secret.2 少女
誰かの命を奪った後はいつも、何故か無性に女神アウラと神シンドラが暮らしていたアヴァタ神殿の遺跡を見たくなる。
あの遺跡は美しい。
沢山の血で汚れた俺の手で触れても、幼少期に既に世界に絶望し、光を映さなくなった俺の目に映しても、決してその輝きを失わなず、永遠に美しいままでそこに有り続ける荘厳な神殿。
本来ならば本物を見に行きたい所だが、アヴァタ神殿がある国はかなり遠いし、今の俺の立場ではフラリと国を出る事すらままならない。
なのでいつも、王立図書館にある一番綺麗な挿絵が描かれている本を見に行く。
俺は任務に同行していた部下を帰らせ、何度も通った王立図書館の目的のコーナーへと、ひとり早足で向かった。
しかし…目的の挿絵の載った本はいくら探してもそこにはなく、場所が変わったのかと職員に聞けば「変わっていない」との返答。
落胆した俺が帰ろうかと踵を返したその時、読書スペースの隅っこの机に、渦高く積まれた本が見えた。
何気なく、本当に何気なくそこの席で読書をしている者の姿を確認しようと、数歩足を進めた俺の視界が捉えたのは、遺跡の本に囲まれた美しい少女だった。
そしてその少女の白く細い手には、俺が求めていた本。
座っている為身長は分からないが、表情や雰囲気から15~17歳くらいに見える、恐ろしく顔の整った少女が、窓から入るそよ風に柔らかなプラチナアッシュの髪を靡かせ、透き通った紫の瞳を輝かせながら、俺のお気に入りの本を熱心に読んでいる。
その輝く瞳に、弧を描く唇に…きつく胸が締め付けられるのを感じた。
それが後に我が最愛の妻となる、シャーロット・ヴァロワ侯爵令嬢との一方的な出逢いだった。
その頃はまだ自覚症状はなかったのだが、20歳でまさかの一目惚れをした俺は、その日からおかしくなった。
寝ても覚めても、あの少女を考えてしまう。
光を受けて輝く瞳が、ゆっくりと頁を捲る白く細い指が、風になびく艶やかな髪が…あの時見た少女の全てが瞼に焼き付いて離れなかった。
しかもその後、目的地は別であったのに気付いたら王立図書館に向かっていたり、再び少女を見つけて固まってしまったり、慌てて姿を見られないように逃走したり…これらは全て無意識に取っていた行動で、我に返る度に自分自身に戦慄した。
それは暫く続き、自分の体と脳が言うことを聞かない理由が分からず、自分自身に恐怖を覚え、段々と心労が溜まって行った。
そして初めて少女を見てから約2ヶ月後のある日、散々おかしくなった俺は、王城の隠し通路を歩いていた時に部下のユーリ、リュカ、ゼクスに呼び止められていた。
「長どうしたんです?最近おかしいですよ?クマは酷いし、せっかくの美貌がボロボロだし!」
「そうっすよ、昨日なんて城の柱に頭ぶつけてましたよね?おでこ大丈夫でした?」
「後ろにも目があると言われてる長が、目の前の柱にぶつかるとか、まじでびびりましたよ!本当に何があったんすか?俺らで良ければ何でも手伝いますよ?」
部下達の言葉に、一番驚いたのは俺だった。
なんだその男、大丈夫か?
え、俺のこと?嘘だろ?
という感じだ。
おかしくなったのは2ヶ月前くらいからと部下達に言われ、その頃あったことを、振り返りながらぽつりぽつりと話し始めた。
「2ヶ月前のその頃だと…仕事で例の要人を始末したな」
「ああ、その頃ですよ!あの時何かありました?」
「…いや、特にこれと言って変わったことは無かった」
「俺が同行した任務ですよね。確かに任務中、これと言って変わった事は無かったはず…その他に何かありませんでした?」
「他とは?」
「いつもと違う何か、ですかね…。任務の前後とかに、思い当たる様な事はないですか?」
部下の『任務の前後』という言葉で、また俺の脳裏に少女の姿が鮮やかに蘇った。
部下の問に対する答えとして適切なのかは分からないが、あの少女を初めて見た瞬間は、俺の人生の中で唯一とも言える、色の付いた記憶だった。
「リュカの言う何かと言えるかはわからないが……あった、といえば、あった、かもしれん…」
「何ですか?変わった任務とかですか?」
「いや、任務ではない」
「えっ!まさかの長のプライベートトーク!?」
「俺らなんかが長のプライベートトークを聞いていいのか!?」
「黙れユーリ、リュカ。コホン、長、それで何があったんです?」
「あ、ああ。王立図書館で、少女を見た」
「「「…………………はい?」」」
「え、ええと、すみません長、もう一度お願いします」
「だから、王立図書館で少女を見たんだ」
