第27話「王太子の本音」
北方へ発つ前夜。
王城の西塔にある小さな書斎に、アリアは呼び出された。
重厚な扉の向こう、窓辺に立つレオハルトの背中が見える。
灯りは最小限。外には王都の夜景が広がっている。
「忙しい中、ありがとうございます」
形式的な言葉。
「形式は要らない」
振り向いた王太子の表情は、公の場とは違っていた。
硬さの下に、疲労がある。
「明日、北方へ向かう」
「はい」
「本来なら、私が行くべきだ」
意外な言葉だった。
「だが、私が動けば軍が動く」
その通りだ。
王太子の移動は、政治的圧力になる。
「あなたなら圧力にならないと?」
「少なくとも、剣は抜かれない」
静かな自嘲。
沈黙が落ちる。
やがて彼が言う。
「……あの日のことを、まだ恨んでいるか」
婚約破棄の日。
議場での一方的な宣言。
アリアはしばらく考え、首を横に振った。
「恨んではいません」
「怒りは」
「ありました」
正直に答える。
レオハルトは小さく笑う。
「当然だな」
窓の外へ視線を戻す。
「私は、恐れた」
低い声。
「あなたの正しさを」
アリアは黙って聞く。
「正論は、貴族社会を敵に回す」
「承知していました」
「だが私は」
拳を握る。
「あなたを守る方法を、切ることしか思いつかなかった」
重い告白。
あの日の宣言は、政治的切断。
だが同時に、防御でもあった。
「守られたいとは思いませんでした」
静かな声。
「知っている」
苦笑。
「だからこそ難しかった」
王太子は振り向く。
「あなたは正しかった」
間。
「だが、正しさだけでは国は動かない」
「ええ」
アリアは頷く。
「だから、削りました」
「合意、か」
「はい」
レオハルトは一歩近づく。
「北方でも、削るのか」
「削ります」
迷いなく。
「辺境伯も、王都も」
「あなた自身も?」
「既に削っています」
沈黙。
やがて王太子は深く息を吐いた。
「私はまだ削れていない」
その言葉は、自嘲ではなく事実だった。
王太子は立場を守るため、譲れない。
「あなたは中央にいる」
アリアは言う。
「中央は削りにくい」
「だが、削らねば崩れる」
静かな共通認識。
「北方が成功すれば」
レオハルトが言う。
「王国は変わる」
「失敗すれば」
「軍が動く」
そして国家は血で固まる。
重い分岐点。
「なぜ、私を信じる」
不意の問い。
アリアは少し考えた。
「信じてはいません」
王太子の眉がわずかに動く。
「必要としているだけです」
静かな答え。
「王太子が動かなければ、合意は成立しません」
レオハルトは目を閉じ、やがて開く。
「合理的だ」
「国家経営ですから」
小さな笑みが交わる。
かつての婚約者同士ではない。
政治的同盟者でもない。
だが、国家を背負う者同士。
「戻れ」
彼は言う。
「成功して」
「戻ります」
アリアは一礼する。
扉へ向かう直前、王太子が呼び止めた。
「アリア」
名で呼ばれるのは久しぶりだった。
「正論ではなかった」
低い声。
「だが、間違いではなかった」
それが彼なりの謝罪かもしれない。
アリアは振り向かずに答える。
「国家は、誰か一人の正しさでは動きません」
静かに。
「ですが、正しさを捨てる必要もありません」
扉が閉まる。
夜風が塔を揺らす。
明日、北方へ向かう。
合意は、国家規模で試される。
そして、二人の未完の関係もまた、新しい形に変わりつつあった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




