第二章 十二節 旅籠の朝
夕食を終えた私は、すっかり満腹になっていた。
甘い香りの果実酒のおかげで胸の奥まで満たされていた。
テーブルには空になった瓶が三本転がっていた。
私の隣では、ヨドが気持ちよさそうにいびきをかいていた。
ヨドのはだけた胸元を見てしまった。
……ずるい。
思わずぺちっと叩きたくなった。
その衝動をそっと飲み込み、ヨドの衣服を整えた。
「そろそろ俺もひとっぷろ浴びてから寝る事にしよう。」
課長はのっそり立ち上がって、露天風呂に向かった。
課長も結構飲んでいたはずなので、少し心配になった。
私もそろそろベッドに戻りたいけど、このままヨドを放っておくのは気が引けた。
そのとき、ドアを「コンコン」と叩く音が聞こえた。
ヨドを起こさないように部屋の入口に駆け寄ってドアを開けた。
「失礼いたします。お食事のお下げに参りました。よろしいでしょうか。」
エルムの男性と女性が立っていた。
「ちょ……ちょっとだけ待ってください!」
「かしこまりました。」
私は急いで寝室へ入り、掛け布団を取ってきて、横になっているヨドに被せた。
「すみません。もう大丈夫です。お願いします。」
エルムの二人が部屋に入って来た。
二人は眠っているヨドを一瞥したが、何も言わず静かに手際よく食器を片付け始めた。
「では、失礼いたします。」
そう言って、エルムの二人は部屋を後にした。
ヨドは相変わらずいびきをかいていた。
……はぁ
そうして私は寝室へ入っていった。
木々を揺らす風の音が聞こえた。
大きな窓から差し込む朝日が、部屋全体をやさしく照らしていた。
……まだ少し眠い。
私はゆっくりと目を開けた。
「ふわあぁぁ……」
大きなあくびがこぼれる。
リビングから、大きないびきが聞こえてきた。
ベッドから立ち上がり、部屋を出た。
……やっぱり。
ヨドは昨日と同じ場所で寝息を立てていた。
いや、むしろ悪化していた。
かけていた布団はヨドの横に転がっていて、またもや衣服がはだけていた。
……はぁ
「藤野も今起きたのか。おは……」
……はぁ
課長は固まっていたが、私はもう良いかと思い始めていた。
「……ふ、藤野、一応……何か掛けてやってくれ。」
天岳課長は眼鏡の奥で目を泳がせながら、そっと視線を天井に向けた。
私は足先で布団を引っ掛け、そのままヨドへ掛けた。
布団がヨドにふわりと落ちる。
次の瞬間、ヨドの腕が動いた。
「……んん」
せっかく掛けた布団は、ヨドの腕にあっさりとはねのけられた。
……はぁ。
「ん……。なんだコユキか。」
ヨドの目がゆっくり開いた。
私は何も言えず、ヨドを見つめるしかなかった。
「……」
「どうしたんだ、コユキ?」
そう言って、ヨドがのっそり起き上がった。
「お願いだから、恥じらい持って……」
ため息交じりにヨドにそれだけ伝えた。
ヨドは自分の胸元に目をやった。
「……わかった。善処しよう。」
そう言って、ようやく衣服を整えた。
……疲れる
やはりヨドには元の服を着てもらってた方が良かったかもしれない。
不意に扉をノックする音が聞こえた。
私は扉に駆け寄り、扉を開けた。
「おはようございます。よく眠れましたでしょうか。」
いつものエルムの二人が立っていた。
「はい、ぐっすり気持ちよく眠れました。」
私は笑顔で応えた。
「それはようございました。」
二人は嬉しそうな顔を見せていた。
「では、朝食のご用意をさせて頂いてよろしいでしょうか。」
「お願いします。」
私が返事をすると、二人は部屋に入って瞬く間に朝食の準備を済ませた。
「では、ごゆっくりごくつろぎくださいませ。」
二人は去っていった。
「メシ食うか。」
ヨドは早速食卓に着いていた。
私も食卓に向かった。
課長はまだ動揺を隠せない様子で食卓に着いた。
テーブルに目を向ける。
ふわりと湯気を立てる白がゆ。香ばしく焼かれた魚の干物に、大ぶりな卵、山菜の煮付け。それに鮮やかな色合いの柑橘まで添えられていた。
「肉ないのか……」
ヨドがぽつりと言った。
「魚も食べないとダメだよ。」
ヨドは少し嫌そうな顔をした。
「安心しろ、この魚は丸ごと食べられるぞ。」
課長がヨドに食べることを促した。
「まあ、食べようよ。」
そう言って私と課長は手を合わせた。
ヨドは箸で魚を掴んだまま、しばらく睨めっこしていたが、意を決したようにガブリと齧りついた。
ボリボリと咀嚼していく。
「旨い!」
私と課長は笑顔で頷いた。
さっきから大ぶりの卵が気になっていた。
卵を手に取り、食器に軽く当てる。
コン、と軽い音が響いた。
恐る恐る殻を剥いていく。
白く固まった卵が姿を現した。
……ゆで卵だ。
私は殻を剥いていく。
そして卵に齧り付く。
濃厚で美味しい。
「これ、何の卵なんだろ。」
「それはケコって鳥の卵だ。」
ヨドは魚をもぐもぐと咀嚼しながら答えた。
「ケコ?」
「どこの町でも売ってる。」
ヨドの答えではどんな鳥かは分からなかった。
「どこでも買えるのならば、養殖されているのだろう。」
課長が山菜の煮付けをもぐもぐ食べながら言った。
「鶏みたいなもんか。」
そう呟きながら卵をもう一口食べた。
「食べ終わったら、出発するか。」
課長は白がゆを器用に箸で口に運びながら言った。
その横でヨドは白がゆを勢いよくかきこんでいた。
「そうしましょうか。」
私は器に口を付け、音を立てないように白がゆをすすった。




