤んだ。
そんな俺を見かねたのか、ゼクスは突然明るい声色で、俺に爆弾発言を投下した。
「それでですね、長。長の想いを寄せている少女様はシリウス様のとこのお嬢様らしいですよ」
「…は?ちょ、まて、お前、なんで」
シリウスとは昔うちにいた執事だが、それよりもなぜあの少女をゼクスに特定されているんだ?
「え、そんなの長を尾行したからに決まってるじゃないですか。長の尾行、マジで大変だったんですよ。100人がかりで、1週間もかかりましたよ。普段の長なら、絶対無理でしたね」
影の頭領が部下に尾行され、気付かないなど、なんと言う失態か。
それ程に、俺は腑抜けていたのか。
これが恋煩いというものなのかと考えると、恋は盲目とはよく言ったものだと、変な所に感心してしまった。
そんな俺に追い打ちをかけるが如く、ゼクスは語る。
「初めの3日で、長が必ず1日1度はぼーっとしながら図書館に向かって歩いて行って、突然我に返って隠し通路に戻って来るのを繰り返してたんで、これは図書館に何かあるな、となったんですよ」
あぁ、なんて事だ、あのとち狂った行動を、100人もの部下に見られていたとは…。
口を噤んだままの俺は、羞恥を隠しギロリとゼクスを睨みつけた。
しかしゼクスは俺の殺気の篭った視線にもたじろがず、喋り続けた。
「尾行から5日目に、図書館でそりゃあもう、驚く程お綺麗なご令嬢を発見しまして。しかもそのご令嬢は長の好む本を山程積み上げ、紫の瞳を輝かせてるんですからね。あ、この方だ!とすぐに気付きました」
くっそ、こいつ、楽しんでないか?
そう思いつつも、羞恥に顔を上げれない。
「で、即座に調べましたところ、なんとシリウス様のお仕えしているヴァロワ侯爵家のご令嬢だったわけです。…で、ですね、ちょっとばかり、伝え辛い事がありまして」
俺は何か、少女にとって不味いことがあるのかと、それまで俯いていた顔を、ガバリと上げた。
…上げてしまった。
目の前に、愉しそうに目を細めるゼクス。
くっそ、完全に手玉に取られてるじゃねぇか。
そうだ、こいつハニトラ専門だった…。
これ以上自分があの少女の事を知れば、益々忘れられなくなると、頭では理解している。
しかし、こんなフリをされたら、聞くしかないじゃないか。
俺はニヤニヤしているゼクスに1度舌打ちをする。
「うわ〜、長の舌打ち、迫力ある〜」などと宣うゼクスに向け、諦めた様に言葉を漏らした。
「…なんだ、早く言え」
「ええと、まずお名前は、シャーロット様だそうです」
「シャーロット…ヴァロワ…侯爵令嬢、か」
「です。で、これは俺も驚いたんですけど、シャーロット嬢の年齢がですね………13歳、だそうです」
「……………は?」
俺はゼクスの言葉を呑み込めず、ポカンと奴の顔を眺めた。
「…驚きですよね。俺、てっきり15.16位だと思いましたよ。俺の親戚の13歳の令嬢なんて煩くて仕方ないのに、シャーロット嬢のあの落ち着き様…いや、ホント、おったまげました」
つまり俺は、20歳で13歳のシャーロット嬢に一目惚れした、と…。
「…ゼクス、13歳の彼女に一目惚れした俺は…どう考えても、おかしい、よな?」
「いえ!全くおかしくないです!実際シャーロット嬢を初めて見た仲間は、俺含めて全員、長の一目惚れに激しく納得してましたからね!」
俺は何故かキリッとした顔で言い切るゼクスの真意を図る為、無駄に整った顔をじっと見つめた。
しかしどうやら、本心らしい…と気付いた時には、とてつもない安堵が、俺の胸の中に広がっていた。
この安堵は、ゼクスの言う『伝えにくい事』がシャーロット嬢とって不味いことでは無かった安堵と、自分が13歳の少女に一目惚れしてしまったことを咎められなかった安堵だ。
安堵したところで、何も変わらないのだろうが。
「そう、か」
「はい。しかし困りましたね、ヴァロワ侯爵がシャーロット嬢を溺愛してるらしいですし、幾つになったら長と婚約を結んで貰えますかね〜」
「はぁ!?婚約ってお前、何を言ってるんだ!?」
先程のゼクスの励ましのような言葉で、ようやく自分の幸せとやらを考えてみようかと、ちょっとばかし考え始めたばかりだと言うのに、何を言っているのだコイツは。
「え?だって、就寝中ですら警戒を怠らない長が、俺らの尾行にも気付かずに、無意識に会いに行ってしまうほどに好きなんですよね?シャーロット嬢のことが」
「なっ、好きってお前な!」
「えー、俺なんか間違えてます?」
図星だった俺は、分かっていながらすっとぼけた顔で問いかけるゼクスに腹が立ち、鳩尾に蹴りを入れた。
「ぐぇっ!酷っ、俺間違えてませんよねぇ〜!?」
「くっそ!そうだよ!図星だから腹立つんだよ!」
「ケホッ、あはは〜、やっと認めましたね〜!グハッ」
腹立ち過ぎて2度目の蹴りを入れた俺だが、ここまで言われれば認めるしかない。
俺は13歳のシャーロット・ヴァロワ侯爵令嬢に一目惚れした上、おかしくなる程惚れてしまい、おそらくこの感情から逃れられる術はないのだ、と。