「しょっ、しょっ、少女…!?長の口から少女!?」
「天変地異か!?」
「黙れユーリ、リュカ。えーっと…少女の姿に擬態した魔獣、とかですか?」
「なわけあるか。人間の少女に決まっている…よな?いや、あれ程の可憐な少女となると、それも有り得るか…?」
「か、か、か、可憐!?長の口から可憐!?」
「それよりもまず長の口から異性の話が出た事が奇跡だろ!」
「ユーリ、リュカ、気持ちは分かるがとりあえず黙れ。それで、あの、長?その少女がどうしたのですか?」
「どうしたというか…2ヶ月前に初めて見てから、その少女が頭から離れなくなったんだ。理由はわからんが」
「………ぇぇええ!?」
「お、お、お、長が、まさか…」
「こ、こりゃ一大事だ…!」
「いや、まて、何故一大事なんだ。理由を教えてくれ。朝から晩までその少女が頭から離れなくて困ってるんだ」
「長からこんな話を聞ける日が来るとは…にしても…」
「ああ、相当だよなぁ…いやぁ、嬉しいような、恐ろしいような」
「だから理由を」
「長、それは『一目惚れ』ですよ。長はその少女に一目惚れしたんです。だから一日中その少女の事を考えてしまうんですよ」
「………俺が………一目惚れ、だと?」
「「はい!」」
「何を言ってるんだ…?そんなわけが」
「長!今!その少女の事を想像して下さい!」
「は?想像すればいいのか?」
細く柔らかそうなプラチナアッシュの髪。
知的な紫の瞳に、薄く色付いた頬。
緩やかな弧を描く、啄みたくなる様な唇…。
まて。
啄みたくなる、だと?
俺はいったい何を考えてる?
「うわぁ…頬染めた長とか、色気が凶器すぎっすよ!」
「やばい!色気やばい!今長に告りそうになったよ、俺!」
「安心しろ、俺もだ!ってか、長の瞳に生気が!なんか感動だよ!ありがとう見ず知らずの少女様!」
部下達が手を組んで祈り出したが、俺はそれどころじゃなかった。
恐ろしい事に、俺は本当に一目惚れをしたのかもしれない。
そうでなければ、異性の唇を啄みたい等と考えないだろう…。
しかし、認めたくない自分がいる。
「混乱して来た…嘘だろ…俺がそんな…」
「ありがとう少女様!!で、長!その少女様はどんな方なんですか!?」
そう問い掛けられて、混乱していた俺の脳に再びあの少女が蘇った。
その姿を意識して思い出す程、混乱する自分に気付く。
おそらく、部下の言葉は正しい。
情けない事に、部下たちに言われてようやく一目惚れを自覚したのだ。
気付くのが遅いなどと言うことは分かっている。
しかし今まで、俺は自分が人を想うなど、まして触れたいと願うなど、許されるわけがないと思いながら生きてきたのだ。
そんな俺が一目惚れなんて、考えもしなかった。
「俺は…誰かに想いを寄せていい人間じゃない」
「長…」
「そうだ、理由が分かればそれを忘れるように対処すればいいんだ…大丈夫だ、出来るはずだ…すまん、教えてくれて助かった」
俺はくるっと後ろを向くと、そのままスタスタと部下達の元を去った。
後ろから俺を呼ぶ声がいくつも聞こえるが、すまん、それどころではないんだ。
俺はあの綺麗で汚れのない少女を、俺がとち狂って触れてしまう前に、すぐにでも忘れなければならない。
あの美しさを、汚してはならない。
今となっては腹立たしい事に、部下の間でこの時の話が『長の一目惚れ事件』として語られている。
それは今でこそ『長と奥方の出逢い』として部下の笑い話となっているが、それを知った当初の俺は、部下がポロリと外に漏らして、万が一あの少女まで話が伝わってしまっては…という恐怖に駆られ、そいつらを家に呼び、嬉々として酒を振る舞い、振る舞い、振る舞いまくって、潰した。
『もし俺の話を外に漏らしたらこんなんじゃすませねぇからな』と脅し、潰れた部下共を外へほっぽり出した。
翌日見たそいつらの顔色は土色だったが、きちんと仕事をこなしていた為、許すことにした。
しかし俺は忘れるどころか、ここまで怒り狂うほど、あの少女に自分の醜い面を隠したいと考えていたという事実には、これっぽっちも気付いていなかった。
その時の俺は、ひたすら忘れる努力をした。
だって俺は──。
俺はシュヴァリエ家の当主なのだから。
国家に仕えているとは言え、シュヴァリエ家の仕事とは、結局は裏稼業…言ってしまえば汚れ仕事だ。
つまり、俺はそんな仕事を部下にさせている、腐った穢らわしい人間で。
もはや人間なのかも怪しいと感じる事さえある程、闇に潜み続けるべき存在だと、自覚していた。




