六話 二日目――火
寒さで目が覚めた。
思わず肩を震わせる。
南の島とはいえ、火のない夜は想像以上に厳しかった。
湿った空気が肌にまとわりつき、薄いTシャツ一枚では体温が奪われていく。
空はまだ群青色。
東の空だけが、ゆっすらと白み始めていた。
海は膝を抱えたまま、大きく息を吐く。
「……今日こそ」
昨日は失敗した。
何度火花を飛ばしても、炎は最後の一歩で消えてしまった。
でも、原因は分かっている。
(火口が弱かった)
(枝も湿ってた)
(風除けも甘かった)
失敗には理由がある。
なら、直せばいい。
海は立ち上がり、森へ足を踏み入れた。
夜露に濡れた草を避けながら歩く。
地面に落ちた枝ではなく、木の途中で引っ掛かったまま乾燥している枝を探す。
「あった」
一本。
さらにもう一本。
ナイフを取り出し、外側の湿った部分を削り落とす。
現れた白い木肌を、さらに細く裂いていく。
繊維がふわりと毛羽立った。
「これなら火が移る」
昨日作った石の風除けも組み直す。
入口を風下へ向け、隙間をできるだけ塞ぐ。
火口を中央へ置き、ファイヤースターターから削ったマグネシウムの粉を慎重に集める。
深呼吸し、ストライカーを勢いよく引く。
キンッ。
火花が散る。
もう一度。
火花が粉へ落ちる。
ぱちっ。
小さな音とともに煙が立ち上った。
(お願い……!)
そっと息を吹きかける。
煙が濃くなる。
赤い火種が残る。
さらに細く裂いた木の繊維をかぶせ、もう一度だけ息を送る。
その瞬間だった。
ぼっ――。
小さな炎が生まれた。
「……っ!」
思わず息を呑む。
急いで細い枝を一本。
少し太い枝を一本。
炎が消えないよう、慎重に育てていく。
ぱち、ぱち。
乾いた音が響く。
炎は揺れながらも、消えなかった。
「……ついた」
たった一言なのに、胸が熱くなる。
昨日は越えられなかった壁。
今日、自分の手で越えた。
火を見つめているだけで、自然と笑みがこぼれる。
「ほらね」
誰に言うでもなく呟く。
その時だった。
ブゥン……
頭上をドローンがゆっくりと旋回する。
銀色の機体が朝日を反射し、きらりと光った。
海は炎越しに空を見上げる。
「ちゃんと撮れてる?」
返事はない。
「今日は私の勝ちだか。」
そう言って笑った。
火がある。
それだけで世界が変わった。
夜はもう恐ろしくない。
水も煮沸できる。
食べ物にも火を通せる。
文明の象徴が、目の前で静かに揺れていた。
海は両手をかざす。
温かい。
昨日の夜にはなかった温もりだった。
これで、また一つ生き延びられる。
それだけで十分だった。
◇
炎が安定したことを確認すると、海は立ち上がった。
「次は食料か…」
三日連続で飲まず食わずは禁止。
体力が持たない。
透き通った海には魚影が見える。
だが素手では到底捕まえられない。
潮だまりも覗いてみる。
小魚はいる。
しかし、人影に気付くと一瞬で逃げていった。
「そう簡単にはいかないか」
苦笑しながら森へ入る。
その時。
「あっ…」
視線の先。
高いヤシの木に、緑色の実がいくつもぶら下がっていた。
思わず頬が緩む。
「ベタだけど……助かる」
だが高い。
五メートル以上はあるだろう。
登るには危険すぎる。
石を拾い、投げる。
外れる。
もう一度。
また外れる。
「くっ……!」
何度目かでようやく当たったが、実はびくともしない。
「頑丈だなぁ……」
肩で息をしながら周囲を見回す。
少し離れた場所に、細長い木の枝が落ちていた。
「これだ」
枝を持ち上げ、何度も突き上げる。
一回。
二回。
三回。
腕が重くなり始めた頃――
どさり。
ヤシの実が砂の上へ落ちた。
「よし!」
駆け寄り、両手で抱える。
ずっしりと重い。
ナイフを差し込み、外皮を削る。
思った以上に硬い。
繊維が刃へ絡みつき、なかなか進まない。
「ほんと手強いな……」
汗をぬぐいながら少しずつ削る。
ようやく硬い殻が姿を現した。
尖った石で叩く。
一度。
二度。
三度。
ぱきっ。
細いひびが走る。
海は鼻を近づけた。
変な臭いはしない。
濁りもない。
ゆっくり口をつける。
ひんやりとした液体が喉を流れ落ちる。
ほんのり甘い。
「……おいしい」
身体中に水分が染み渡っていく。
思わず目を閉じた。
殻を割り広げ、白い果肉も削って口へ運ぶ。
少量だが、確かな栄養だった。
火のそばへ戻り、残った繊維を炎の近くへ並べる。
「乾けば火口にも使えるかな」
何一つ無駄にはしない。
それが、この島で生きるということだ。
炎を眺めながら腰を下ろす。
火を手に入れた。
水分も確保した。
食料も、ほんの少しだけ口にできた。
昨日の自分とは、もう違う。
頭上をドローンがゆっくりと旋回する。
海は笑って手を振った。
「楽しんでる?」
「私は、まだまだ終わらないよ」
炎が静かに揺れる。
その温もりを感じながら、海は空を見上げた。
(次は、本当の水源だ)
ヤシの実だけでは三十日は生きられない。
川か、湧き水か、それとも雨水か。
まずは安定した水を確保する。
次の目標は決まった。
三十日は長い。
だからこそ、一歩ずつ。
焦らず、一つずつ。
海は燃え続ける炎を見つめ、小さく笑った。
「明日も、生き延びよう」




