五話 一日目――始まり
最初に感じたのは、潮の匂いだった。
次に、焼けた砂の熱。
そして、ひどい喉の渇き。
「……苦っ」
舌に残る薬品のような後味で、海はすべてを思い出した。
装備選び。
ルール説明。
最後に渡されたペットボトルの水。
「あれかぁ……」
ゆっくり身体を起こす。
目の前いっぱいに、青い世界が広がっていた。
雲ひとつない空。
どこまでも続く海。
波が白く砕ける砂浜。
「……本当に来ちゃった」
夢じゃない。
ここは、本物の無人島だ。
左腕に違和感を覚える。
銀色のブレスレット。
外そうと引っ張るがびくともしない。
「……爆弾とか入ってないよね?」
少し考えたあと、手を離した。
(あの連中なら、やりかねない)
拳銃で人を撃ち抜くような相手だ。
無駄なことはしない方がいい。
その時だった。
ブゥン……
小さな羽音。
空を見上げると、一機のドローンが島の上を旋回していた。
「監視、ね」
助けるためじゃない。
見届けるため。
その事実が、妙に現実味を帯びさせる。
海は大きく息を吸った。
「三十日か」
長い。
普通なら絶望する時間だ。
それでも。
胸の奥が少しだけ熱くなる。
「……やってやろうじゃん」
まずは持ち物を確認する。
ナイフ。
ファイヤースターター。
水、二リットル。
これが全財産だ。
水を一本取り出す。
一口だけ含む。
乾ききった喉へ水が流れ込む。
思わず全部飲み干したくなる。
「……ダメ」
蓋を閉める。
「一日五百ミリリットルまで」
水源が見つかるまでの命綱。
自分に言い聞かせるように呟いた。
島を見回す。
まず欲しいのは拠点。
日陰。
風を避けられる場所。
火を起こせる場所。
岩陰を見つけ、歩き出した。
幸い、砂浜から少し入った場所に岩壁があり、その下が浅くえぐれている。
「ここなら……」
雨もしのげる。
満潮でも波は来ない。
悪くない。
荷物を置く。
次は火だ。
火があれば夜を越えられる。
火があれば水も煮沸できる。
火があれば、生きられる。
乾いた枝を集める。
流木は湿っていた。
森の枝も思った以上に水分を含んでいる。
それでも比較的乾いたものを選び、細く削って火口を作る。
石を積み、風よけを作る。
準備はできた。
ファイヤースターターを握る。
カッ。
火花。
カッ。
また火花。
煙が立つ。
「よし……!」
小さな炎が生まれた。
海は息を潜める。
その瞬間。
ふわり、と風が吹いた。
炎は、消えた。
「……あ」
しばらく動けなかった。
悔しい。
あと少しだった。
もう一度。
カッ。
煙。
消える。
もう一度。
火花。
煙。
消える。
何度も。
何度も。
指先は赤く擦りむけ、腕も悲鳴を上げ始める。
いつの間にか太陽は傾き、島はゆっくり闇に飲まれていった。
森が黒い壁になる。
波の音だけが響く。
昼間は気にならなかった暗闇が、急に恐ろしくなる。
(火がない夜って……こんなに怖いんだ)
岩陰へ身を寄せる。
その時。
ブゥン……
またドローンが頭上を通り過ぎた。
火を起こせず座り込む自分を、黙って見下ろしている。
「……見てる?」
もちろん返事はない。
海は苦笑した。
「いいよ」
空を見上げる。
「今日は私の負け」
「でも」
唇の端が少しだけ上がる。
「明日は勝つ」
空腹だった。
喉も渇いている。
怖くないと言えば嘘になる。
それでも。
胸の鼓動だけは、ずっと高鳴っていた。
――本物のサバイバルだ。
波音を子守歌に、海は静かに目を閉じた。




